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東日本大震災 アカデミズムの視点から

京都大学防災研究所 福岡浩准教授に聞く

活用すべき「クラウドの知」

全体像を把握できない被災者 外から情報をサポート

 取材の現場でも痛感するのだが、事件や事故の中にいると全体像が見えなくて苛立ちを覚えることが多い。今回の東日本大震災でも被災者は、家族の安否といった個別情報と同時に震災の全体像がつかめないケースが目立った。こうした被災者に外から情報をサポートする「クラウドの知」を活用すべきだと持論を展開する京都大学防災研究所の福岡浩准教授に聞いた。


――アカデミズムの視点から、今回の大震災の教訓をどうとらえるのか。

 今、関心をもっているのはクラウド(CROWD=民衆)の知だ。クラウドコンピューターではなくて民の知の方だ。被災地の中は通常、情報が突然途絶し正しい判断ができない場合が多い。

 今回の東日本大震災では、メールだけは使えた。とりわけツイッターが有効な情報収集手段として使えたことは特筆すべきである。これらのネットメディアを用いた人はある程度、全体像を把握できた。

 それが重要で、被災地内の人は災害の全体像をすぐに把握できない。外の人の方がよく分かっている。そういうことであれば、外の人が衆智を集めて中の人に、情報を伝達、サポートする。

 災害時、物流網も破壊され、物的支援はなかなかすぐには難しいが、情報としては原発がこういう状態だとか、道路事情がどうだとか、そういった情報の力はあると思う。

衝撃に強い4R(しなやかな社会)

 被災地のダメージを少なくし、回復が早くなるように社会を工夫しておく必要がある。

 そのためにはどういう要素が必要で、復興をどうプラニングすべきなのか考えないといけない。

 そのための要素としてよく引用される4つのRを挙げたい。ローバストネス(頑強さ)、ラピッドティティー(迅速な対応)、リダンダンシー(重複)、ひとつだけではなくて二つ三つ、用意しておけば、それを使って生き残れる。それにリソースフルネス(たくさん用意)の、4つのRだ。この4つのRが機能すれば、災害などで一時的な打撃を受けても緩衝機能を発揮し、柳の枝のように「しなやかな」社会が誕生する。

――中国の四川地震の視察も行かれたのか。

 四川地震の震源断層の長さは300キロに及ぶ。位置はちょうど四川盆地と山地の境界だ。地球規模で見るとインド大陸がユーラシア大陸を北に押し上げてヒマラヤができ、その背後のチベットが圧縮域となり高い山地が形成され中国大陸へと広がっているが、その東の縁へりに四川地震を起こした断層があり、その先は四川盆地。そのため断層の山側には3000メートル級の山地がならび、地質のバラエティーもあって、無数の地すべりが発生した。

 基本的に中国の奥地の山地斜面には地すべりが多いのだが、数億立方メートルの巨大な地すべりによって村がいくつか消えたり、さらにひどいところはひとつの地すべりが市中心部を襲い、1600人が犠牲となり、瓦礫撤去もままならないところもあるほどだ。

――今の防災研究の大きなトレンドは何なのか。

 当然、現在最も注目されているのは津波防災だ。破滅的な津波災害の頻度が大きくはないこともあり、以前は津波を中心に研究する専門家は多くはなく、東大地震研(震研)や東北大学の研究者がよく知られていた。

 一方で海岸工学、たとえば沿岸流や海岸侵食の研究者が津波も研究するケースが多かったのではないかと思うが、近年、東海、東南海、南海地震による津波の危険性が徐々に注目される中で津波を中心においた研究者は増えている。

 今回注目されているのは、貞観地震(869年)による津波堆積物が発見され、学会と原子力保安院でも報告されていたことだ。保安員で対策をすべきか否か喧々諤々となった経緯は既に報道されている。

 津波堆積物をもっと細かく調べていったら、東北で過去一万年までさかのぼって、どこまで遡上したかはおそらく分かったでしょうし、今後、特に原発がある沿岸では徹底した古文書等の記録調査と津波堆積物調査が実施される方向にベクトルは動いていくように思う。津波堆積物を調べる技術は経験が重要でまだ専門家の数は少ない。困難だが技術者の緊急の養成が急務だ。

――衛星を使って地すべりの移動など、巨視的なところから見ていく、そういうトレンドもあるのか。

 そうだ。日本が打ち上げた陸域観測技術衛星ALOS(エイロス)の合成開口レーダーで地盤の変動を監視する技術開発は、世界的トレンドになっている。エイロスはもともと地殻変動を見るための衛星だが、海外の衛星と比べると、森林や草木を透過して地盤からの反射を直接見ることができ、しかもミリ単位の精度が期待できるため、地盤変動をとらえることに適している。国際的にも評価は高く地球科学の発展に大きな貢献をした。

 海外にも合成開口レーダー衛星はあるが、草木を透過できる波長のレーダーはない。ただ、今年5月に入って電池切れで寿命が尽き、後継機の打ち上げまで約2年程度必要とあって、国内のみならず国際的なショックは多きい。

 GPS測量では誰でもセットしてスイッチを押すだけで数分から十分程度の短時間で、ミリ単位の精度の三次元(上下、東西、南北)の位置測定が可能になったが、面的な測量はできない。エイロスはミリ単位の変動を広域に見ることができるが、解析のためのテクニックが開発途上で相当な習熟が必要なこと、各回の測定時の軌道位置の関係等の制限もあって、まだ誰でもできる技術ではない。

 それ以上に衛星観測(隔測=REMOTE SENSING、リモセン)のコミュニティーと他の専門分野の研究者の仲がしっくりしていない印象を持っている。すごく残念なことだと思う。宇宙航空研究開発機構(JAXA=ジャクサ)やNASAは衛星を打ち上げるだけでなく、解析技術においてもエキスパートが育っているが、その人たちは僕らから見ると地すべりの知識は中途半端である。リモセンコミュニティー側との共同研究もよく行われているが、完全に満足のいく成果が得られることは多くない。ジャクサなどの政府機関で開発した解析プログラムの使用にも制限が多い。軍事機密にも触れる可能性があるためかもしれないが、有用なものであればもっと広く利用してもらってもいいのではないか。こちらに主導権をとられたくないと思っているのかと勘ぐったこともある。

打破すべきセクショナリズム

研究機関活性化へ政治家は汗をかけ

――それこそ英知を結集するために、政治家が汗をかかないといけない。

 日本人特有のセクショナリズムじゃないかと思う。たとえば地震データの場合、日本には非常にたくさんの地震計のネットワークが運用されている。しかし、データの公開の姿勢やシステム構築では、米国がはるかに先をいっている。

 国内では独立行政法人・防災科学技術研究所が、その地震計網のデータをネットで無条件公開してはいるが、以前はユーザとして登録審査が必要だった。その点、米国の公的機関は税金で取得したデータは、原則全データを無償または最低限の手数料で公開してきた。そうした情報や知に対するオープンな公共性は、見習うべき点だと思う。

――今回の東日本大震災は、地震と津波、原発問題の三重苦だった。それ以上に問題なのは、政治力の問題が浮上したことだ。菅首相は1995年の阪神淡路の教訓からか、すぐに10万人の自衛隊を出動させた。それは評価すべきだと思う。だが、原発処理では、災害を増幅させる人災の側面があったのではないか。

 今回は自衛隊も率先して先に出て行った。そこに問題はなかったと思う。ただ原発事故では、米国の支援を断った。それは東電の意思なのか、官邸の意思なのかはっきりしない。ともあれ現場の危機感が上に伝わっていないのではないかと想像する。現場は絶対、把握しているはずだ。このままほっておいたらどうなるか、所長まで認識していたはずだが、それを本社と共有できなかったように見受けられる。

 官邸が政治主導を高々と掲げているがために、周りが誰も何も進言できない。だから言い尽くされているが、これほどの危機に際して役人のモチベイションは高いはずなのだが、それを活かせられなくなっている。

 大学も似ているところがある。昔は国立だったから、何か問題があっても最終的には国が責任をもってくれると信じ、研究者はある程度リスクを冒しても研究を遂行できた。しかし独立法人化したために、最終責任は総長がとらないといけなくなった。大規模な大学の場合、不祥事毎に総長の首を代える訳にはいかないため、研究者の官僚化と管理が始まった。

 我々の防災研では災害が発生すると、行方不明者捜索が終わってから現地に入り調査を実施するのが普通のスタイルだ。今回のような大規模な災害の場合、その前に医学関係者が医療支援を実施したいとの希望もあった。実際に他大学では、多くの大学病院等の専門家や防災研究者が、直後から現地に入り活動を始めたことが報道されている。

 ところが京都大学では発生直後に全学の職員、学生ともに現地に入ることを原則禁止した。おそらくは放射能汚染の状況が不明な状況下の活動を許せば、後々、訴訟を含め種々のリスクがありますと顧問弁護士が理事会に助言し、理事会がそれに従って全学に通達を出したと思われる。東大、京大規模の大学では常勤だけでも二千人以上の研究者がいるし、研究内容も多岐にわたる。そのバラエティーを把握できていない状態で、法的にはこうしたリスクがあるので、すべての専門家に対し現場に行くことを禁止した。

 それとまったく同じことが、2009年の豚インフルエンザであった。住民一人でも発症した国への渡航が著しく制限された。その年の5月にローマの国連機関における国際会議に出席する予定だったが、その直前に同国内で一人発生した。発症したのは一人だけだったが、それでも行ってはいけないと禁足令が出たのでキャンセルした。

 結局、欠席したのは日本からの参加者だけで、国際的な舞台で日本人は物笑いの種になってしまった経緯がある。