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沖縄地場金融リポート第2弾 本誌編集部特別取材班

「貸しはがし」で沖縄地銀、身売りを強要

金融自由化に門戸を開け

 金融機関は、経済の「血液」だ。酸素と栄養を運び入れ、老廃物を運び出す血流は、流れてこそ意味がある。同じように「金は天下の回り物」であってこそ、産業も経済も人々の生活も成立する。

 それが一部の組織や器官に留まって滞留しているようでは、いろいろな合併症状を呈するのは目に見えている。

 ましてや一時、製造業で世界的な競争力を喪失することで米国が陥った金融主体の経済というのは、心臓肥大と同じで、国家そのものの存立さえ危うくする病的リスクが高いものだ。

 今回、本誌は自見金融相に直接、わが国の「貸しはがし問題」について聞く機会があった。自見大臣は「銀行というのはバランスが大事だ。貸し渋りにあったり、貸しはがしが横行すると国家の経済自体が収縮してしまう」と大局観を述べた後、「中小企業には、いろいろ相談できるコンサルタント機能が必要となる。金融機関にはそのコンサルタント機能がある。金融機関というのは、いろんな企業の栄枯盛衰を見ているし、借り手が波をかぶれば一緒にその波をかぶる立場だ。中小企業金融円滑化法も、中小零細企業に対し、しっかりコンサルタント機能を発揮していただきたいというのが法律を改正した主旨だ」と、2009年の中小企業金融円滑化法と今年3月の同法延長の背景を説明した。

 なるほどバンカーのバンカーたるゆえんはそこにある。金融機関は、磁石のように金が金を呼び込む「打ち出の小槌」を作り上げることが最大の企業目的であってはいけない。あくまで地場企業を育て、そのパイを大きくしていくコンサルタント業を含めたバンカー精神をベースにしたものであるべきだ。

金融庁、「貸しはがし」の相談

 金だけ儲けるのなら、かつてノンバンクに融資して暴利をむさぼったような「銭ゲバ」に成り下がりかねない。戦後、わが国の銀行が、営々と築き上げた金融事業の伝統も、そうした名誉と誇りあるものだったはずだ。それが米国流の強欲資本主義に振り回され、四半期決算の数字だけを追って浮利を求めるようなことになれば、わが国の産業の衰退は目に見えている。

 金融業は、長期的展望と目の前の問題をしっかり見据える「鳥の目と虫の目」があってこそ、産業の後ろ盾としてバンカーとしての役割をこなせる。

 短期的に大金が転がり込むからといって、強制的にM&Aに追い込むというのはいただけない話だ。両者が納得した上ならまだしも、一方的に、債務返還で元金一括返還を迫る貸しはがし行為で、相手を窮地に立たせ、M&Aへと追い込んでいくのも許される行為ではない。

 沖縄の一部企業で起きているこうした貸しはがしによるM&A工作で、地元企業にすれば、親とも頼む銀行に裏切られるのだ。

 なお金融庁の担当者に、古くて新しい問題である「貸しはがし」にどう対処しているのか聞いた。

 担当者は「貸しはがし」そのものの定義がないことから、金融機関への指導に難しい基本問題があることを述べた。

 だが定義が定まらないからといって金融庁は、現実に起きている問題に指をくわえて見ているだけかとただすと、「いや、そういうわけではない」と言う。

 では、どういう風にやっているのか突っこんでみた。

 担当者のいうことには、「貸しはがしの定義がなかろうが、借り手の企業が相談にくれば、案件処理をして相談にのる」というのだ。折りしもモラトリアム法として知られる金融円滑化法が延長されており、中小企業支援に力を入れているというのだ。

 また取り扱い窓口も金融庁だけでなく、信用組合などの所轄官庁である財務局にも窓口があり、地方でもこれらの支部で相談にのっている。

沖縄銀行協会、返済猶予の相談に乗る

 さらに沖縄県銀行協会の担当者は「生存競争が一段と厳しさを増している中、苦しい経営状態に陥っている企業には、借入金の返済が猶予される相談に乗っている」とコメントした。

 昔から言われるように「良い商い」は「良い行い」と一致していなくてはいけない。そうであってこそ、銀行も融資を受けた企業も共に成長するのだ。沖縄の銀行にはこれを胸に刻んで欲しい。単に保身の強欲だけで商いを続けるならば、それはやがて沖縄の金融の破滅にも通ずることになることは目に見えている。

 沖縄の為政者に、再び提言する。金融の自由化、一日も早く沖縄の金融界の門戸を開いて、大手そして各地銀の進出の許可を願いたい。沖縄の中小企業は生存を賭けて金融自由化を願っている。

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