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ペマ・ギャルポのVIP往来

バングラデシュ大使との対談

南、東アジアの接点に

 今回の〝ペマ・ギャルポのVIP往来〟は、2011年2月28日にムジブル・ラーマン・ブヤン駐日バングラデシュ人民共和国特命全権大使を囲んでの朝食会でお話いただいた内容です。(P=ペマ・ギャルポ、大使=ムジブル・ラーマン・ブヤン大使)


日本の国連常任理事国入りを支持

 【P】 大使閣下はバングラデシュの外交官の中では日本に深い関わりを持っておられて、前回私が別の勉強会でお会いした時は公使でおられ、今回は大使に昇格されていらっしゃいます。日本とバングラデシュを結ぶキーパーソンでいらっしゃいますので、この会で皆さんと交流を持っていただければと思っております。

 【大使】 今日はこうして皆さんとお会いできたことを大変光栄に思っております。

 私の名前はムジブル・ラーマン・ブヤンです。名字以外の名前は初代の大統領と同じ名前です。彼は非常に弁舌のたつ人でした。大使として赴任したのは6カ月半前のことで、その前はブータンのバングラデシュ大使を9カ月半務めました。その前は日本の次席公使として3年11カ月駐在しました。その前は極東局長として3年間、バングラデシュの外務省におりました。

 その時に当時の首相と副外務大臣に同行して日本に来ました。私は外交官であります。大学の専門は工学部ですが、国家公務員の試験を受け、オックスフォード大学から外交史の学位をもらいました。またホノルルにあるアジア太平洋センターでも勉強しました。デリーとテヘランの高等弁務官及び大使館に勤めました。以上が私の自己紹介となります。

できれば、皆さんからご質問をいただき、それにお答えしていくという形をとりたいと思います。

 【ゲスト】  バングラデシュの人口は現在どれくらいですか?

 【大使】  今国勢調査中で正確な情報ではないのですが、大体1億5千万人です。

 【ゲスト】  日本にはバングラデシュから留学生はいますか?

 【大使】  以前は沢山いましたが、最近はビザの取得が難しくなり減少傾向にあります。10年ほど前はバングラデシュから多くの留学生が日本に来て、まずは日本語を学びその後は専門職につきました。どの学校でもバングラデシュの学生は優秀だと褒めていただき、そういった教育、研究機関で雇ってもらったりもしていました。

 【ゲスト】  言語は何を話されていますか?

 【大使】  ベンガル語です。

 【ゲスト】  インドの方はベンガル語を理解するのでしょうか?

 【大使】  では、バングラデシュのことを少しお話しましょう。今日は特にバングラデシュについて、またバングラデシュと日本の関係について話をしようと思ってまいりました。なぜならばバングラデシュは我々の期待ほどには日本のメディアで取り上げられていないからです。

 バングラデシュは本来、独自の歴史と文化を持ち、特に詩人を多く生み出したように、とても平和な文化があります。この数年間バングラデシュは社会、経済的に著しい発展を遂げているのですが、それについてはあまり知られていないように思います。人口からいうと、バングラデシュは世界でも大きい国の一つに入ります。ベンガル語という言語を話す人口もかなり大きいものになります。世界全体の中からすると、私どもの経済が占める比重というのは小さいものですが、人口を抜きにしても国土として考えると大きい経済区域でもあります。近隣国が大国ですから、我々の国が小さく見えるのです。

 バングラデシュの歴史は、インド亜大陸の歴史と同様に古いわけです。この大陸の中においてはバングラデシュは最も著名な国だと思います。それは一つにはバングラデシュの教育水準が高く、南アジアにおいて非常に有能な人達を多く輩出したということと、もう一つは南アジアと東アジアを結ぶ接点として両方と関係を持っているということです。バングラデシュは実際、世界の科学の発展に貢献してきているし、また文学においても貢献してきております。

 1971年に我々は、新しい歴史をつくることになりました。その年に独立戦争があり、独立を勝ち取りました。日本は当初から、私達に一つの希望を与えてくれていましたし、モラルサポートも物質的なサポートもして下さいました。それ以来、日本とは非常に親しい関係を維持しております。

 日本とバングラデシュは国旗も似ています。日本は白地に太陽、我々のは緑に太陽があります。日本は6世紀以来、仏教を導入すると同時に南アジアと深い関係ができました。その頃のインドというのは今日の私達のことであり、その辺りから日本との関係は深くなりました。

 独立以来、日本は多大な経済援助をしてくれています。そのお金はバングラデシュの社会的、経済的発展に大きく寄与しました。我々としてもその政府開発援助(ODA)を有効に利用することができ、日本のODAの援助のサクセスストーリーにもなりました。日本は国際協力機構(JICA)の大きな事務所をダッカに置いています。また、貿易においても一番大きなパートナーです。国際問題、国際社会においての活動でも、日本と協力し合って同調することが非常に多くあります。バングラデシュもできるだけ国際平和に貢献しようと努力してまいりました。

 私自身、長い外交官の経歴の中で、二カ国間の問題を主にやってきて、多国間の問題についてはあまり関わってきていないので、ここで国際問題の権威として申し上げることはできませんが、わが国の政府は日本の国連における役割については常に支持をする立場を取っていると思います。日本の常任理事国入りについても、わが国の政府は、何年も前から明確に日本支持を表明しております。

 G4全体については、私はこれだというような情報を持っておりません。日本とバングラデシュの間には政治的には良い関係があるにもかかわらず、経済、特に貿易や投資に関しては期待するような状態にはなっておりません。

投資企業の87%が利益あげる

 しかし、この2年くらい日本の経済界がバングラデシュに興味を示し始めていることは事実です。昨年はバングラデシュから日本への輸出が40%増加、日本からの輸出も50%増となりました。この2年間,日本からビジネスの可能性を探してバングラデシュを訪れる経営者の方々が倍に増えました。我々が発給しているビザは倍になっています。昨年の暮れから夏にかけて,バングラデシュの首相が来日したのですが、彼女の一番の目的は日本からの経済交流、特に投資関係を促進するためでした。

 首相が見えた時に,東京商工会議所とバングラデシュ・日本経済委員会合同の晩餐会が開催されましたが、有料だったにもかかわらず、参加希望者が多くて主催者は一部の希望者に対し断りを入れないといけないほどでした。

 また、首相は大阪でも講演をなさいました。さらにこの2年間でユニクロ、三井、NTTドコモなどの大企業がバングラデシュに入ってきており、ビジネスを始めた人たちの87%が利益を上げております。おそらく、これからも日本の大企業がどんどん進出してくるでしょう。

 日本の日本貿易振興機構(JETRO)などによれば、バングラデシュは日本にとって最も利益の出る国の一つだと言われております。また、日本政策投資銀行(DBJ)の話ではバングラデシュは魅力的な投資先として世界15位に当たるそうです。バングラデシュも外国企業に対し、税金をかけない期間を設けたり、関税を抑えたり等様々な優遇策を講じております。

 それから投資を保護すること、お金の持ち出しも認めるなど、ちゃんとやっております。またあれだけの人口のある国ですから、バングラデシュそのものが大きなマーケットになっています。有能な人材がすぐ確保できることも魅力です。そして、バングラデシュは様々な国との条約に基づいて非関税の対象になっておりますので、バングラデシュで生産したものを輸出するということに対しても有利であります。

日本とEPA前提に交渉

 なによりも、友好的な環境があります。我々はすべての外国と仲良くする全方位外交を展開していますが、特に日本とは非常に友好的です。バングラデシュは毎年、輸出項目を増やしておりますし、高品質の品物が増えております。本来、主な輸出品は麻や皮、海産物でしたが、今は衣類、軽工業品、薬品、セラミック、工芸品など色々なものを輸出しております。さらに、小型、中型の船舶も製造し売り出しており、バイクはマレーシア、アメリカにも輸出しております。

 バングラデシュは環境を重視した生産体制にありますし、ゆくゆくは輸出主導型の経済体制の構築を計画もしています。今回の首相の来日で、日本とバングラデシュ両国の首脳は、先々は経済連携協定(EPA)も結ぶという前提で交渉をして,バングラデシュと日本の経済関係を強化し促進しようということになっております。

 わが政府としては、日本に対し経済特区を提供しようということになっています。法制度が整備され、政策が変わることのないこともお伝えしたいと思います。

 大使館は今日、ここにいらっしゃるようなバングラデシュに関心を持っていただける方のためにありますので、どんどん活用していただけたらと思います。

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