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南シナ海波高し

「核心的利益」として中国が内海化

ASEAN、対中牽制力構築へ

 今年10月にインドネシアの首都ジャカルタで開催される東アジア首脳会議(EAS)に、米露が初参加することになる。これでEASは東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国と日中韓豪印にニュージーランドの16カ国から18カ国に及び、中南米を除くアジア・太平洋地域の主要国首脳が揃(そろ)い踏みすることになる。ASEANの狙いは、経済力だけでなく軍事力増強著しい中国の野心を抑え込むカードを手に入れることだ。


10月開催の東アジア首脳会議

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上海港に停泊する中国艦船

 先だってジャカルタで開催されたASEAN首脳会議の議長声明には、EASの役割に関して「戦略的地政学上の問題を論議する」と盛り込まれた。

 狙いはずばり中国が昨年、南シナ海をチベットや新疆と同列の「核心的利益」だと位置付けたことに対するけん制のメッセージだった。中国は、1989年の天安門事件以来、毎年ほぼ2桁増の軍事費拡大を続け、地域における軍事的プレゼンスは飛び抜けて大きな存在になっている。とりわけ中国人民解放軍は、ステルス機や空母建造計画など威嚇力や攻撃力増強に動いており、周辺国の懸念は増すばかりだ。

 また中国政府は既に、小平が80年代に打ち出した外交方針「韜光養晦(とうこうようかい)」(能力を隠した下手外交路線)を放棄していることから、露骨な武力外交への危惧も高まっている。

 これまでASEANは、隣接する大国・中国との関わり方には神経を使ってきた経緯がある。国内総生産(GDP)で昨年、日本を追い越し世界第2位に浮上した中国の経済的求心力は高い。二十数年前、ルックイースト政策を打ち出して日韓をモデルとした経済成長を遂げたマレーシアは現在、事実上、ルックチャイナに舵(かじ)を切っている。総額7000億円ものラオスへの巨大投資で、中国雲南省昆明からビエンチャンまで高速鉄道敷設に乗りだした中国の存在感は高まるばかりで、これまでラオスへの歴史的な絆や影響力を持ってきたベトナムの影は薄まる一方だ。

 人権を踏みにじる軍事政権だとして欧米諸国から経済制裁を受けてきたミャンマーの後ろ盾になってきた中国は、ラオス同様の7000億円の巨額投資を仕掛けており、同国西部のチャオピューから昆明までを結ぶパイプラインや道路、鉄道建設プロジェクトが進行中だ。他のASEAN各国も、中国とは経済面を中心に協力関係強化を進めざるを得ない状況にある。

 一方で歴史的な教訓や南沙、西沙諸島の領有権問題など力を付けた中国に対する懸念はいまだ大きなものがある。何より「銃口から政権が生まれる」とした毛沢東元国家主席の革命哲学を国家のDNAとして持つ中国は、力の真空状態が生まれるやそのDNAが発動する体質がある国柄だ。南ベトナムから米軍が撤退すると翌年の1973年、直ちに中国はベトナムの西沙諸島に侵攻し実効支配している。また92年の比スービック、クラーク基地からの米軍撤退後、フィリピンが領有権を主張する南沙諸島に侵攻し実効支配に踏み切ってもいる。

 こうした歴史的事実は近隣諸国をして、中国の経済的繁栄のおこぼれにあずかりたいと思わせる一方で、足を一歩踏み外すと奈落の底に突き落とされかねないという安全保障上の懸念も同居させている。

 ASEANとしては加盟国10カ国だけでなく、米露を含めた大国をも関与させることで中国牽制のカードとして、こうした懸念を払拭したいのだ。

 これに対抗して中国は二つのカードを切り返してきている。一つは札束攻勢を伴った東南アジアへの南進であり、一つはASEANそのものへの巧妙な内部介入だ。

 ミャンマーやラオスへの7000億円の投資は先述した通りだが、さらに中国はこのほど、インドネシアにも7000億円の巨大投資を約束している。ただこれに期限が付いていないところがみそで、中国とすればASEAN議長国であるインドネシアの采配次第では、反故(ほご)とは言わなくても先伸ばしにすることが可能だ。いわば中国は、アジア首脳会議の議長国となるインドネシアにニンジンをぶら下げていると言ってもいい。

 こうしたニンジンを蹴ってインドネシアが、アジアの安定と自由に寄与する大局的利益を選択できるのかが、EASの一つの焦点だ。

 またミャンマーは2014年のASEAN議長国に立候補しているが、この背後に中国が糸を引いている可能性も否定できない。

 ミャンマーでは、昨年11月の総選挙を受けてテイン・セイン首相が今春、正式に大統領に就任し新政府を発足させた。テイン氏は軍服を脱ぎ、民族服を着込んで大統領就任式に臨んだ。テイン新大統領とすれば、軍事政権から民生に移管したことを強調したかったもようだ。これまで軍服を着た閣僚が多かったことから新鮮ではあったが、新閣僚や国会のほとんどは、軍閥関係者で占められている。

 ミャンマー新政権の皮袋こそ新しい皮袋だが、中身は古い酒でしかなく、新政権は軍服を脱いだ軍政支配が続く見込みだ。

米露参加で主要国揃い踏み

 欧米諸国の新政権に対する経済制裁も継続されたままだ。だが、皮肉なことに、この経済制裁は一向に効き目がない。最大の理由は、陸続きの隣国・中国やタイ、さらにインドがその穴を埋め、経済制裁の効力を封じるとともに、国際的に孤立しないように助け舟を出しているからだ。近年はロシアもこれに加わっているが、最大の後ろ盾は中国だ。

 例えば欧州連合(EU)の経済制裁の圧力を受けて、ハイネケンが撤退したものの、代わってミャンマーのビール市場を席巻したのは7社に及ぶ中国製ビールだった。また米国は、ヒスイの交易を禁じる制裁措置を取ったが、ヒスイのバイヤーは約9割が香港の宝飾産業界など中国系が占め、実質的な被害はなかった。

 またミャンマーの最大輸入国は中国で、日本からの輸入額の4倍以上だ。チーク材やヒスイをはじめとした宝石などが上昇傾向にある。さらにミャンマーの外国人留学生の筆頭は中国人学生が占めている。そしてミャンマー政府は、中国の新華社通信に記者駐在を認めるなど中国とのパイプは強まるばかりだった。

 結論から言えば、欧米型制裁主義は中国に塩を送るだけだった。中国はマラッカ海峡有事の際、ミャンマーをエネルギー補給路としたい思惑があり、関係強化を進めてきた。中国とすれば、そうしたミャンマーの後ろ盾となっているポジションを活用して、ミャンマーがASEANの議長国になる権利を行使するよう画策し、ASEAN取り込みに動いているとされる。それに成功すれば、中国の核心的利益を担保できると読み込んでいる。

 核心的利益とは、中国が領有権主張で一切の妥協を拒む地域を意味し、中身はずばり「南シナ海」の覇権だ。中国は従来、台湾、チベット、新疆ウイグル自治区を核心的利益としてきた経緯があるが、昨年の温家宝首相が口にした「東シナ海は中国の核心的利益」との言葉以来、これに加わった。

 さすがに米のクリントン国務長官などが公海の自由航行権などを盾に反発したことから、一時的にはトーンダウンしている感もあるが、中国の本音は「南シナ海」の覇権構築であることは明白だ。

 今年7月、インドネシアのバリ島で開催されたASEAN地域フォーラム(ARF)で中国は、南シナ海ガイドライン策定で合意した。これは2002年、ASEANと中国で合意した領有権問題の平和的解決を図ろうという「南シナ海行動宣言」を履行するための具体的な事業指針(ガイドライン)を作ろうというのだ。一見、柔軟路線を選択したように見えるガイドライン検討に動いた中国の真の狙いは、南シナ海問題で米国の介入を排除し、あくまで二国間協議に持ち込むための時間稼ぎに過ぎない。

 南シナ海には南沙諸島があり、中国が実効支配している西沙群島(パラセル群島)や中沙群島とともに南海諸島を形成している。この南沙諸島の領有権を主張しているのは中国、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、台湾などだ。中国は、周辺地域に眠る天然ガスや石油などの海底資源を持続的経済成長を続けるための原資として確保したい意向だ。さらに海南島の三亜基地を母港にした弾道ミサイル原潜を潜らせておく戦略海洋が南シナ海でもある。南シナ海は偵察機や衛星などからの補促を免れる深度をもった海域があり、ICBM(大陸間弾道ミサイル)DF -31(東風)を搭載した原潜を潜ませておく戦略海洋となっている。

 米ロや欧州、日韓印など主要国すべてを射程に収めたミサイルを搭載した原潜は、あちこち動き回る必要はなく、オオサンショウウオのように南シナ海の深海にひっそり潜んでいるだけでいいのだ。この原潜こそは、いざという時のための中国の最終兵器に等しい。やくざの抗争事件でもドスを手にしていれば、そうそううかつには手を出しかねる。ニューヨークのマフィアにしても、相手がマシンガンを手にしていれば、それを上回る武器を準備しないと行動を起こせない。

 中国は武力の効用を熟知している。武器というのは使うためにだけではなく、ただあるというだけで相手を畏怖させ、こちらの政治的要求を飲ませるバーゲニングパワーとしての役割もあるのだ。何より中国は「戦って勝つのは下の下。戦わずして勝つのが最良策」との孫子の兵法の伝統がある国だ。

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