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「警視庁元捜査一課長」述懐の記1 

頭のない女性焼死体事件 交番警察官があげた殊勲

露店で見つけたファッションリング

 今回、登場するのは、警視庁元捜査一課長、K氏である。現役時には、常に捜査の第一線に立ち、数々の難事件を手掛けた、文字通りベテラン中のベテラン、真の刑事(デカ)である。

 かつて手にした事件、あるいは刑事魂について、物静かにではあるが、熱く語る。

──これまで手掛けた捜査の中で、特に印象に残っている事件について、まずはお聞かせください。

 平成8年1月9日、東京・足立区の駐車場で、頭のない黒こげの女性の死体が発見されました。

 検視においても、遺体の焼毀が激しいため、年齢はもとより男女の性別すら判りませんでした。

 司法解剖によっても死因ははっきりせずに、いくつかの痕跡は認められたものの殺人罪を立証できない状況下で捜査を進めることとなりました。

 この事件が、今でも特に印象に残っていますね。その後、この事件は予想もできない展開を見せるのです。

──最初は殺人かどうかもわからない、また被害者の身元すらまったく判らなかったところから捜査は始まった、ということですね。

 そうです。

 その時私は、小岩署に捜査本部を置く、外国人による連続強盗事件を手掛けていたのですが、死体発見の報を受けて、すぐに綾瀬署に(捜査)本部を置き、そちらに移りました。

 この時、私は、ひとつの言葉を胸に抱いて事件に臨んでいました。鑑識課長で私を育ててくれた先輩の一人である故・Yさん(殉職)の言葉です。

 それは、『(被害者の)身元が(事件解決の)ひとつのキー』という言葉です。最初は性別すら判然としなかった被害者の身元を割らなければ、捜査は前に進まない。まさしくYさんの言う通りでした。

 私はとにかく、この被害者の身元を割ることに心も体も砕いたのです。結果、あることをきっかけにして、被害者の身元が浮かび上がり、それがホシ( 犯人)へとつながっていきました。

 まさしく『身元がキー』となったのです。

──その被害者の身元が明らかになる時に、どのようなことがありましたか?

 それはいくつもの点の積み重ねでしたが、特筆すべきことは、捜査本部に入ってもらった綾瀬署の交番勤務の警察官がもってきた貴重な情報のことです。

 その警察官は、それまでいわゆる刑事がするような事件捜査の経験など一切ない人でした。

 交番で道案内をしたり、迷い子を保護したりという、皆さんお馴染みの『町のお巡りさん』でした。

 重大事件が発生し、所轄署に捜査本部を置くと、そのような交番勤務の警察官も本部に所属させることはままあるのです。

 その時も同じように、その警察官を本部に組み入れました。

 そしてあるとき、その警察官が、びっくりするような情報をもたらすのです。

 それはこういう情報でした。

 『被害者が(左中指に)はめていたファッションリングと同種のものが、ある露店の屋台で見つけた!』。

 その警察官は、本部に詰めていましたが、ある休みの時(※本部員でも第一期の捜査期間(当時は20日)を過ぎると、休みを取ることができる)に家族で船橋あたりに潮干狩りに出かけたそうなんです。

 その時、そこに出ていた屋台に並べられていた指輪を見た。いかにも安物の指輪が屋台いっぱいに並べられていた。その警察官は、ピン、ときた。

 『捜査本部で常に見せられている被害者の指にはめられていた指輪と同じものが売られているじゃないか』、と。

 この注意力と〝眼〟こそ、警察官が持つ特殊能力に他ならないのです。

 この警察官が気付いた屋台に並べられていた指輪は、確かに(被害者のものと)同種でした。

 その指輪は、五百円の安物でした。そこで、被害者が生きていた生活レベルが判然としたのです。

 これが捜査上、最も重要な要素のひとつである〝身元の特定〟に直結しました。それまで、まったく捜査の経験のない警察官の確かな〝眼〟が見い出した殊勲でした。

 その警察官は、本部が解かれたあと、いつもの交番勤務に戻り、地域の平和のためにまた自転車にまたがる日々に身を置くのです。

 私は、この警察官が僥倖や偶然でその重要きわまる同種の指輪を発見したとは思っていません。

 それはやはり、捜査本部全員が持っていた事件を何としても解決したい、という〝情熱〟がその警察官の注意力を研ぎ、かつ〝眼〟を養ったと思うのです。そうでなければ、休みの日に見たものなど見過ごしてしまうはずです。いかにベテラン捜査官であっても、捜査本部に宿る〝情熱〟と〝執念〟が燃え立たなければ、休みの日に眼にしたものなどまず見過ごしてしまうでしょうね。

 その時、あの事件で立てられた捜査本部には、〝何としてもこの事件を解決するぞ〟という執念がすべての捜査員に取り憑いていました。

 だからこそ、捜査の経験のない警察官もベテラン捜査官並みの〝眼〟が備わったのです。

 こんなことはなかなかないことです。私の長い捜査経験上でも、いつもあった、ということではありません。

──事件解決への〝執念〟というのは想像もつかないパワーを本部の各員一人一人に備えさせるのですね。

 そういうことです。

 今度はホシの特定に関わることですが、同じような〝情熱〟が取り憑いたとしか思えない、驚くべき展開がありました。

 それは初動捜査時のことです。

 機動捜査隊員が、現場を探索中に、一枚の乾いた布団を見つけ出し持ってきました。正確に言えば、その機動捜査隊員は、一市民よりその布団を寄せられた、ということだったのです。

 その市民は、その隊員に言ったそうです。

 『この布団は濡れていない。事件発見の前日は雨でしたね。この布団は現場付近にあったものですが、これが他の布団のようにホームレスが使ったもののようなものだとしたら、前日の雨で濡れていなければならないはずです。しかし、この布団は濡れていません。何か事件と関係があるのじゃないでしょうか』

 確かに、その布団は濡れていませんでした。

 そして、この市民が言ったように、事件発見の前日は雨が降ったのです。

 この布団には、仰天するような〝証拠〟がきっちりと附着していたのです。

 それは、ホシ特定に結びつく体液だったのです。

 私でさえ、その鑑識結果を聞いたときは、〝まさか〟という思いでした。そして、その市民がもたらしたという証拠物件を改めて見入りました。

 あとになって冷静に考えてみると、これも実は、〝偶然〟などではなく、〝必然〟がもたらせた重要な証拠だった、ということに突き当たるのです。そこにはやはり(捜査)本部に渦巻く、事件解決への〝執念〟が形になって持ってきたものだったのです。

 その布団を持ってきた市民の〝炯眼〟には、驚かされますが、その協力はどこから来たものでしょう。

 それは事件発生から休むことなく、また飽くことなく、現場を丹念に探索していた機動捜査隊員の〝情熱〟がその市民に協力を仰がせたものに他ならないのです。

 その市民も、いい加減な探索をしている捜査員を見ても、決して協力をしなかったはずです。

 来る日も来る日も無駄とも思えるような探索を繰り返していたからこそ、その市民は自分の〝見解〟とともにその布団を持ってきたのです。

 いい加減な探索をしている捜査員に誰が協力をするものでしょうか?

 協力をしたところで、結局、おざなりにされることがわかっているようだったら、誰も面倒な思いをして、協力などしないでしょう。

 捜査員の熱心な探索は、きっと自分の持ってきたものを大事にしてくれるだろう、そしてやがてはそれが事件解決の糸口となるのではないだろうか、そんな思いが、市民に協力をさせたはずです。

 実際、この協力は、大変な資料を本部にもたらせました。この証拠品の価値はまさしく値千金だったのです。

 これはやはり〝偶然〟などではありません。〝必然〟だったのですね。

 捜査というものは、いつもこの積み重ねがその結果を出すものです。決して一足飛びに解決に繋がるなどという、〝僥倖〟はあり得ません。

 あるとすれば、それは〝必然〟によるものです。必然は、本部の〝情熱〟以外に生まれるものではないのです。

──捜査というものは、すなわち〝必然〟の積み重ねによって、事件解決まで突き進んで行く、そういうことなんでしょうか。

 そういうことです。

 しかしその必然は、捜査員全体の〝情熱〟によってしか生まれてこない。これがやがては捜査員達に、〝捜査上の筋力〟というものを育んでいくのです。

 本件では、事件解決への〝情熱〟が産んだ挿話が、まだまだいくつもありました。

 被疑者には必ず、〝支援者〟という存在があります。つまり、被疑者側に立った人、ということですが、例えば親族であるとか、友人知人といった類の人達を指します。

 彼ら支援者達は、多くの場合、被疑者をかばうあまり、警察を敵視することになります。

 時には支援者らは、直接警察に抗議に来たりもするのです。

 『無辜の者を犯罪者扱いするな』、ということですね。

 本件でも、そんな支援者がいました。私は捜査本部に、そんな支援者の存在を恐れてはいけない、ということを言い続けました。

 支援者の抵抗があまりに激しく、時には捜査全体がひるんでしまうケースを眼にしているからです。

 支援者がいるからといって、決して〝情熱〟の火を落とすな、いつも心の中で叫んでいました。あの時は他の捜査員も同じだったでしょう。皆、歯を食いしばって、ひるむ気持ちを奮い立たせていた。

 そうしたら、あるとき、その支援者の自宅にホシが、芝生をせっせと運んでいるところを現認したのです。いうまでもなく、その行為がホシを決定づける要素のひとつになったのです!

 立ちふさがる障壁は一つ一つ丹念に取り除く。〝情熱〟はそれをさせます。

  
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 この事件は、その後、前代未聞の展開を見せながら、やがて解決へと繋がっていく。

 その様はまるで、ジェットコースターに乗っているような思いにさせられる。捜査の現場とはかくもダイナミックでかつドラマティックなものなのか。

 敏腕捜査官の貴重で悽愴(せいそう)な話は、さらに次号に続く。

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