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インタビュー 三重県松阪市市長 山中光茂氏に聞く  (上)

政治家は「不作為の責任」を取れ

政治屋養成塾に堕した松下政経塾

 三重県松阪市市長の山中光茂氏は慶応大学法学部卒業後、群馬大学医学部に学士入学し医師免許を取得するという異色の学歴をもっている。さらに異色なのは学生時代、東京・新宿歌舞伎町のキャバクラ嬢スカウトマンとして働いていたバイト経歴だ。だが、この水商売のバイトで培われたマネージメントと対人対応能力こそは、市職員の能力を引き出す上で大きな資産となったと言う。特異な世界を知る山中市長に「政治と人生」を語ってもらった。


学生時代は歌舞伎町のスカウトマン

──学生時代は、新宿のスカウトマンだったと聞いた。

 5年間、歌舞伎町でスカウトしていた。年収も今の給料よりも高いものだった。当時1500万円位はもらっていた。段々、ランクアップする中で、スカウトの中心的存在でもあった。

──組織していたのか。

 自分が経営したりとかまったく無く、あくまで雇われの身だった。キャバクラ譲をスカウトして、雇われでマネージメントもするようになると歩合制の中で、だんだんスカウトマンの中心になっていった。当時は、そういう世界では有名だった。

──学生でしたよね。

 一年は休学扱いで休んでたけど、学生時代はすべてスカウトマンとしてやっていた。

 家が貧しくお金がまったく無かったので、大学の授業料は無料にしてもらっていた。親が働いていなかったので奨学金ももらっていた。

 何か稼がないかんという時、友人のつてを使って、スカウトの世界に飛び込んだのが始まりだった。大学の勉強もしたかったし、ダブルスクールにも行きたかった。

──他の学校にも?

 早稲田公務員セミナーというところに行っていた。当初は外交官志望で外務省に入りたかった。水商売の世界に足を突っ込んだのは、正直言うと、人生経験どうのこうのというより、お金が無いという切実な中で、ぎりぎり生きるための手段でしかなかった。当時は一日、2時間、3時間寝られればいいほうだった。

──よくそれで勉強が続いたものだ。逆に勉強はできた。

 夜の仕事を終えて帰ってきて、朝4時位からAMPM のイートインのコーナーでパンと野菜ジュースを買って、それから3時間ぐらいは勉強していた。法律とか経済の勉強をしながら、キャバクラのスカウトしながら、大学もまじめに授業に出ていて、結構、今にはないハングリーに生きていた。

 その当時と比べると、今の自分は情けない限りだ。

──あくまで夢があって、外交官になろうというのがエネルギー源だったのか。

 外交官というのは一つの手段だった。あくまで途上国の問題に携わりたいというのが自分の原点だ。外交官になりたいというよりは、当時からアムネスティーインターナショナルとか孤児院でのボランティアとか、いろいろやっていた。

 今でもそうだ。地球の裏側の問題に携わるというのが、ライフワークだ。その中で、キャバクラのスカウトをやっていて、いろんな方々と交渉せざるを得ない中、今でもそうだが何も恐れない腹だけは据わっていた。

 自分は高校時代に、自殺を図ったこともある自殺願望者だった。だが、キャバクラの世界、リスキーな水商売の世界に入って、「何かあったら命を落としてもええわ」という覚悟でやっていた。

 今でもそういうところがあって、余り怖いものがない。命を掛けながら生きていかないと、自分自身が何の為に生きているのか分からないことになりかねない。常に命をかけながら、命を活かすために生きていたつもりだし、今も同じだ。

 ホスト、キャバクラといった水商売は、いろんな部分で甘い世界に思えるが、結構、ずぶずぶの世界なので、そういう経験ができたことはいい経験になった。

 いろんな業界、団体の方々とのつきあいがあった。島田伸介さんではないが、やくざの方とつきあわせてもらったこともある。だけど自分は引かないところがあって、危ない環境にあっても、媚びない、へつらわない、毅然として交渉するというのは日常的なあり方だった。

 人に対して、優しくあるところ、厳しくあるところ、強くあるところ、本当にそういうのが、若い時の経験というか、立場に立てたところが、大きな遺産になったように思う。

政治はやらないことの責任を考えるべき

 アフリカには途上国支援という形で10カ国ぐらい行った。アフリカやアジアなど今でも関わっている。その後も、岡田克也さんにアフリカのNPO現場に連れて行ってくれと言われて、一緒に行ったこともあった。4年前、ケニアに行った時は、自分が案内人だった。

 アフリカで医療活動を一年間していた。水も電気もなく、エイズ罹患率40%という地域で一年間、過ごした。水商売も同じで、今を精一杯、生きている方々というのは、政治などどうでもいい。現場では、政治というのは本当にどうでもいい。政治というのは、あって当たり前のものであって、逆に無いときに問題が生じたりとか、現実が崩れないようにするためのものだと自分は思っている。政治はどうでもいいけど、大事なものだ。

──矛盾する表現だけど、政治が水や空気、安全保障みたいなものだという意味では同感だ。

 本当にそう思う。南アフリカにもいたが、政治が壊した傷跡を現場で回復するというのはほとんど不可能だ。例えば差別であるとか戦争でもそうだが、政治で回復するのは不可能だ。だから、政治が普遍的な現実を壊してしまわないようにすることはすごく大事だ。壊してしまってからだと、取り返すのは大変なことになる。

 その意味で、私は「不作為の義務」というものがあると思っている。やらないことの責任を、政治は考えなさすぎると思っている。菅政権が典型的だったと思うが、私はやりました、やりました、一杯やりましたと言うけど、やらなかったことの検証というのがメディアも弱い。

 やったことや余計なことを言った時には、徹底して叩く一方、やらないことの検証というのはメディアは余りしない。正直、現場から見ていると、今の政治というのは、アホなことを言っている野党も与党もどうかと思うし、やっていない責任の方が重いと思っている。

 完全に機能停止をしていて、政治的空白を作らないのどうのこうのと言っていること自体が、政治空白を作っている気がしていて、そこを突かない。献金が出たら、献金で大騒ぎをする。失言したら、そこでも大騒ぎをする。政治空白ということでは、メディアもそれを作り出している責任者で、それこそが「メディアの凋落」だと思っている。

 田沼意次ではないが、賄賂をもらって悪いことをやっていても、結果を残していれば、それで良しとされる世界だ。政治は結果責任だと私は思う。清廉潔白でも何もしない政治家というのはどうしようもない。

 私は菅さんも野田さんも人格が悪いと思ったことはない。単に無能で無責任なだけだと思っていて、やっぱり結果を残して現場に初めて反映される。

 水商売の中にいたり、南アフリカなど差別の現実に遭遇する中にいると、政治の役割というのは何かと立ち返って考える契機となり、逆に政治の世界に入ってみようという気になった。

 キャバクラのスカウトしても、アフリカにしても、突き詰めれば政治というのは何かということに行き着いた。いろんな現象というのが、結局、政治の後始末だったりとか、政治がやっていないからこそ、政治の役割を思い知らされたからだ。それが政治の世界に足を踏み入れる契機となった。

 だから、そうした裏世界がなければ、この世界にはいなかっただろうと思う。

──新宿の裏社会や不作為のアフリカ、そういうことを知っているからこそ、今の政治を大きなキャンパスの中で見てとれるということか。

 自分自身が、大きく見えているかどうか分からないが、少なくとも政治ができることを、やっていないという現実だけは、よく分かる。

 市行政でも職員というのはミスを恐れるものだ。これまで通りやったら、間違いがないことばかりだ。やらないことというのは、行政の世界では悪い評価を受けない。国政も見ていて、財務省主導だなというのは、メディアに関わらなくても伝わってくる。本当に政治主導でやることはあるはずだが、官僚組織に民主党政権は一切、踏み込んでいない。

──民主党政権は政治主導というけど、官僚を使いきれていない問題がある。官僚というのは基本的に愛国者だし、エネルギーを付与し政治家が骨を拾ってやる覚悟さえみせれば、能力を全開して対応してくる組織だ。

 正直、自民党時代に官僚を使っていたというのは、利害関係であるとか、ちょっとした問題に対して、うまく官僚を使って、というのはあったとしても、大きな意味の政治主導だったかというと、基本は官僚主導だったと思う。その良し悪しは別として、ポイントポイントでは、官僚を生かした部分はあった。

 しかし、民主党政権になって、原口さんとかが典型だったけど、行政のトップとして大臣が言うだけ言って、総務省のホームページに掲載されていたことが、一カ月後や数カ月後に覆っているケースが多くなった。

 大臣は言うだけで、官僚組織にやらせる能力、使う能力が全くない。政治主導というのは、言うだけ言って自己満足して、いつの間にか知らないうちに世間も忘れてしまっている。地方自治体というのは、大臣が言ったことを詳細に受け止めて、それで判断しようとする。小宮山洋子さんも、そういうところがある。小宮山さんも副大臣時代に「子供子育てシステム」だとか、無責任に言い切ったことで、地方は影響を受けた。民主党政権になってから、バックボーンもないまま思いつきで言ったりすることが頻発するようになった。

官僚組織へのマネージメント能力がない

 最近は信用もしていないが、官僚組織に対してマネージメントする能力がないというのは政治家として致命的だ。それが大臣の発言の軽さにつながっているように思う。

 松阪市にしても、市長が言う言葉と、官僚が言う言葉は同じだ。市長というのはぽんと言っているようで、詰めに詰めて発言している。あるいは必ずやってもらえるという確信があってから言う。

 橋下さんとか河村さんは知らないが、煽るためにあえて先走って意識的に言う時はあっても、それ以外は詰めに詰めて相互に理解し納得した上で話をしている。

 民主党というのはそれが全くない。

──失望された民主党。しかし、一方で期待されない自民党でもある。こうした政治の閉塞感を打破するには、どうすればいいのか。再編なのか。

 今の国政に対して何かやろうという人がいない中での再編は意味がない。要は何を目的に再編するかだ。今の政治家は何をしたいのかが見えない。例えば、民主党の中でも全く意見の違う方々が、いろいろと分かれている。思想信条というよりは、政策が違う方々が分かれている。

 例えばTPPにおいても、野田さんは無責任だと思うのは、集団的自衛権においてもそうだが、TPPも集団的自衛権も、やるのはいい。だが、それならちゃんと議論しないといけない。どちらも国民生活や外交政策においても影響力が大きく大事な案件であり、議論から逃げてはいけない。

 それがTPPにしても単に農作物だけではなくて、多分、民主党は農業団体から支援を受ける中で農業ばかりに頭が行っていると思うが、海外から商社やサービス、金融事業が入ってくるなど、現実への影響力を徹底して、議員に役割分担させて調べさせて討議をして、必要性と覚悟を醸成するのが政治の役割のはずだ。

 アホな国会議員が700人、800人いる。いるのはいるでええですが、それだったら役割分担をして政策で争わないと、党内融和とか連立というのは意味がないと正直思っている。

 政策の軸がないままでは、何のための連立なのか、全く分からなくなる。変な話、政権をとっていれば、連立しなくても党内融和を図らなくても、いいことを国民に対して示して、一人でも説得力があるならば、誰も否定できない。それがないから批判されたり、否定されるのであって、正しいことが言える独裁者になればいいと思う。それがアホな独裁者だと、融和をしないとやっていけない。

 私は独裁的に行くべきだと思う。政策独裁で行くべきだ。それを出して、国民の判断にゆだねて選挙をするなりして行かないと、融和とか連立しても、意見が違う方々が表面的な政局観だけでまとまるのは本当に不毛だと思う。

 再編というなら、集団的自衛権を認めるのか、国家の自立を目指すのか、それこそ過保護な福祉政策を重点的に置くのか、財政再建するのか、増税するのか、完全な指針の下に政策再編するのが大事だと思う。

──最近の永田町をどう見ているのか。国政に携わっている人というのは、権力をもっている緊張感が恐ろしくない。

 私は政経塾出身なのだが、政経塾が大嫌いで、批判的だ。3年前から塾員会費も払っていない。

 幕末時代の良し悪しは別にして、あの頃はあの頃で、現実を権力で動かしていかないといけないものがあったし、変えていくパワーもあった。だが、今の人は坂の上の雲のようなふわふわしたものを、雲でしかないものを追ってばかりで、現場に対して権力を持ちあわせているのに、それを活用していない。無能というか無責任とさえ感じる。

 鉢呂さんの失言問題にしても、失言の幼稚さは別にして、トップじゃないですか。行政のトップになった人が、人を傷つけたからとか、言ってしまったことが辞める根拠になるのか。その軽さを感じる。

 変な話ですが、市長というのも人を傷つけて回っているようなものだ。権力を扱うというのは、判断をして発言にしても行動にしても、現場に対して影響力を行使し、市民に対しても影響を与える。行政のトップに立つということは、それだけの権力をもっているし、総理大臣ならなおさらだ。

 それが政局の中での一人の政治屋でしかない方々ばかりだ。国会議員というのは10分の1以下でいいと個人的には思う。政治家の小粒化現象というより、これがしたいという人がいないのだと思う。

──パッションがないということでは、菅政権が典型的だった。

 パッションもビジョンもなかった。

松下政経塾では多様な価値観が育たない

─政経塾は、そこらあたりの教育はあったのではないか。

 野田、前田さんとも酒を飲んだこともある。政経塾には2つ悪いところがあると思っている。1つは政治家になって、何かを変えなくてはいけないという漠然とした理念型になっていること。現場を見ていない人が多い。現場を見て政治家になりたいというより、今の政治が悪い気がするから、自分たちだったら何かできるという観念型というかシンデレラ現象がある。御伽噺の世界とか、司馬遼太郎ゾーンに入っているだけなのだ。勝谷誠彦さんが『坂の上のバカ』という本を書いているけれど、「坂の上のバカ」が多い。どっちかというと、理想だけを追っていて、ヒーロー指向型で自分だと何かできるだろうというヒロイズムがある。現場で求められているから手段として政治、というわけではない。

 自分たちが政治の世界でクリーンで人格もあって、知識もあって、そういう自分たちが行けば、何か変わるだろう。何かできるだろうといった感覚だ。中田宏さんとか、山田宏前杉並区長とかその典型だ。

 前原、野田さん、中田、山田さんは、そういうグループの典型だ。樽床さんも含めて。人格も悪くない。人間性も非常にいい方々が多いのだが、何をしたいとか何としようとかという覚悟や気持ちは全く感じられなかった。

 政経塾の右翼化はいいですが、来る方が偏ってしまう。いろんな思想が出てくるのはいいが、前原さんとか野田さんと価値観が悪いとかいいとかではなくて、他を認める寛容性が全くない。

 私は右でも左でも前でも、まったくこだわらない。ただイメージとして政経塾というと、右寄りだと見られてしまいがちだ。その理由が岡崎久彦、中西輝政さんとか、ええ方なんだが、堺屋太一さんなど同じゾーンにいる人だけを寄せるので、他の価値観からそういう人たちを評価できない側面がある。多様な価値観を育成する場所ではない。どこのゾーンにいても寛容さがないというか、結構、山井和則(やまのいかずのり)さんとか、左寄りだと言われるが、右とか左とか価値観だけでとらわれている人が多い。

 政経塾にいると、保守とか革新とか言葉遊びをする傾向がある。そうした言葉遊びで、現実から乖離してしまうという問題がある。

──野田政権には政経塾出身者は一杯いるし、新しい政治を起こす風にもなれると思うが。

 私は政経塾は、失敗していると思う。野田総理を政経塾から出したことを評価する人がいるが、総理大臣を出すとか、政治家を出すのに汲々としている団体だと思う。私は24期生だったが、私がいる頃からそうだった。

 私は政治活動とか選挙活動には、ほとんど携わらなかった。研修で無理やり入れられたとこだけは行ったものの、ほとんどの方が年がら年中、政治家の選挙活動に放り込まれていた。本当に選挙に勝って、政治家になってナンボのものやという世界だった。

 政治家としてのノウハウや、政治家としてのあり方とか、選挙に勝つための手法を学ぶ一方で、松下幸之助さんは現地現場主義というのを言われるが、人に寄り添う考え方とか教育とか議論ができる空間ではない気がする。

 松下さん自身は現場主義の人で尊敬するが、今の諸先輩方であるとか、卒業生や現役の方々と話すと、非常に現場から乖離した人が多い。その意味では、政治屋養成塾になってしまった感が強い。

──間もなく松坂市でブランドサミットが開かれる。

 ワタミの渡辺美樹さんも来ていただいて11月4、5、6と3日間、開催する。11月4日にまず、40ぐらいの自治体に関わってもらおうとしている。松阪市が事務局を担当した地域ブランド連携協議会というのを立ち上げ、特に若手首長を中心に、これまで国とか農水省とかに働きかけていた経緯がある。ブランドの商標問題であったりとか、ブランドの認証制度とか国レベルで一回やってくれということで、有田みかんの有田市とか宇治茶の宇治市とか最初から言っていたものだ。国の外交が弱いので海外商標とかの対応などができない状況があるため、地域ブランドをかかえる自治体が集まって、お金も持ち寄って事務局を作り、海外戦略であるとか地域のブランド認証制度であるとか、アンテナショップとかホームページとか、そういうのを含めたブランド振興を自治体連携でやっていこうとしている。

【プロフィール】やまなか みつしげ
三重県松阪市生まれ。梅村学園三重高校から慶應義塾大学法学部へ進み卒業。その後群馬大学医学部に学士入学し卒業、医師免許取得。2004年(平成16年)から「NPO法人少年ケニアの友」の医療担当専門員となり、ケニアにおけるエイズプロジェクトを立ち上げなどに関わる。松下政経塾24期生。民主党の三重県総支部連合や伊藤忠治衆議院議員事務所の研修生として政治活動を始め、07年(平成19年)に三重県議会議員に立候補し、当選。09年(平成21年)の松阪市長選挙で当選。35歳。

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