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沖縄の基地問題を考える

下地常雄(日本経営者同友会会長) に聞く

〝賛成派〟〝反対派〟双方の意見を聞き議論するのが民主主義だ

 今秋、誕生したばかりの野田政権は、川端達夫総務相兼沖縄北方担当相、一川保雄防衛相、玄場光一郎外相の3閣僚を沖縄に立て続けて投入した。米国の不信を買っている米軍普天間飛行場移設問題を何とかしたいとの意欲をみせたものの、混迷ぶりは相変わらずだ。普天間問題はどう解決すればいいのか、沖縄・宮古島出身の下地常雄・日本経営者同友会会長に聞いた。下地会長はASEAN協会理事など各方面で精力的に活躍している。

──11月に豪州を訪問したオバマ米大統領は、アジア太平洋を最重要地域と位置づけ、この地域で米国の役割を長期にわたって拡大していく方針を明らかにした。

下地 その意味でも西太平洋最大の米軍基地がある沖縄の地政学的重要性は高まるばかりだ。

──だが普天間問題はずるずると長引くだけで、一向に解決の兆しが見えない。

下地 事の発端は鳩山元首相が、昨年5月までという公約を果たせなかったことだ。基地問題をここまでこじらせて、日米関係に波風を立たせてしまっただけでなく、沖縄県民の不信を増幅させてしまった。

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下地会長(右)とマケイン元上院議員

 鳩山元首相は普天間飛行場を鹿児島県徳之島へ移設する県外移設案で乗り切ろうとしたものの、米国は地元の了解を取り付けられないままでは駄目だと拒否した経緯があるが、まずその基本姿勢に誤りがあった。鳩山元首相は、地元に図ることなく頭越しで、米国の了解を取り付けようとして失敗した。さらに、徳之島の島を挙げた反対運動で同案廃棄へ駄目押しされた格好だ。

 今の時代、国が決めた安全保障政策を一方的に地元に申し渡す姿勢では成功しない。

 ただ沖縄住民の姿勢も問題なしとはいえない。

 基地反対というけれども、賛成するかどうかは別として、基地に依存して生活している観点からものを言う人はだれもいないというのはおかしい。

 基地が無くなれば失業する人たちが出てくる。そうした人々のための雇用確保といった失業者対策や景気振興策など、地域の経済も考えないとバランスを欠く。基地対策費など予算がたくさんつくが、そうした失業者に還元するための予算ではないのが現実だ。こういった議論をこれまで、全くしてこなかった。ただ基地反対というスローガンだけの運動に過ぎない側面があったことは反省しないといけない。

 例えば、米軍の町だったコザ市も、今では米軍撤退でスラムみたいに変わり果てている。基地に依存してきた人たちは、商売上がったりだ。

──敗戦から今日まで、沖縄は過去の傷を負ったままだったとも言える。 

下地 いつまでも戦争の被害者意識を持ち続けるのは問題だ。そうしたマイナス感情をずっと引きずり続けて、良いことは何一つない。そろそろ卒業すべきだ。そうでないと、最終的には負け犬になってしまう。

 沖縄では他人が偉くなるのを嫌う。「隣に蔵が立つと、わしゃ腹が立つ」といった具合だ。しかし、こうした貧しい心象風景は、社会の発展や進化を期待できるプラス要素すらも排除してしまう危険性がある。

 私の出身地は宮古島だが、米軍基地候補地として何で諸手をあげて誘致しなのかと思う。企業誘致とすれば、これほど条件の良い誘致はないはずだ。

 まず、この時代、米国に戦争を仕掛ける国はない。むしろ、カウンター力としての基地があることで、逆に戦争リスクが減ることも想定される。

 基地反対論者の中に、犯罪が起きるという懸念も根強いものがある。しかし、何千人という駐留兵士が生活すれば、たまには犯罪が起きるのは当たり前のことだ。それでも町ができ、多様な人々の交流によって醸成される文化が生まれ、市の活性化には大いに貢献すると思う。

──沖縄ではずっと、駐留米軍の違法行為に神経を尖らせてきた経緯がある。

下地 犯罪の問題だが、日米地位協定に対する基本的な誤解があるように思う。この協定は、そもそも「日本と米国の地位」を定めたものではなく、「在日米軍が日本でどういった法的地位にあるか」を定めたものだ。

 多くの人々は、在日米軍が優越的特権を持っているように思っているが実は逆だ。

 独では、「米独地位協定」によって基本的に米国軍法が適用されるが、日本では公務執行中を例外として基本的に日本の法律が適用され、日本の裁判所で裁かれる。

 ともあれ普通だったら賛成、反対の双方の意見があるものだ。

 しかし、沖縄では基地に賛成といえば悪人みたいに扱われる「圧力」が厳然として存在する。反対の人も自由に自分の意見を述べられるようになることが必要だ。

 この点、マスコミはこうしたことを煽動した〝戦犯〟だ。

 賛成派と反対派が冷静に議論できるのが、民主主義だと思う。マスコミは、賛成派の意見も聞く責任があると思う。個別に会えば、賛成という意見の人も少なからずいる。

 基地問題というのは、沖縄の人にとってみれば大きな問題だけれど、米国にしたら普天間の一部の基地がどこに移転するかとか、正直、ちっちゃな問題だ。

 これは日本のマスコミが悪い。一部に過ぎない局部をことさら肥大化させて描く春画にも似た針小棒大主義の報道姿勢こそが問われるべきだ。

 それに外務省だ。日本政府が移転費から宿舎の建築費まで、全部負担する。金も全部出した上で、どう思いますかとお伺いをたてるというのもどうかと思う。

 いやならうちはやらないよと、筋道立ててピシッとものが言える政治家が必要だと思う。これは米国のためにも良いと思う。

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下地会長(右)とサイパンのフィティアル知事

──戦後の沖縄の自縄自縛的な政治風土を変えないといけない。

下地 ともかく、沖縄では何かことを興そうと思うと、どういうわけか、まず反対から入る。

 普天間飛行場の代替基地候補としての名護市の意見を求めても、全員反対だった。

 私の気持ちとしては、何とか宮古島に来てほしいと思って宮古島に行った。島の経済の活性化をいうなら、これほどの最高条件での企業誘致はない。何千億円ものキャッシュが転がり込むだけでなく、こちら側からいろんな条件が言える立場だ。しかし、関係者を訪ねても、だれも首を縦に振ろうとしなかった。

 そこでやむなく、昨年2月にサイパンに飛んで、米自治領北マリアナ諸島のフィティアル知事と会って、基地受け入れを了解してもらう交渉に入った。

 社民党の阿部知子政審会長や国民新党の下地幹郎政調会長(当時)らが昨年2月に、サイパン入りし、フィティアル知事から、米軍普天間飛行場の同諸島への移設を受け入れる意向を引き出したのはマスコミが報じた通りだ。フィティアル知事は米政府の認可を条件としながら、「航空、陸上、後方支援の部隊を含む普天間基地すべての役割を将来は代替してもいい」とコメントしている。

──過去、沖縄に心血を注いだ大物政治家は何人もいた。

下地 まずは1947年、戦後初めて沖縄人連盟を代表して沖縄を訪問し、沖縄県民から大歓迎を受けた稲嶺一郎氏は生涯、沖縄復興に全力を尽くし、沖縄保守勢力の中心軸として活躍された。元首相の小渕恵三氏も、沖縄への思い入れには深いものがあるが、学生時代、稲嶺一郎氏の東京の家に下宿していて、多分に稲嶺氏から薫陶を受けたと理解できる。

 なお、初代沖縄開発庁長官を務めたのは、命惜しまぬ鹿児島の侍である山中貞則氏だった。薩摩藩による琉球侵攻の歴史について「鹿児島の人間として知らぬ顔で過ごすことはできない」として、祖国復帰に大車輪の働きをした後、山中氏は電気も水もない島ちゃび(離島区)の克服に尽力した経緯がある。山中氏は2003年12月に、初めての名誉沖縄県民となり、沖縄の羅針盤として期待されていたが半年後、死去した。

 その山中氏の後継者として、下地幹郎衆議院議員がいる。山中氏の弟子みたいな立場だ。

 米軍普天間飛行場返還合意を米国から取り付けたのは、「沖縄は内閣の最重要課題だ」として政権の総力を挙げて取り組んだ橋本龍太郎氏だった。その橋本政権時代、官房長官・沖縄担当大臣だった梶山静六氏は、「沖縄が私の死に場所だ」とも語ったほど沖縄への思い入れは深かった。

 今の政治家に、こうした仰ぎ見る嶺々を構築する人間山脈に、心情において繋がる人物が乏しいことこそが、わが国の政治の貧困を招いている元凶でもある。

 二世議員が跳梁跋扈する今の永田町では、そつなく丸くまとまってはいるものの、アジアを俯瞰し歴史を背負って立つダイナミックな政治家が見あたらなくなった。御身可愛さだけで、損得を抜きにして国のために汗を流す「井戸塀政治家」など皆無に等しい。

 普天間問題は、こうした現在の薄っぺらな政治家の質を浮き彫りにした側面がある。アジアが歴史的な大潮流に飲み込まれるような時代に入った現在、大局観のあるダイナミックな政治家が現れることを期待したい。

【プロフィール】しもじ つねお
1944 年、沖縄宮古島生まれ。77 年、日本経営者同友会設立。93 年、ASEAN協会代表理事に就任。

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