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『暴対法改正』に反対する表現者の会」が共同声明

暴力団排除条例は「自由の死」を意味

 

 「『暴力団排除条例』の廃止を求め、『暴対法改正』に反対する表現者の会」が1月24日、参議院議員会館で共同声明を発表した。声明の中で作家の宮崎学氏らは、暴力団排除条例は表現者としての存在理由を否定し、「『自由の死』を意味する」ものであるとした。参加者はジャーナリストの田原総一朗氏や作家の辻井喬氏、宮崎学氏、評論家の西部邁氏、佐高信氏、司会はジャーナリストの青木理氏。元・外務官僚の佐藤優氏はフロアから参加した。


辻井喬 サラリーマン社会というのは基本的に暴力に弱い。ただ、それを法律で守るというのは勘弁してもらいたい。ただ行政を煩雑にするだけだ。

西部邁 過剰な民主主義というのは、多数決で事を決し、少数派は排除される。ただ多数決で排除されたものは、いじめの構造と同じで人間性において問題がある。時にそれは陰惨な形態までとる。わが国は、民主主義の毒水をすすりすぎた。

 暴力団というレッテルを貼って排除するというのは、精神的に児戯に類した事柄だ。結論として、暴力団の意見を聞いたらいいわけではないが、少数派に正しい意見があるかもしれない。少数派の意見を聞いて多数派の意見を修正する討論の場が必要だ。日本列島には、こうした議論が消えている。その一環として暴力団排除条例というのは、うなずくこともできない。

佐高信 経済の専門家は総会屋なんぞなくせばいいという。だが、総会屋というのは会社が変なことをやっているから出てくる。そもそも善悪の判断の根拠が違っている。

 北朝鮮にはやくざがいない。だったら北はいい国といえるのか。無菌社会というのは弱い社会だ。ばい菌というとあれだが、そういうものがあって鍛えられてくる。

 毒と薬は裏腹だ。出発点の考え方がおかしい。(暴力団排除条例や暴対法改正は)エリート官僚の考え方だ。

田原総一朗 FBI長官だったフーバーは77歳で死ぬまで長官を務めた。48年間、つまり半世紀にわたってFBI長官を務め、FBIの独裁者であり続けた。その間、8人の大統領に仕えた。

 フーバーがまだ若い頃、司法長官の家が共産系の過激派によって爆破されるという事件が起きた。事件現場に駆けつけた彼は、破壊された建物を見て怒りが込み上げ、正義感に燃える。その後、あらゆる手を使って左翼過激派を殲滅する。司法長官はその働きを見てフーバーを抜擢しFBI初代長官に就任した経緯がある。

 歴代大統領は彼の能力と手腕を買っていた。だが、どの大統領も彼を信頼していたからクビにしなかったわけではない。誰もクビにできなかったのだ。

 フーバーは歴代大統領のプライバシーを徹底的に調べ上げて弱みを握り、極秘ファイルをつくった。フーバーをクビにしようものなら、その極秘ファイルをもとにスキャンダルが表沙汰にされてしまう。誰もがそれを恐れた。

 「アメリカの平和と安定を守る」という強い正義感ゆえに、謀略を尽くし、法をねじ曲げ、そして相手を陥れながらも突っ走る。信念に裏打ちされた正義感が彼をそうさせた。

 アメリカで一番恐れられた男フーバーを見ると、正義感とはかくも危険なものかと思わざるを得ない。

 過去の事件で言えば、ロッキード事件の田中角栄元首相もリクルート事件の江副浩正氏も、私は冤罪だと思っている。

 冤罪事件の背景には、検察や警察の正義感がある。「悪い奴はやっつけろ」「徹底的にやっつけるためには何をしてもよい」。まさにフーバーのやり方で、こうした価値観はとても危ないものだ。

 昨年8月に島田紳助氏が芸能界を引退したが、彼は法律違反に当たることはやっていない。暴力団との関係を非難する流れが一度できると、メディアはそれに乗って一方的に批判する。これも先入観と行き過ぎた正義感によるもので、とても危険だ。

宮崎学 ここ10年くらいの暴力の現場というと殺人事件になると思うが、年間約1000件発生している殺人事件で50%台を常に保っているのは親族殺しや親子殺しだ。ヤクザが人を殺すのは10%だ。一般市民のほうが人を殺している。弱いものがより弱いものをいじめる学校のいじめと同じだ。暴力の質が、警察の言う暴力の質から変わってきているのが現代の社会だ。

 そうした現実からすると、暴対法や暴力団排条条例はまったくの的はずれの産物だ。

西部邁 暴力とは何か。以前、官房長が「自衛隊は国家の暴力装置」と語ったことがあるが、そうすると自衛隊も排除するのかと悪い冗談をいいたくなる。

 合法のフォースを行使する場合、現場の判断で具体的行動をとるものだ。法律というのは形式的だが、状況は具体的だ。後追いで考えたら過剰な力の行使だったというのは世界で頻繁に起きている。暴力反対というのは子供っぽいせりふだ。

 そもそも明治維新は暴力で成立している。徳川幕政の末期、西郷隆盛であれ非合法としての暴力を使った。フランス革命もそうだ。暴力のおかげで文明は発達した。

 だからといって暴力団を礼賛するつもりは毛頭ないが、文明の進歩において不法の力のバイオレンスが、巨大な力を発揮したと認めておきながら、どうしても目前のことになると暴力反対という声だけで、ことを済まそうとするのか。

 戦後、日本人が文明について浅薄な理解しかしなかったことを大いに暴露していただきたい。

 さらに、やくざの数を7万人とすると、奥さんや子供、親兄弟など関係者はその3倍から7倍になる。そうしたたくさんの人を社会から排除するというのは違和感がある。それは戦後、米国で行われチャップリンまで追われた赤狩りと似ている。米国は息苦しい社会に変化していき、ベトナム戦争に走っていった。

佐藤優 治安維持法でも、適用範囲は最初の共産党から、最後は国家権力に近かった宗教団体である大本教やキリスト教 にまで弾圧を受けるようになって拡大され、日本社会全体が息苦しくなっていった。

 今、危ないのはイランだと思う。イランが核保有した場合、人類は本当に滅亡するかもしれない。それぐらい、イランの核開発は大変なことだ。そのイランの拠点になっているのは日本だ。パキスタンマフィアにイスラム圏マフィア、これはシーア派、スンニ派に関係がない。

 ところが日本ではロシア人マフィアだって野放しだ。ロシアでは、「口が軽いやつは命も軽いからな」とか言われ、浮かび上がった友人は何人もいる。

宮崎学 1992年の暴対法施行のときに警察官僚が手にしたのは、パチンコの景品交換の利権だった。ヤクザがグレーゾーンでやっていたのを合法化して、その代わりプリペイドカードに替えて行く。その運営会社の大半は警察官僚だった。総会屋を締め出す商法改正では、上場会社の総務に大量の警察官が天下りした。

 今回の暴排条例はヤクザを対象としていない。むしろ一般の人が対象だ。特に建築関係や役所の仕事をもらっている会社は、「勧告を受けて、公表されればそれで指名が停止される」とし、警察の顔色をうかがわざるを得なくなる。これでまた警察官の天下り先が増えることになる。

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