一問一答 ㈱グローバルビューティー 玉置祥子社長
モットーは「喜びの創造」
金儲けではなく人儲けをしたい
──韓国の観光大使も務めている?
韓国の釜山市の医療観光広報大使を担当している。
──医療観光というとシンガポールだとかタイが国を挙げてやっているが、韓国もそうなのか。
国を挙げて、日本や中国、台湾からの医療観光客誘致に取り組んでいる。医者と組んで健康診断だとか高度な医療が安く、観光もできるというものだ。
また今年5月12日から8月12日までの3カ月間、韓国南部の麗水(ヨス)で海洋博覧会が開催されるが、そこの日本の広報大使でもある。
ペ・ヨンジュンのおかげで、日韓は近くて遠い国だったのが、近くて近い国になってよかったと思う。私も韓国にも会社を作って、日韓双方でビジネスしている。
──どういったものを取り扱っているのか?
化粧品やサプリメントなどだが、これらは上海万博でも半年間、国連のブースで出展した。
──反応は。
反応はよかったが、最終的には販売の許可をおろしてくれなかった。それで何とか日本でということで日本経営者同友会の下地会長にお願いして、マイケルジャクソンの香水を作った。これはマイケルジャクソンが踊っている容器に入った香水だ。3月1日に完成したばかりだ。
──思い出深い商品は。
最初は、酸素発生器を作った。今は、酸素を買う時代になっているが、当時は斬新だった。私は50過ぎて会社を興した。人間の基本のものをつくりたいと思っていた。水とか空気とか太陽エネルギーの光とか。それに健康食品の土。この4つのものを扱った会社にしようと思っていた。
主婦上がりだから化粧品も、子供が舐めても大丈夫なもの。それと地球を汚くしないもの。流しても大丈夫なもの。悪いものは断じて入れず、免疫力を高めていく、そういうものを作っていこうとした。経費は高くつくが、こだわって作っている。
──そういう哲学があるから、ファンがつく。韓国以外には海外へは?
18年目だが、60カ国以上を回ったことになる。ロシアからウルグアイ、キルギスだかと、ビジネスだけではなくて、文化交流に力点をおいて回った経緯がある。その国との文化祭をやってきた。上海万博の時も、文化祭をやりましたし、今度の麗水(ヨス)のエクスポも、韓国と日本の文化祭をする予定だ。
どの国に行っても、何かしらのお役に立つものができたらという思いが強い。男性だったらビジネス上手でさえあればいいのですが、女性からの視点だと見えてくるものが違うと思う。
男性だったら家族を養わないといけないと思って、強く雄雄しくいくものがあると思うが、女性の場合、子供のおむつをかえて一回いくらとか、食事を一回食べさせていくらという勘定はしない。ただ、ニコッと笑ってもらえば、それで十分だ。
私たちのモットーは「喜びの創造」だ。母親は子供が喜んでいるのを見るとうれしい。私も社員が喜ぶのを見て喜ぶ。そういう発想から、どんな小さなことでもお役に立てればうれしいと思う。いいご縁をいただいて、金儲けではなく人儲けをしたい。
──血がかよった人間交流というのは、みんなをひきつけるものがある。
日本の琴を弾ける先生をお連れして、海外の孤児院を訪問したことがある。朝10時から12時までいた孤児院で琴を教えた。向こうは太鼓をたたく。私は「結んで開いて」を教えた。
それが本当に楽しくて、車に乗って帰る時に、子供達が追ってきて泣きながら「行くな」と言う。そういう交流があると、言葉も要らない。芸術、文化には国境はないというのを実感する。そうするとまたそこで新しいご縁ができたりして、あっというまに18年がたった。
──単にビジネス感覚で動いているのでなく、心から感動しているので、求心力ができる。
今年は、いろんな話が一挙にきている。10年分を1年でしないといけないような忙しい年になりそうだ。
──50歳の転機というのは、どういう背景があったのか?
5というのは経済の数だと聞いたことがある。子育てを終えて、ちょうどいい人生の転機だった。
──玉置という名前の由来は?
奈良の玉置神社に由来する。古い3000年の歴史があって、テレビの追跡ものにも取り上げていたことがある。
宮司にご神体は何ですかと聞いたら、火の玉だという。ご先祖は何を言いたいのか、いろんな文献を開いたがわからない。ところがひょっとあるとき、火の玉は「真実の愛である、真の愛だ」と何かの本に書いてあるのが目に入った。
それで先祖が言いたいのは、火の玉の形ではなくて、真実の愛で生活して欲しいし、「与えて忘れるような愛情をもってほしい」と願ったんだろうなと分かった。自分勝手な勘違いかも知れないし違うのかもしれないがそう思ったことがある。それでそれを残された人生でやれたらいいなと心底、思っている。
なお玉置神社に行ったときに撮影した記念写真に、本当に大きな火の玉が写っていた。ニューヨークでもパリでも、その玉がついて回った。以後、その日から3年ぐらい、大きな火の玉がついてきた。