トップページ >

鳥取県岩見町榎本町長に聞く

ジオパークを飛躍台に 町づくりは人づくり

 岩見町の「町の木」は松だ。鳥取市との合併を選択しなかった岩見町は、真夏の炎天下でも、雪に閉ざされた北風にも常に緑をたたえている松のような自活力を要求される。地質自然公園ジオパークをジャンプボードに活用しようと戦略を練っている岩見町の榎本武利町長に聞いた。

picture 【プロフィール】えのもと たけとし
1952年2月22日生まれ。1997年から現職。現在、4期目。鳥取県岩美町は、鳥取県最東北端に位置する人口1万2000人の町で、榎本町長は世界ジオパークに認定されたことをてこに、観光振興と地場産業をリンクさせて町の活性化に取り組んでいる。

──岩見町は鳥取市との合併に住民投票で反対が過半数を占めた経緯があるが、今回、賛成が多かったのは何か理由が。

 住民投票の結果は450票差で合併反対だった。岩見町は兵庫県との県境に位置する町で、合併という形で大都市に飲み込まれてしまうと、市になかなか住民の声が届きにくいという地政学的な状況も反映された形となった。

──歴史的な伝統を含めてローカルが持っているいいところはたくさんあるが、財政的破綻をしないで町の活力を維持し続けるというのは大変なことだ。

 集落や地域のコミュニティーや歴史や文化といったものが薄らいでいくというのは確かだろうと思う。ただ、そういう危惧を持ちながら、一方で財政的にやれるかという問題もあるのは事実だ。

──岩見町の売りというか財政的にも自立的にやっていける特色は何か。

 誘致企業の立派なのがあるわけではない。ただ農業よりは漁業といった形の一次産業が中心となる。かつて鳥取の海岸エリアに民宿が盛んだったが、新しいスタイルで一次産業と観光産業をリンクさせられればと思っている。人が集まってくる町にすれば、自ずと伸びていくと考えている。

──ジオパークの集客力はどうか。

 ジオパークそのものがまだ知名度が低く、認知されていない。しかし、例えば遊覧船やシュノーケル、シーカヤックなどマリンスポーツや自然観察学習などのお客さんが増えている。

 ジオパークというのは地質の分野での自然公園という位置づけで、ユネスコが世界遺産として提唱しているものだ。世界遺産というのは保存が主眼となるが、ジオパークのいいところは、そうしたものを活用して地域の活性化に取り組めるメリットがあることだ。環境問題だとか地球科学の学習やフィールドワークといった、いろいろな体験してもらおうと思っている。

 2010年10月に室戸岬が入って現在、日本では5ケ所が指定されている。先発地域が3地域あり北海道の有珠山、それに新潟の糸魚川、島原で、4地域目に私どもの山陰ジオパークが入った。山陰ジオパークは山陰海岸のエリアがすっぽり入ってしまう東西が110キロ、南北が30キロと広大なエリアで、関係する自治体も3市3町となっている。そうした地域間の連携やルート設定などに取り組んでいる最中だ。

──小さなひよこを大きく育てる使命があるのでは。

 そうだ。現在、トップセールスに務めているところだ。海外からの集客を考えて中国語ガイドブックやパンフレットも作っているし、これから看板についても外国語表示にしていくことになる。

 山陰ジオパークの特色は海がきれいなこと。そして海岸線は小さなリアス式で、海岸と砂浜が両方揃っている。特に水がきれいだ。国内だけでなく、外国からきたお客さんもすごく感動してくれる。

──水のきれいさは、砂の質が関係してくる。

 水そのものの透明度も高いが、砂も石英質の荒めの砂で美しい海を演出してくれる。

 ジオスポットとしては、玄武洞や温泉がある。そういうジオスポットをリンクさせて集客力アップを図ろうとしている。海水浴場の民宿のお母さんたちが、海の水で食塩を取り出して商品化するだけでなく、その食塩作りをお客さんに体験してもらうといったものもできている。塩田ではなくて海水を沸かして食塩を作る手法だ。日本海側では、かつて浜ごとに塩を作っていた経緯がある。魚村ではイカとかカレイの一夜干しを作るとかの企画も出てきている。

──マリン関係というとメインは夏場ということになるが、冬は?

 冬は松葉ガニ。底引き網漁船が獲る。その漁船は27隻あるが21隻が岩見町の船だ。ぜひ一度といわず、皆様には冬の味覚の王者を召し上がっていただきたい。岩井温泉というすばらしい温泉も町の中にある。源泉は48度から50度。源泉かけ流しの温泉だ。

──農業の方はどうか。

 農業というのは村ぐるみでやらないといけないものが結構ある。例えば、水路の管理だとか、草刈りだとかだ。そうした大規模な部分を従前通りやれるかといったら、人手不足の中で大規模な管理というのは非常に難しいものがある。高齢化して労働力が少なくなっているからだ。だから生産力も落ち、捨て作りみたいになったりする。

 農地の集積だって限度がきているし、集落営農というのも担い手の不足が顕著だ。ただ若い人の後継者というのは、儲かりさえすれば後継者はあると思うので、農業経営の作戦面も役場としても取り組みたいと思っている。

 鹿とかいのししとか獣害に関しては、鳥取県では全域の問題だ。かつてはトタンで田畑を囲っていたが、最近は、鉄の金網で集落全体を囲むようになってきた。いわば、檻で囲まれた集落だ。そういう作業だってなかなかやれない。

──その資金は。

 もちろん受益者負担もあるが、県や町が資金を出す。ただ設置は地元の人たちでやることになっている。農村は、そんな悩みを抱えている。

──これからの抱負は。

 ともかく、世界からたくさんの人が来てくれるようにしたい。来てくれればリピーターにもなるし、定住にも結びつく。町づくりは人づくりということで、教育施設の充実とか、財政的な部分を充足させながら、子供達が自分達の町はいい町だという自信や誇りを持つようにしようと一貫してやっている。

 臨海学校もあって、中高校生が夏休み前から押しかけてきた歴史がある。ただ最近は、臨海学校そのものがなくなってきている。子供達の危機管理が、海は大変だということでどんどん臨海学校が廃れ、みんな山の方に行く。O157だとか、サメ騒動だとか、繰り返す中で廃れていった。一方で半世紀このかた、ずっと来てくれている学校もある。兵庫の鳴尾高校は五十数年間ずっと臨海学校を継続している。

この記事のトップへ戻る