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石原慎太郎氏に再び言う、自民復党で政権奪還目指せ

日本経営者同友会会長 下地常雄

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【プロフィール】いしはら しんたろう

1932年9月30日、兵庫県神戸市須磨区生まれ。一橋大学法学部卒業。大学在学中の56年に文壇デビュー作である「太陽の季節」で芥川賞受賞。ベトナム戦争を取材した経験から政治家を志し、参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)、環境庁長官や運輸大臣を歴任。東京都知事。趣味はヨット、テニス、スキューバダイビング、射撃。

 率直に言うと、石原新党の展望は難しい。第3極作りに向けた基本構想は、「大阪維新の会」の大阪や東京の石原知事などと既成政党との連合だ。だが「大阪維新の会」がフィーバーになっている状態で、橋下さんがあえて自分からトップを降りて連携することはあり得ない。詰まるところ、石原新党に「大阪維新の会」が参加するシナリオは考えられない。協力はするかもしれないが、「大阪維新の会」は独自に動くことになる。

 それより自民党に石原さんが復党して、総裁に就任するのはもっと収まりがいい。幹事長の石原伸晃氏と総裁・幹事長を親子鷹でこなせば、保守主義は蘇生のいぶきを上げ、次の総選挙で自民党は圧勝できる。これは本誌4月号で書いた「石原都知事は自民復党で政権奪還目指せ 」の内容だ。政局が一気に動乱の兆しを見せる中、改めて石原都知事の自民復党による政権奪還を提案したい。

 そもそも「大阪維新の会」への好感度が急上昇したのは、喧嘩のうまい橋下さんの個人的資質によるところが大きいが、所詮は既成政党への失望感の裏返しに過ぎない。とりわけ3年前の総選挙で大勝した民主党に託した希望が大きかった分だけ、ゴタゴタ続きの政情に対する反動は大きかった。さらに一昨年の尖閣諸島領海侵犯事件では「中国の属国」のような立ち居ふるまいに、国家の尊厳は犯され、しかも原発事故で見せた危機対処能力の欠落で民主党政権への信頼度は凋落していった経緯がある。

 だからといって自民党へと政治の振り子が戻る兆しはないままだ。「失望された民主党」と「期待されない自民党」が並立する格好で永田町そのものの政治的求心力は弱まり、その反動で大阪維新の会を支持する力はますますバブル化しているのが昨今の政治風景だ。

 だから弱いもの同士がくっついて政権を維持しようという自公民連携といった発想が生まれてくるのだが、それではますます国民の政治離れは加速するばかりだ。

 何より自公民による馴れ合い政治へと永田町の舵が切られるや否や、政治的求心力は大阪が握るようになる趨勢にある。

 今、永田町に求められている政治の真髄は、新保守主義の再生だ。

 リベラリズムでは今の国難をこり超えるすべがないのは、民主党政権の空っぽの実績が物語っている。とりわけ、中国台頭による東アジアの安全保障をどう担保するのかが差し迫った課題だが、日米中の正三角形論を展開して、東アジア平和の基軸となる日米安保のパワーをそぎ落としたのは他ならない民主党政権だった。

 そうした憂慮されるべき時代環境があったからこそ、石原都知事の提案は新鮮だった。

 石原都知事は「都による尖閣諸島購入計画」を打ち出し、すでに国民からの支援金は11億円を突破した。

 本来、国がやるべき業務を都がせざるを得なかった義憤にかられた石原都知事の提案に、多くの国民が賛同したのみならず、虎の子をはたいて寄付にも応じたのだ。

 そもそも尖閣問題では石原都知事はすでに戦績がある。

 何よりモンデール元駐日米国大使を首にしている。

 尖閣諸島が問題になっているとき、「尖閣が紛争の対象になったら、安保を発動するか」とニューヨークタイムズの記者がモンデールに聞いた。すると「しない」と答えた。モンデール大使は尖閣が侵された時、安保は発動しないと言うのだ。

 その頃は、沖縄で小学校5年生の女の子が、3人の黒人の海兵隊員に輪姦されるという悲惨な事件があったころのことだ。

 だから、石原氏は太田昌秀(元知事)11 政界往来政界往来10と上原康助(沖縄選出の社民党元代議士)に「おまえら、喧嘩のしどころだぞ」とけしかけた。ところが、二人が二人してうんともすんとも言わない。

 それで石原氏は、抗議の論文を書いた。米国がモンデールを首にしたのは、その5日後のことだった。

 鄧小平は「棚上げ論」を出したものの、2年前の中国漁船領海侵犯事件以来、中国の行動は領土的野心丸出しの強硬路線となっている。人民日報で「尖閣は中国の核心的利益だ」と書いたのも今年1月のことだ。

 にもかかわらず、現政権はこれに対抗するどころか、弱腰のまま右往左往して一方的にやられ放題で中国に付け込まれる隙を与えている。

 石原氏はそれが許せない。日本政府がきちんとした対策を行わないことが許せないのだ。

 既に5月の連休には、中国の監視船が尖閣周辺に入ってきて、退去勧告する海上保安庁の巡視船に対し、「こちらは中国の正当な監視活動を行っている」と言い返すようになっている。竹島や北方領土の交渉にさらなる悪影響が出ることを覚悟しないといけなくなる。

 何より自分の国を自分で守る気概を示せない国は世界から信用されず、外交どころか貿易や経済交渉でも国際社会でのイニシアティブをとることができなくなる三等国家への転落を余儀なくさせられる。

 中国には「やれるものならやってみろ」といった態度が大事だ。フィリピンにしてもパラオにしても、圧倒的な力の差にも関わらず、ひるまないで中国の軍事的威圧の前に毅然と対峙している姿を見習わないといけない。

 ヒットラーの欧州侵略を招いたのは英国チェンバレン首相の融和主義だったというのは、誰しもが知っている歴史の教訓だ。富国強兵に走ってきた中国の膨張主義を食い止め、東アジアに平和と安定をもたらすのは次期首相の最大の政治課題といっても過言ではない。

 亀井静香氏が石原都知事を首相にと思っているのは、永田町では支持がないが、国民的に人気のある石原慎太郎氏なら選挙で勝てるという打算とともに、国家の危機を救えるのは彼しかいないという冷徹な判断があるからだ。

 国家観なき政治家がもたらす悲劇は、今回の民主党政権でいやというほど経験した。

 そうした意味でも、どろどろした永田町の論理に埋没しない石原氏を用いない手はない。下世話な政治は下のものが担当すればいい。そもそも今の日本にとって国家の舵取りをするトップは、しっかりした国家観と安全保障のセンスがないととんでもないことになる可能性が高くなっている。

 石原氏は地域利益誘導型の政治家ではない。橋を架けたとか、道路を作るとかそんな苦労はほとんどしてこなかった。今はそれが政治家としての石原氏の長所となっている。

 石原氏は、選挙のあるたびに事務所開きをして、そこに神棚を祭ってきた。そのたびに石原氏は神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮から神主を招いた。

 鶴岡八幡宮は鎌倉幕府を開いた源氏の氏神だ。治承4年(1180年)10月に、後に鎌倉幕府を開く源頼朝が、現在の鶴岡八幡宮拝殿あたりに遷座し、鶴岡八幡宮の礎とした。

 友人が「なぜ、鶴岡八幡宮か」聞くと、石原は「将軍にないたいからさ」とニコッと笑って答えたことがある。

 「なりたい人より、させたい人へ」というキャッチコピーがあったが、人に押されてなる人より、多少自我が強かったとしても、それなりの準備と構想力を持った人こそ、国家のトップに選出すべき人物だ。

 石原氏は「日本はさながら去勢された宦官のような国家」といって政治家を辞めたことがある。しかし、その国家そのものが死の淵を前に危機に瀕している。ここはチェンバレンの後のチャーチルのような男に登場願わないと国がもたない。

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