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第2次安倍内閣スタート

教育の抜本改革断行を

教育委は解体的に出直せ

 安倍晋三・自民党総裁を首班とする第2次安倍政権がスタートした。安倍首相が「教育再生は経済再生と並ぶ日本の最重要課題だ」と語ったように、新政権の目玉の一つが教育改革を断行し、教育を再生することにある。そのための最大の焦点が、問題の多い教育委員会を解体的に出直しさせることができるかだ。1月28日からの通常国会開幕を目前にして「教育再生実行会議」を官邸に立ち上げ積極姿勢を示したが、実のある提言をまとめられるのか、首相の本気度が問われている。


 教育改革を議論する「教育再生実行会議」の初会合が1月24日、首相官邸で開催された。安倍首相を先頭に、下村博文文部科学相、菅義偉官房長官が出席。首相は冒頭「教育再生は経済再生と並ぶ日本の最重要課題だ。最終的な大目標は、世界トップレベルの学力と規範意識を身に付ける機会を保証することだ」とあいさつした。

 「実行会議」は、第1次安倍内閣が平成18年に設置した「教育再生会議」を復活させたものだ。座長は民法が専門の鎌田薫早稲田大総長で、副座長に佃和夫三菱重工業会長が就任。その他、大竹美喜(アメリカンファミリー生命保険最高顧問)、尾崎正直(高知県知事)、貝ノ瀬滋(東京都三鷹市教育委員会委員長)、加戸守行(前愛媛県知事)、蒲島郁夫(熊本県知事)、川合真紀(東大教授)、河野達信(全日本教職員連盟委員長)、佐々木喜一(成基コミュニティグループ代表)、鈴木高弘(専修大付属高校長)、曽野綾子(作家)、武田美保(スポーツ・教育コメンテーター)、八木秀次(高崎経済大教授)、山内昌之(東大名誉教授)が起用された。

 「実行会議」では、いじめ対策、教育委員会の改革をはじめ、大学の在り方、グローバル化に対応した教育、小中高校と大学の「6・3・3・4制」の学制、大学入試──を議題とするが、最も注目したいのが教育正常化の元凶とまで批判されている教育委員会をどう改革するのかだ。

GHQ教育改革の柱・教育委員会制度

 教育委員会制度は、被占領下のGHQ(連合国軍総司令部)指令による「日本教育制度に対する管理政策」の一環として定められた。昭和23年の第2回国会で「教育委員会法」が成立し公布され、教育基本法、学校教育法(6・3制学制改革)と並んでGHQ3大教育改革の柱に位置付けられたものである。

 「その教育委員会制度を根本的に改めなければ教育にメスを入れたことにはならない」と語るのは教育委員会自体の「廃止」を主張する「日本維新の会」所属の衆議院議員だ。「確かに、下村文科相も、全国の教育委員会の制度そのものが形骸化しているので対応が遅い、との認識を持ち、抜本的な改革の必要性には言及しているが、教育再生実行会議のメンバーが教育現場の問題点をどこまで正確に把握し、踏み込んだ改革案を示せるのかは疑問だ」と同議員は続ける。

 というのも、現在の教育委員会制度ほど、無責任で外部からは見えにくい「治外法権」的な組織はないからだ。大阪市立桜宮高校2年生のバスケットボール部主将が顧問の体罰を理由に自殺したが、以前からこの顧問による体罰情報が教育委に届いていたにもかかわらず、何も対処せず、いまだに「自分に責任がある」と名乗り出る教育委員はいない。滋賀県大津市立中学でのいじめによる2年生の自殺問題においても、教育委の対応は後手後手で機能不全状態を露呈した。

はびこる事なかれ主義

 では、なぜ教育委がこうなってしまったのか。というより、発足当初から機能していたのか。

 「そもそも教育委員会制度は、GHQが中央集権的な教育を行わせない目的でつくったものだ。GHQが教員組合の結成を奨励したことで、教育委員の公選制を通じて多くの左派イデオロギー組合員が入り込み、委員会や教育行政を混乱させた。そのため、選任方法を改めることなどを盛り込んだ地方教育行政法案が昭和31年、警官隊を参議院議長席周辺に導入して強行採決し成立させるなどして改善を試みてきた。だが、委員の選定が現在のように、首長による選定となり、シロウトばかりを選ぶ名誉職選任となったため、事なかれ主義、無責任、隠蔽体質が蔓延(はびこ)るようになってきた」と文部行政に詳しい自民党幹部は説明した。

 現在の選任権は、例えば市の教育委員は、市長にある。市長が「人格が高潔で、教育、学術および文化に関し識見を有する」(地方教育行政法第4条)と判断する者を5、6人選ぶのだが、実際には十分な検証が行われず決まることが多い。医者出身の委員の後任も医者から選ぶといった具合だ。議会も追認する程度であえて問題にすることはない。それ故、委員がどれだけ教育に熱意を持っているかとか、教育に対する見識がどれほどあるのかなどが問題になることはないので、結果として、単なる名誉職になってしまっている。

 市役所にも、委員一人ひとりに椅子や机があるわけでなく、月に2.3回程度の会議に出るだけで、お客様扱いだ。これでは大阪市のように体罰情報が教育委員会に送られてきても、敏速に対応することなどできまい。

 大阪市でも大津市でも記者会見に現れたのが、教育委員会トップの教育委員長ではなく教育長だったのもおかしい。教育長は教育委員の一人ではあるが、現場出身の常勤なので、他の教育委員よりは情報に接しているため、事実上、独裁的立場に立ってしまっている。立場上、上司のはずの教育委員長より教育長の方に発言力があること自体も問題で、教育委員会が教育行政の最高峰にいながら、いざ問題が起きても、誰が指導力を発揮し、どこに責任の所在があるのか分からなくなる原因となっている。

 また、市長は委員の選任権のほかに予算権も持っているが、直轄の市役所の部局を通じて教育の施策を改善、命令できず、無責任な教育委員会に口出しできない異常な事態が続いている。さらに、委員は、一度任命されたら、4年間交代しないので、極端な例を挙げれば、共産党市長が任命した教育委員が、任期途中で交代した次の保守系市政においても継続して教育行政を担うことになりかねないのである。教育行政の中に治外法権は許されるべきではないが、これは都道府県レベルの教育委員会においても同じ構図なのだ。

首長と教育委員長とのあり方にメスを

 教育委員会にはこれほど多くの問題があるのである。それなら、どうメスを入れればいいのか。先の自民党幹部は「下村文科相の言う通り、抜本的な改革が必要だ」と語るが、その具体策は示さない。それほど根の深い問題だからだろうが、着手しなければ安倍首相が強調する教育再生の実を就けることはできない。

 提言としては、現在の教育委員会を地方レベルの中央教育審議会(中教審)のような答申主体の組織に改めたらどうか。そして、教育の権限を首長に完全に移行し、その教育指導・内容の是非は選挙のたびに民意が首長選で判断するという形にすれば、責任の所在も明確になろう。少なくとも、この首長と教育委の在り方に徹底的にメスを入れないと改善策にはならない。

 「教育再生実行会議」の今後の予定は、4月中にも改革案を提言し、文科相の諮問機関である中教審で議論を行い、来年の通常国会に関連法の改正案を提出するというものだ。その中でどう切り込めるのか、安倍首相の本気度が問われているのである。

いじめ防止へ早急対応

 安倍首相が短期的に成果を得たいと考えているのが、「いじめ防止対策」である。「教育再生実行会議」の初会合で、首相は「『強い日本』を取り戻すため教育再生が不可欠だ。いじめ、体罰に起因して子供の貴い命が絶たれる事案は繰り返してはならない」と強調した。下村文科相は「子供を加害者にも被害者にも傍観者にもしない教育を実現するよう、ご意見をいただきたい」と発言。鎌田座長は「緊急かつ効果的な対処の方向性をできるだけ早く具体的に示す」と語り、いじめ問題対策を早急に策定する考えを示した。

 安倍首相はまた、1月28日の通常国会冒頭の所信表明演説で「国家国民のために再び我が身を捧げんとする私の決意の源は、深き憂国の念にあります。危機的な状況にある我が国の現状を正していくために、為さなければならない使命があると信じるからです」と述べた上で、「経済の危機」「復興の危機」「外交・安全保障の危機」とともに「教育の危機」を挙げた。

 その「教育の危機」の中身は、「国の未来を担う子供たちの中で陰湿ないじめが相次ぎ、この国の歴史や伝統への誇りを失い、世界に伍(ご)していくべき学力の低下が危惧される」ことだと指摘した。

 首相としては、「教育再生実行会議」が2月中にもいじめ防止対策の提言をまとめ、議員立法の形で「いじめ防止対策基本法案」を国会に提出し、今通常国会で成立させたい考えだ。自民党の同法骨子案(読売新聞1・29付報道)によると、いじめを「児童または生徒に対して一定の人的関係にある者が行う心理的、物理的な攻撃であって、攻撃を受けた児童らが心身の苦痛を感じているもの」と定義している。そして、学校長や教員には、学校教育法に基づき、いじめを行った在籍児童らに対し、教育上必要がある場合は、適切な懲戒を加えるよう規定。いじめを事前に防止するため、国や自治体に対し、児童らの相談を受けるスクールカウンセラーの配置促進などを求めているという。

ならぬものはならぬと道徳教育

 今後、他党との議論を通じて法案化される手順だが、この程度の受け身の手法でいじめがなくなる方向に向かうとは全く考えられない。同時に必要なのは、いじめが「ならぬものはならぬ」不正行為であることを道徳の時間にしっかり教えていく先生一人ひとりの覚悟と具体的なカリキュラムを示していく積極策である。そのために、道徳を「教科」化して豊かな徳育教材を学校現場で教えることだ。道徳と称する時間にNHKの3チャンネル番組を流してそれでよしとするような手抜き教育は改めるべきなのである。

 教育基本法は、第2条「教育の目標」で、「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと」「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」などを掲げている。

 大阪市立高校のバスケットボール部顧問による体罰問題を契機に政府は全国的な体罰調査を行っているが、体罰が暴力であるか否かとか、先生、顧問に罰則を課すべきか否かといったことにとらわれ過ぎるべきではない。焦点を当てるべきなのは、教育基本法の理念と目標から外れ、勝つことが最高の道徳という誤った指導に陥っていたことを率直に認め、それを改めていくことができるのかどうかなのだ。

 インドのマハトマ・ガンジーは「最高の道徳とは、不断に他人への奉仕、人類への愛のために働くことである」と語った。学力の向上に励み、スポーツで一戦でも多く勝ち上がるために練習を積み重ねていく努力も貴重だ。それをさらに価値あるものにするのは、「最高の道徳」を意識しながら文武両道の人格形成に教師も生徒も教育関係者も皆が努めていくことだろう。安倍首相が呼び掛ける「強い日本」の建設は、小手先の法改正で実現するのではなく、「人づくり」という時間はかかるが最も根本的な作業から実質的にスタートするのである。

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