トップページ >

維新代表石原慎太郎氏、80歳の鬱とストレス

日本経営者同友会会長 下地常雄

 日本経営者同友会はそもそも石原慎太郎氏が作った組織だった。それを33 年前、私が石原氏から依頼を受けて継承することになった。

 知事選の時に私は、石原氏を応援するため徳洲会会長だった徳田虎雄氏を紹介したこともあった。石原氏はそれに恩義を感じたのか、次の参議院選挙に徳田氏が自由連合から立候補した際、私が依頼した応援を受けてくれて、東京と鹿児島まで駆けつけてくれたことがある。息子の伸晃氏が自民党の衆議院議員だったにもかかわらずだ。

 石原氏は、そういった義理堅い一面がある。

 その後、徳田氏から自由連合の党首に石原氏が就任してくれるように要請があり、私も尽力したが徳田氏側の諸事情により流れた経緯がある。

国会質問に託した遺言

 さて、その石原氏は日本維新の会共同代表として3月12日の衆院予算委員会で、18年ぶりの国政復帰後、初の国会質問を行った。石原氏は質問もそこそこに持ち前の持論を展開、さながら予算委は石原節の独演会となった。

 石原氏はまず「浦島太郎のように18年ぶりに国会に戻ってきた。暴走老人の石原だ。私はこの名称を非常に気に入っている。せっかくの名付け親の田中真紀子さんが落選した。『老婆の休日』だそうで、大変残念だ。これからの質問は言ってみれば、国民の皆さんへの遺言のつもりだ」と述べ、以下のような持論を披露した。

 「国民の多くは残念ながら我欲に走っている。政治家はポピュリズムに走っている。こういうありさまを外国が眺めて軽蔑し、日本そのものが侮蔑の対象になっている。好きなことを言われている。なかんずく、北朝鮮には200人近い人が拉致されて、中には殺されて、取り戻すこともできない」

 「日本人が好きなトインビーの『歴史の研究』という本にあるが、いかなる大国も衰亡し滅亡もする。しかし、国が衰弱する要因はいくつもある。一番厄介な大国の衰亡、滅亡につながる要因は何かというと、自分で自分のことを決められなかった国は速やかに滅びるということで、国の防衛を傭兵(ようへい)に任せたローマ帝国の滅亡を挙げている。私は首相をはじめ、国会議員、国民の皆さんにも思い直してもらいたい」

 「かつて名宰相だった吉田茂の側近中の側近だった白洲次郎さんが面白いことを言った。『吉田さんは立派だったが1つ大きな勘違いをした。サンフランシスコ(平和)条約が締結されたときに、なぜあの憲法を廃棄しなかったのか』と。麻生さんは安倍さんと一緒にこの問題を考えてほしい」

 「吉本隆明の言葉ではないが、『絶対平和』という一種の共同幻想で日本を駄目にした。首相はそれを考えて、憲法をできるだけ早期に大幅に変えて、日本人のものにしてほしい」

入院もストレスから

 石原氏は、率直に国家の屋台骨である憲法問題に言及したが、私にはそれが最後の花道だったような気がしてならない。

 石原氏は3月中旬、入院した。同党の平沼赳夫国会議員団代表は、22日の代議士会で「石原氏から『80歳だから、もうしばらく養生する』と電話があった」と説明した。

 私の見立てでは、石原氏はやる気をなくしている。今回の入院もストレスからきているものだろう。

 私も経験があるが、心に重度のストレスを抱えれば、体そのものがおかしくなるのは時間の問題だ。

 あれだけのプライドの高い石原氏が、日本維新の会の共同代表になったこと自体が、そもそもストレスの最大要因だった。自分の息子ほどの、しかも野党の共同代表だ。

 それに対して石原氏は反論もできない立場だ。先の総選挙では、関東で一議席もとれなかったのだからお得意の独演会も唇が寂しい。そうした自分の不甲斐なさにも嫌気がさしている。

 そもそも最初は日本維新の会代表ということだったが、大阪で反対の意を受け苦肉の策として共同代表となった経緯がある。さらに、首相の芽も消えた。これでは都知事を辞めた意味がない。 (小見出し)

起死回生策はなし

 だが、石原氏に起死回生の策はない。維新ブームも、春霞のようにやがて消えてしまうだろう。

 3本の矢のアベノミクスに代表されるように、政権政党としての自民党が積極的に動いている中、評価の票は自民のほうに流れる趨勢にある。

 こうなると、今夏の参議院選挙も、一人区で日本維新の会は自民党に押され、複数区でかろうじて議席を確保するしかないのが現状だ。ただ寄せ集め集団に過ぎない維新の会は、おそらくこれからほころびが出てくることになるだろう。

 平沼さんも、日本維新の会から離れる可能性は高い。ただ平沼さんにしても高齢だから、今回が最後のチャンスとなる。

 そもそも日本維新の会から離れて、新党を作っても新風を巻き起こすことは極めて難しい情勢だ。

 一番いいのは平沼さんも維新の会を辞めて、自民党に戻るというケースだ。

 しかし、年齢の問題もあるし、いまさらという感も自民党としてはある。

 結局、国民新党みたいに自然消滅していくのではないかと危惧される。

フィリピン問題

 石原氏はフィリピン問題を抱えている。自民党は今夏の参議院選前に、カジノ権益がからんだこのフィリピン問題を叩いてくる可能性がある。

 石原氏は、都知事に3期当選した実績がある。

 振り返ると、二期目が石原氏のピークだった。その時、新銀行の問題が起きている。それを石原氏のカリスマ性で乗り越えてきたけれども、そういうものにエネルギーを費やした。実にもったいない話だ。

 小沢一郎氏だって、自分の裁判問題でエネルギーを相当使った。裁判をかかえるというのは、そういうことを意味するものだ。

 例えば、リクルートの江副さんだってそうだ。無罪を争って、十数年も裁判を抱えた。そのストレスたるやすごいものがある。江副さんとは何回か会ったけど、精気がなくなり年寄りみたいにふけた。自分の信念を守り通すのも大事だが、ただ時間がもったいない。江副さんみたいな経営者だったとしても、最後は見る影もなかったのが現実だ。

 ストレスを抱え込むと、自分でがんがん言えなくなる。日本の伝統精神や独立した国家としての矜持など石原節には、心ある人々が共感する世界があった。それこそが魅力だったのに国会での代表質問以降、ばったりと止んだ。

 石原氏は風邪をひいて肺炎を引き起こしたということだが、それより「やる気」がなくなったと思う。

 気が張っていれば、病気も克服できるのだが、弱気になるとどんどん押しやられてしまいがちだ。

悔やまれる自民党復帰

 何度も進言したように石原氏は、本当

 はダメ元で自民党に復帰すべきだった。

 政治には奇手奇策が必要だ。なみの手段では百年河清を俟(ま)つに等しい。

 何より石原氏にとっては、自民党は懐かしい古巣だ。息子の伸晃氏が自民党の幹事長だったあの時は、まだ可能性はあった。

 長老が全員反対してもねじ伏せて、若手議員の熱で総裁への道筋をつけるというものだ。そうした根回しができた。

 何より先を見る、そういう形でないと石原氏のカリスマは生きてこない。

 それを見誤った。石原氏の自民復帰など、はじめから無理だと断念したからだ。

 ただ、石原氏としても「身から出たサビ」と反省しないといけないところもある。

 何より当時、若手にしても自民党の中から、呼び水となる「石原コール」が一度も起きていない。

 石原氏は腹はあるし、心から共感できる国家観などそびえ立つ哲人政治家としての偉人ぶりは立派だと思う。

 政治家にとって言葉は命に等しいものだけれど、国民は言葉だけで踊るものではない。また、単刀直入の言葉は、誤解を生みやすい素地もある。

 国家のためにどれだけ汗をかいたのか、公の利益のために自腹さえいとわず金を出したのか、そうしたボスとしての資質がなければ一政党のトップに立っても、国民は一票を投じるのをためらうのが常だ。

 それにしても悔やまれるのは、石原氏をサポートし次のステップにつなげる役どころを果たす側近に恵まれなかったことだ。

この記事のトップへ戻る