トップページ >

新春インタビュー 民主党副幹事長 長島昭久氏に聞く

中華的世界秩序目論む中国日米軸に「遠交近衡」外交を

 中国共産党と軍・産業界が一体となった大規模軍拡により、中国は2020年を想定した近未来に3隻、将来的には4~6隻(原子力空母を含む)の空母配備を計画。米国に対抗しうる海洋覇権の確保をめざそうとしている。こうした軍拡路線は「銃口から政権が生まれる」という毛沢東のDNAのなせるわざでもある。こうした既存の国際的規範に満足せず、中華的世界秩序を目論む中国に対し民主党副幹事長の長島昭久氏は、日米安保強化を軸とした「遠交近衡」策を説く。
(聞き手=池永達夫)


──近著「『活米』という流儀」を出されたが反応は?

 本人に向かって駄目出しする人はいないだろうけど、線を引いたり付箋を入れて読んでくれている人が同業の人たちの中にも何人かいたのには正直ビックリした。著者冥利に尽きる。

 本を書いて世に出すというのは、リスクもある。事実関係や情勢分析をめぐり厳しい批判にさらされることも覚悟して書いたが、今のところ専門家からのクレームはない。官僚とか研究者からも好評で、いささか手ごたえを感じている。

 ただ一般の人がどれだけ興味を持って読んでくれるかが勝負だと思っているし、今回の本は、なるべく一般の人に読んでもらえるように心がけて書いたつもりだ。

──本書の主要テーマでもある中国の台頭に対して、わが国はどう対処すべきだとお考えか?

 中国の脅威というのは、ソ連型ではない。つまり、イデオロギーを背景にして、領土や勢力圏を拡張していくといった露骨な姿勢はないけれど、一皮二皮むいていくと、中には中華思想というコアが存在する。そういう意味からすると、目覚ましい台頭の背景には、中国を中心とした秩序を作りたいという願望があると考えるべきだろう。習近平氏のいう「中国の夢」もそういうものだ。

 その夢の具体的なイメージというのは、百人百様だと思うが、中国がこれだけの経済成長を成し遂げたことで、自信過剰に陥った国民から突き上げられるような形で、指導部が攻勢的な行動に出てきているという現状がある。19世紀終わりから20世紀初頭のドイツがそうだったが、むき出しの熱狂に巻き上げられていくところがある。

 ただ中国は一党独裁政権だから、政治的なブレーキとアクセルを利かせることはできる。

 中国の指導部は韜光(とうこう)養晦(ようかい)路線で知られるように、これまで外交や軍事をうまく制御してきた。ただ、最近はなかなか制御がきかなくなって、近隣諸国も困っているが、彼ら自身もどうしたものかと悩んでいる。

 ただ中国は闇雲に領土拡張を図ることはしない。特に戦略レベルでは、鄧小平の戒めである韜光養晦に従い、超大国が撤退するたびに生じる「力の空白」を埋める形で慎重に進められる一方、戦術レベルでは好機を逃さず、果敢に島々への軍事侵攻や実効支配を強めてきた。逆にいうと、そういうものが顕在化するまではじっと忍耐する。そういった緩急は指導部のお手のものだ。

 1973年にベトナム戦争が実質的に終結し米軍が撤収すると、翌年すかさず、南ベトナムへ侵攻すると同時に南シナ海に進出、西沙諸島を占領してしまった。

 米軍に代わって79年からソ連軍がベトナムのカムラン湾に展開するとしばらく動きを止めるものの、ソ連海軍が87年に撤退するのを見計らうように、今度は南沙諸島に進駐を開始、翌年には海上でベトナム軍と衝突している。

 フィリピンでは91年から92年にかけ、スービック海軍基地やクラーク空軍基地から米軍が全面撤収するやいなや、同年、中国は「領海法」を公布し、蒋介石率いる中華民国が47年に宣言した「9断線」に基づき、尖閣諸島や台湾はじめ、南シナ海の大半を併呑するような領有宣言を行った。

 「9断線」とは当時、大陸を支配していた中華民国政府が歴史的に中国の支配が及んでいたされる「領域」を9つの破線で表したものだ。

 そして95年の米比合同軍事演習が中止となり、米比同盟が決定的な空洞化に陥ると、中国軍は直ちにフィリピン沖数キロにある、南沙ミスチーフ礁を軍事占領した。

 私の調べだと、2000年代初頭までアジア太平洋地域に展開する陸海空軍や海兵隊戦力など米軍兵力は約10万人とされたが、9・11後のテロとの戦いによりアフガンやイラクなどの戦役に振り向けられ、2000年代後半にアジア地域に残った兵力は7万人強と約3割減となった。そこで生じた力の空白を埋める形で中国は再び南シナ海、そして東シナ海における衝突を繰り返している。

 2008年以降、中国は尖閣に狙いを定めて、東シナ海に出てきている。したがって、こちら側がきちっと警戒感を持って毅然と対応することが肝要となる。つまり日本自身の国防の意思と抑止力を構成する日米同盟が重要になるのだ。

 とりわけ日米同盟は、アジア太平洋地域の安定のための公共財だから、それが有効に機能しているところを見せる必要がある。まさにそれが抑止力だ。

 彼らはソ連のように無謀な冒険はしてこない。だから冒険を起こしたくなるような誘因をわれわれの側から作り出さないことだ。

 南シナ海では、フィリピンに狙いを定めている。それは圧倒的に力の差があるからだ。一方、ベトナムに対しては、何度も戦争しているし、手ごわいと熟知している。だから、大概のところで止めて話し合いに入る。

 フィリピンに対しては、一番の輸出産品であるバナナを止めたりして、露骨なブラフに出てきた。中国は力を信奉している。この力任せの外交の前に、弱い国は引き下がらざるを得ない。だが米国は中国の力を見せつけても下がらない。だからこそ中国は米国に一目置き、米国とはうまくやっていこうということになる。

 中国をして国際社会と良好な関係を保たせるためには、米国がもっと力を示す必要がある。局地的に東アジアで日中の軋轢を避けるためには、日本も力をある程度示して、これ以上やると手痛い失点を喫してしまうので、しばらく時間をかせがないといけないと中国側に思わせる抑止の備えが必要だ。そうしてこそ、初めて安定した関係が構築できる。そこから先は、経済的なウィンウィンの関係を模索することもできる。

 それこそが戦略的互恵関係であって、ただ仲良くすることが戦略的互恵関係では断じてない。

──近著「『活米』という流儀」に書かれている通り、「有事のリスクを米が負い、平時のコストを日本が払う」といった日米同盟の現実からステップアップしないといけない課題がある。

 日米安保体制というのは、戦争に勝った国と、こてんぱんにやられた国が手を結んだわけだから、当然、力の差がとてつもなく大きなところから始まっている。

 占領の当初は、日本を完全に武装解除して二度と再び、軍事的脅威にしないということが米国の大目標だったから、今の憲法に書いてある通り、陸海空軍も持たせたくない。米政府はそれぐらい思い詰めていた。

 しかし、朝鮮戦争が起こって、米国としては日本を復興させ、朝鮮半島における戦争の後方支援基地にしていこうという思惑から、日本の再軍備が始まっていく。それでも旧安全保障条約では、内乱が発生したら米軍が出てくるとか、米軍が日本に駐留しながら日本防衛の義務を米は負っていないとか、明らかに片務的であったので、岸信介首相が1960年に安保改定する。しかし、基本的には最初の日米安保条約を結んだ当時の「人とモノとの交換」(西村熊雄外務省条約局長=当時)だった。

 米国が人を出して汗を流し、血を流す。その代わり、日本が基地や施設といったモノを提供することによってバランスしていたのだ。

 私からするとその基本構造というのは、安保改定された以降も変わっていない。中曽根康弘首相の時、それを是正する努力をしたのは確かだ。中曽根首相は、日米同盟と初めて公言したり、「不沈空母」発言やシーレーン防衛、三海峡封鎖を日本がやると発言したりして、とても日米関係は緊密になった。90年代後半のガイドライン改定の議論もそうだった。日本は周辺事態法をつくったり、あるいは、小泉さん流のテロとの戦いで日本が貢献して、有事のリスクと平時のコストの間の帳尻を合わせてきた経緯がある。

 しかし、そういうことの努力を少しづつしてきたけれど、それでもなお、「有事のリスクをアメリカが負って、その分、日本が「平時のコスト」でバランスさせるという基本的なバーター構造は今日に至るも変わっていない。

 ところが、これでは米からみても日本からみても決定的に不安定だ。日本は沖縄を中心として、平時のコストが大きな負担になっている。さらに事件や事故の危険、それから思いやり予算を含めた税金、こういったことの負担が過重であると国民の目に映る。一方、米国は安保条約第5条で、いざと言う時、日本の施政下への攻撃に対して、日本とアメリカが共同して対処するとなっているが、日本はそれを超えた脅威に対してはアメリカに協力する義務はないと。これではアメリカ国民が納得するはずがない。

 米国が危機に瀕した時、日本は米国を助ける条約上の義務を負っていない。しかし、本当の友人というのは、危機の時に分かる。調子のいい時だけ付き合って、自分の身が危なくなれば逃げ出すような輩は、とても真の友人とは言えない。

 そういうことからすると、米側から見ても不公平な条文になっている。

 日本が平時のコストを減らしたいのだったら、ある程度、有事のリスクをとっていく。そういう努力をしない限り、バランスしない。

 つまり、沖縄問題などで一方的に平時のコストを減らしてくれといったって、米側からすれば有事の時に、だれが一体助けてやるのかという話になる。

 私の考える理想の日米同盟はそうじゃない。有事の時も一緒に戦う。その代わり、平時のコストもアメリカ側と日本が応分の負担をし合う。「有事のリスクも平時のコスト」も適正に配分する。それでこそ、持続可能で安定した同盟関係が保障される。

 一朝一夕にはできなけれど、将来的には、安保条約5条、6条の規定を変えるぐらいの日本側の覚悟が必要だ。その前提として、集団的自衛権の行使を認めていく。そうした関係を構築して初めて安定した日米同盟関係を築ける。

 こうした歴史的課題を解決すべき時が熟して来たと私は考えている。それは単なるナショナリズムへの迎合のためではなく、眼前の厳しい国際情勢を直視したリアリズムの帰結だ。

 アジア太平洋秩序を安定させるためには、確かなパワーバランス(力の均衡)が必要となる。

 そのためには、日本に軍事的な揺さぶりをかけてくる相手より強靭で安定していなくては、いざと言う時に役に立たず抑止効果は薄れてしまう。だから同盟関係も、相手に隙を与えるような不安定な状況を放置することは許されない。その意味で、私は常々、日米同盟の基本構造が抱えている脆弱性に懸念を持ってきた。

 その日米関係が安定して、初めてアジア太平洋地域が安定する。なぜならばアジア太平洋の国々は、日米同盟の様々な活動を前提に外交政策や安保政策を構築しているからだ。

 ここが不安定になれば地域の不安定を招くのは必至だ。

──日米同盟は、アジア太平洋地域の安全保障における柱だ。

 まさに大黒柱そのものだ。

──そのアジア太平洋地域において、中国が米国外しに動いている。韓国の朴槿恵大統領はまんまとその罠にひっかかった?

 私もその問題意識を共有する。

 私は米国留学時代に、多くの友人が韓国でできたし、今でも忌憚のない意見を交換できる関係にあるが、李明博大統領からせっかく政権交代したのに、朴槿恵政権はその悪いところを引きずったままだ。

 近年の韓国の外交政策をみると、日韓関係は良好なところから始まる。盧武鉉大統領の時でさえそうだった。だが政権末期になると、どうしても韓国は日本カードや歴史カードを切って、ナショナリズムに火をつけることで政権浮揚を図る悪しき慣習があった。それがどうしたものか、朴槿恵大統領は最初から日本カードを切ってきている。

 対中戦略上、韓国は大事な国だ。日本の安全保障にとっても地政学的にも重要な国だ。山県有朋の言葉にあるように「朝鮮半島が、わが国の心臓に突き当てられた短刀」そのものだ。

 蒙古襲来に見られるように、わが国は歴史的に朝鮮半島から脅威を受けてきた。日清戦争も日露戦争も朝鮮半島が舞台だ。朝鮮半島の安定は、日本にとって死活的に大事なところだ。逆に言うと、中国を中心とするアジアの安全保障上の懸念に対応していくためには、日韓関係が重要となる。その意味で朴政権の頑迷な姿勢に困惑してきたが、ここにきて韓国の中から、このままでいいのかという話がでてきている。

──どんな?

 最近、朝鮮日報の楊相勲(ヤン・サンフン)論説室長が勇気を持って書いた。それには感銘を受けた。

 シンプルに言えば「(日本を受け入れない)韓国が阿呆なのか。(日本を受け入れている)世界が馬鹿なのか」という内容の論説記事だ。つまり世界は日本を受け入れているじゃないか。集団的自衛権の問題だって経済活動だって、世界は日本を受け入れている。その世界が馬鹿なのか、それともわれわれが意固地になりすぎているかといった問いかけをした。

 韓国の何人かの友人に、この論説をどう思うか聞いてみた。すると、単に一論説室長の発言ということではなく、同調する友人が結構いた。それで韓国でも、ようやくバランスの取れた議論が出始めてきたかと、非常に勇気付けられる思いがしたものだ。

 前政権、さらに安倍政権が引き継いだ課題で最後に残っているのは中国関係だ。そうすると中韓との関係を重視している人からすると、安倍政権は全然駄目とかいう人がいる。だが、私から言わせると、アジア太平洋の中で最後に残ったのが、この中韓の2国だ。他の国とは安倍首相の地球儀外交、私は「遠交近衡」外交(中国古典の戦国策に出てくる「遠交近攻」策を応用し、目的を「攻」撃ではなく勢力均「衡」に置いた私の造語)と言っているが、先ず遠い国と関係を構築し最後に残った課題を解決していくと言う手法は間違っていない。

 わが国もようやく自己改革というか、自分たちで変えないといけないという動きが出てきたことは正当に評価すべきことだと思う。

 同時に今まで日韓関係は最初は良かったけど、最後は悪くなるパターンからすると、逆に最初がこれだけ悪ければ、もしかするとしり上がりに良くなる可能性があるんじゃないか。それには、韓国側が日本との関係を改善することが戦略的に利益であるという実感を持たないとなかなか難しい。

 先だって韓国に行った時に痛感したが、今の韓国をどう思っているかと言うと「経済は中国と一緒にやってうまくいっています。安保は米国とうまくやっています。だから日本はいらないんです」という考え方だ。

 北朝鮮が悪さをすることを期待しているわけじゃないが、北朝鮮との関係が不安定になっていけば、当然、韓国の後ろ盾になるのは米国と日本だ。

 朝鮮半島の安定のために、米国は日本に4万3000人の兵力を置いている。そのホスト国として、平時の様々なコストをかかえ込んでいるのが日本だ。

 もし日本との関係が悪くなった時、何か起こって困るのは誰なのかと自覚していただかないといけない。

 さらに経済的には今、中国とうまくいっているかもしれない。だが、シャドーバンキングや住宅バブルなどを含め、かなり不安定な内政状況にある。そういう状況の中で中国に依存し続けていいのかという問題がある。1997年のアジア通貨危機の時そうだった様に何か起こった時、助けてくれるのは日本だ。

 そうしたクライシスモードになった時、初めて知る日本のありがたみというのがあると思う。

 そういう現象が起こって欲しいという意味ではないが、残念ながら、そういうことでもないと韓国が実感として日本との関係を戦略的利益になると思ってもらえないのかもしれない。

──先ほどシャドーバンキングの話が出たが、中国の展望論は、崩壊論もあれば、まもなくGDP(国内総生産)でアメリカを抜くとか、そのぶれの振幅度が普通じゃない。

 これは中国独自の内部事情がある。中国の将来像が見えて来ない最大の原因は、データが正確ではないことだ。GDPなんて、地方の数字はまさに帳尻あわせだ。それが中央に上がってくる。だから、国際通貨基金(IMF)や経済協力開発機構(OECD)のデータを見ると、ものすごくオプティミスティックで、このまま2030年ごろには米国を抜くかとなる。一方で地方を歩いて実態を見ている専門家の間には、明日にも崩壊するような深刻な予測だってある。何と言っても、暴動が年間20万件ともいわれているほどだから。一日にして600件を超える計算だ。

 そういう状況の中で、一人っ子政策が効いてきて労働力不足に陥り、7%の成長率を維持することは不可能となっている。中国は毎年、新卒だけで500万人いて、1000万人の新規雇用を生み出さないといけない。これを全部、吸収できる状況になっていない。となると、あぶれた人たちが政府批判とか現状批判をし始めるわけだから、反体制のポテンシャルを持った人たちがどんどん生み出されている。

 そこにもってきて高級幹部の腐敗堕落ぶりがあり、共産党幹部が海外に資金を逃避させたり、子弟に外国の国籍を取らせたりしている。一方で貧富の格差は広がるばかりで、不安定な要素は大きくなるばかりだ。それらを分析すると、オプティミスティックな数字が空虚に感じられる。

 中国の実態を正確に反映しているのは、膨れ上がった治安維持費だ。25年間で33倍に拡大したと言われる軍事費よりも、治安維持の予算が上回っている。この逆転現象は数年前から始まっている。この現実は、恐るべき中国の実像だ。

──今回の3中全会で出てきたのが国家安全委員会、中国版NSCの創設だった。

 あれは日本とは違って要するに治安目的だ。「国家安全」といえば、中国では対外的な安全保障ではなく国内治安対策のことを指す。権力を集中させ、暴動を抑えるシステム作りに他ならない。

──一昨年の共産党大会では、チャイナナインからセブンに変えた。中国の最高意思決定機関である政治局常務委員を9人から7人体制になった。席が減った1つは、公安や警察、裁判所などを統括する政法委員会トップだった。中国の主要人事には、しばしば政争の影がある。チャイナセブンに変えたのは、一つに薄熙来の支援者だった周永康の影響力をそぎ落とすシナリオがあったと思うが、中国版NSCの創設で習近平総書記が政法委員会トップ以上の絶大な権力を手にして、政権基盤を固める意向もあったのでは?

 そうかもしれない。

 チャイナセブンにした意図は、5年後の世代交代を睨んだものと考えている。江沢民の上海閥と胡錦濤の共青団グループとの確執が話題となり、常務委員で団派は李克強ぐらいで形の上では胡錦濤派が後退したように見えたが、しかし次の5年後、上海閥の5人が引退だ。結局、常務委員で残るのは習、李だけだ。残るポストに誰をはめ込んでいくのか見所だ。第六世代の胡春華や孫政才中央政治局委員らに注目している。

──民主党政権の発足当時、日中米の正三角形論が出た。ただ、それは活米というより離米で、逆走した感がある。

 正三角形論を持ち出したのは小沢一郎さんの側近の国対委員長をしていた山岡賢次さんだった。

 鳩山由紀夫さんが政権についた後、外交第一の方針を東アジア共同体とした。しかも、東アジア共同体には米国を含まないと言った。なぜならNAFTA(北米自由貿易協定)に日本は入っていない。EU(欧州共同体)に日本は入っていないと。これはまさに地理的概念だと言った。

 私は東アジアだけ切り取れば、米国が入ってこないというのは、それはそれで一つの理屈かもしれないけれど、非常に危険だと思った。何より中国への視点があまりにもナイーブすぎた。東アジアの安定と繁栄にとって重要なのは、地理的概念ではなく、地政学的観点だ。

 中国が世界戦略を遂行する上で何が邪魔かと言うと、当然のことながら米国の存在が目障りだ。だから私のところにも中国の外交官や専門家が来て「米国はそんなに信用できますか。本当に頼りになると思いますか。そろそろ日本も自立して、東洋の日中二カ国で一緒にやりましょう」としばしば語りかけてきたものだ。

 無論、私だけじゃなく、いろんな人にそういうアプローチをしているのが中国だ。

 まさにその甘言に乗せられて外交の基本方針にしたのが、鳩山政権の東アジア共同体構想だった。これは、中国を中心とする秩序の中に日本がおずおずと入っていくことに等しいもので、私としてはどこかでこれを払拭しないといけないと常々思っていた。

 民主党政権発足当初、日米関係が動揺したのは、世間では普天間問題で鳩山さんが「県外国外」と言ったことが原因ということになっている。確かにそれも影響はあったが、一番のダメージは、そもそも政権が自民党から民主党に代わって、米国を外した東アジア共同体構想を打ち出したことで、日本の外交方針がこれまでと逆転した「離米」へと舵を切るのではと米国に疑念を抱かせたことにある。

 それをどこまで鳩山さんが意識していたか分からないが、そういうことを言ったことが日米間の不信感につながっていった。それこそが同盟漂流の一番の原因だったことを、米国の友人たちと話して実感した。

 それで2年後、2011年に野田政権が発足する直前、代表選に出る野田さんと外交勉強会をやる中で、私は東アジア共同体構想との訣別を、まずメッセージとして出しましょうと進言した。その通り、野田政権は9月4日に発足したが、9日発売の月刊誌『VOICE』に野田さんの論文が掲載され、その中で東アジア共同体の構想をとらないと宣言している。

 それは国際社会に対しても米国に対しても、非常にいいタイミングだった。

 そのアジア共同体に代わって、どういう戦略を選択したかというと、東アジアの中で中国の影響下で動くのではなく、アジア太平洋というもっと広いパースペクティブの中で、同盟関係にある日米が中心となって最終的には中国も入ることができる新しいルールに基づいた秩序を作っていこうということを構想した。

 その柱は3本。1つは貿易や投資といった自由経済の秩序。TPP(環太平洋経済連携協定)のルールメーキングに参画し、参加国を拡大して行く。もう一つは安全保障の秩序づくり。この地域は海が大事だ。南シナ海や東シナ海など海の安全保障が死活的に重要。3番目が資源エネルギーの安定的な調達と供給のメカニズムを構築するというものだ。

 日米でこのための新しいルール作りをしていこうとなった。こういう仕組みを作った上で、中国に対し、一緒にやりませんかと呼びかける。ルールに基づく地域秩序に参加するかしないかを選択させる。まさに巨大化している中国に日本が振り回されるのではなく、こちら側が秩序を作って中国に提案する。現行の秩序に挑戦しトラブルの元になりそうな中国を受身に回らせるというのが、われわれの外交の要諦だ。

──TPPでは国論が二分された感じだったが、その分水嶺は中国認識の違いにあった。

 シンガポールの外交官とTPPの話をしたときに、これの本質は何と思うかと聞いて来たことがあった。何だと聞き返したら、はっきり「対中戦略だ」と言っていた。それが僕の耳の中に残っている。

 TPPをどう見るか。それはコメや医療、保険制度はどうなるかだとか、いろいろミクロで見たらあるが、戦略で見たら間違いなく中国だ。だからこそ中国は嫌がっている。

 だけど、我々は彼らを排除するつもりはないし、包囲するつもりもない。とにかくルールに基づいてやりましょうというだけだ。

 例えばレアアース輸出を止めてWTO(世界貿易機構)に違反してみたり、露骨ないやがらせのためフィリピンからのバナナ輸入を止めたりとか、そういうことをしてはいけない。そのためにも、この地域の安定と発展のため透明性の高いルール作りを急ぐ必要がある。

 経済でも安全保障でも、秩序に従って下さいよということだ。だから、我々は、中国の力という矛に対して、ルールという盾で対抗していくべきだ。

──長島さんは票にはならない安保・外交に力を注いでいる。そういう政治哲学の原点はどこにあるのか。

 政治を本気で志したのは、高校から大学に進む時だった。1979年12月に、ソ連のアフガニスタン侵攻があったが、あの事件で政治に目覚めた。

 当時はデタント時代で、米ソは仲良くなるんだと単純に思っていたら突然、あのようことが起こった。それから国際関係に強い関心を持つようになった。

 一方で当時の国内はどうかというと、ちょうどそのころ、四十日抗争をやっていた。この自民党史上最大の危機とされた派閥抗争は、大平政権が一般消費税に足をとられ11月の選挙で負けたことで責任問題に発展、田中・大平派対福田・三木・中曽根派といった構図で、党内は混乱に陥り、浜幸なんかが椅子をぶん投げていた。

 当時、イラン革命が起こった後で、第二次オイルショックの最中だった。これだけのことが国際社会で起きていながら、日本の政治は相変わらず四十日抗争といったコップの中の嵐にかまけていた。

 それで国際関係をリードできる政治家になりたいと。それが政治家としての私の原点だ。

 何より中曽根政権の時は大学生だったが、幼稚な表現を使えば中曽根さんは、実に格好良かった。中曽根さんは世界に対し、理念と政策を持って物申すだけでなく、欧米世界を動かすリーダーだったからだ。

 安保、外交が票にならないというのは、一昔前の都市伝説で、最近では間違いなく票になっていると確信を持つようになった。

 タウンミーティングなどを地元でやると、質疑応答の半分以上は「北朝鮮はどうなっているんですか?」「尖閣は?

 中国は?」といった外交の質問が多い。

 そしてもう一つ、1昨年、選挙で生き残れたのは、間違いなく防衛副大臣をやっていたからでしょうね。

 結局、東京で生き残ったのは僕と長妻昭氏だけだった。これを一般化してはいけないのかも知れないが、長妻氏も僕も、票になるかならないかは別にして専門分野を持っている。長妻氏はやせても枯れても「年金、社会保障の長妻」だし、私は「安全保障」だ。

 つまり、有権者として、こいつはこのために政治家やっているんだと分かってくれれば、党の状況がどうであっても、なんとか生き残っていけるのかなと実感している。

 選挙期間中に、ちょうど北朝鮮のミサイル発射事案が発生したため、最後の3日間しか選挙区に全力投球できていない。その間、ずっと防衛省に詰めたりしていた。だから選挙戦としてはきつかったが、その仕事を全うしたことが選挙結果には大きな影響があったと今でも確信している。政治家として、外交や安全保障には与党も野党もない。あるのは国益のみ、との信念を貫いて行きたい。

この記事のトップへ戻る