トップページ >

日本経営者同友会会長 下地常雄

水清ければ魚住まず

能無し聖人より清濁併せ呑む大政治家

 第二次安倍政権発足直後、小渕優子経済産業相、松島みどり法務相の2大臣が辞任に追い込まれた。小渕氏の経理問題にしろ松島氏のうちわ配布も、瑣末な出来事に過ぎないものだ。

 野党はこぞって小渕、松島両氏の非を告発するが、ちょっと待てと言いたい。

 ジャーナリズムもすべからく政治家のあらさがしばかりだ。かつては書かざる大記者が政治の大局を動かしたものだが、今では見る影もない。武士の情けどころか、ひとかけらの人情も感じ取ることが難しくなっている。

 誰しも完璧な人はいない。身体検査してまっ白の人がいるのか問えば、みんなかなり怪しいものだ。要は線引きをどこに引くかだ。誰しもが引っかかるような所で、線を引くと政治は足踏みを繰り返すのみで永田町は無限地獄へと追い込まれる。

 だから糾弾する側も、それなりの見識が問われる。

 京葉高速道路の制限速度は60キロだが、本当にこのスピードで走ると、かえって事故が起きてしまう。車を転がすには、相対主義の原理に従う他ない。他の車が高速で飛ばしている中、余りに遅いとオカマを掘られてしまうリスクは当然、増大する。

 だから、法治国家だからといって、一円の領収書まで求めるようなことがあってはならない。出来もしないことを要求すれば、社会は自縄自縛の罠にはまってしまう。

 「水清ければ魚住まず」ともいう。あまりに厳格な懲罰主義では、政治の活力が失われるばかりか、機能麻痺を起こしてしまう。

 小渕、松島騒動で見るのは、野党もマスコミも自らのことはさておき、高みから石礫を投げ続けている。

 このままでは、政争の石礫の中で政治自体が埋もれてしまう。行き着く先は、政治の自殺だ。

 自民党の高村正彦副総裁はこのほど、与野党で「政治とカネ」の問題が続出し、国会審議が非難合戦となっている状況に対し、「早く本題の政策論議に入ってもらいたい」と苦言を呈した。

 高村氏は、閣僚だけでなく、野党議員でも政治資金収支報告書の記載漏れが次々と明らかになっていることを踏まえ、「自分のことは単なる事務的ミス、相手のことは悪意があったに違いないといって延々と国会で追及を続けるのではなく、説明が十分かどうかの判断は国民と司直に任せたらいい」と述べているが、長老の言うことには耳を傾けるべきだ。

 これまでおとなしく経済成長に専念していた中国は現在、従来の韜光(とうこう)養晦(ようかい)路線を転換し、衣の下の鎧をむきだしにして、尖閣問題や南シナ海の南沙、西沙諸島で強権を振りかざすようなってきた。

 国家の運営において安全保障問題は経済問題に勝る重大事項だ。こうした安保問題を実務的に処理できる大局観を持った政治家の見識が問われる時代になっている。にもかかわらず永田町の両院では、小中学校の風紀委員が目くじら立てるような瑣末な事柄で、政治活動を縛る閉塞状況に陥っている。

 そうした外交、安保問題で口を閉ざし、些末な問題に吼える「コップの中の嵐」に生きて何の政治家かと問いたい。

 今こそ、政治のダイナミズムが問われている時代はないのに、敢えて重箱の隅をつついて政治の矮小化を図っている与野党の猛省を促したい。

 二世議員、三世議員が増え政治家の小粒化が懸念されてきたが、このままだと、何事もそつなくこなしスマートで角がなく丸いが、あくまで小さいイクラ議員だけが増殖しかねないのだ。

 政治家に未来を遠望し大きな絵柄を描くことが出来る構想力と国家百年の大計を据えることのできる腹がなければ、新しい時代の扉を開くことは難しい。

 しかも、他者への思いやりもなく、マスコミの批判のつぶてを怖がって保身に汲々する政治家では、のびのびした政治は期待できない。

 そうしたステーツマンこそを輩出するような永田町の政治風土を築かなければ、日本に未来はない。

 なお昔、保守合同の自由民主党結党の最大の功労者である三木武吉の大物ぶりは有名だ。三木の一番有名なエピソードを紹介したい。

 昭和21年、総選挙の立会演説会で三木の対立候補がこう演説した。

 「ある有力候補者のごときは、妾を4人も囲っている」

 これに対し三木は、即座にこう切り返した。

 「ある有力候補とはこの不肖三木武吉である。しかし、私は数字的誤りを指摘したい。妾の数は4人ではなく5人である」

 聴衆の大爆笑を誘った三木は続けて「ただし、いずれも年を取っており、最早色気には関係がございません。だからといって、彼女らを捨てるが如き不人情は、この三木武吉にはできません。皆を養って来た結果が5人なのです」

 こう言って三木は、人間としての生き様を明らかにしたのだった。

 実際、三木は最愛の妻は無論のこと、愛人達の面倒もしっかり見ていた。

 何も、女を囲って妾を作ることを奨励しようというのではない。政治家というのは、小さな悪を抱え込みながらも大悪を駆除していく清濁併せ呑む見識が問われる世界だ。小悪につまずき、大悪をのさばらせるようでは本末転倒もいいところだ。

 国会議員は国家の運命を担う選良でありリーダーだ。その選良を、メダカの学校に押し込むようなことをしてはならない。むしろ大海を悠々と泳ぐ鯨や国家の敵をバリバリ切り裂くシャチでなければならないのが、国会議員の本来的役目だ。

 田中角栄もカネで躓いたが、政治家として度量と気概を持った大器であったことは間違いがない。

 昭和39年、44歳で大蔵大臣に就任した田中は、大蔵省幹部を前にしてこう挨拶した。

 「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。われと思わん者は、誰でも遠慮なく大臣室にきてほしい。何でも言ってくれ。上司の許可を得る必要はない。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

 田中は上意下達の独裁タイプではなく、下の智略も力も吸い上げるすべを心得ていた。

 一方、GHQの指導により1948年に制定された政治資金規正法は、1993年に発足した細川政権が政治資金規正法を改定し、政党助成制度導入と並列する形で資金管理団体に対する企業・団体からの寄附を禁止した経緯がある。その細川護煕氏は今は見る影もない。

 今の永田町で先達たちから受け継がないといけないのは、王道の道を示した政治家としての帝王学だ。

この記事のトップへ戻る