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インタビュー 効果絶大な限定的集団自衛権 オーバーシュート回避も肝要に

衆議院議員 大野敬太郎氏に聞く

 青年時代は宇宙工学を目指した理系若手代議士・大野敬太郎氏に、緊喫問題となっている安全保障と国家百年の大計である教育問題を聞いた。大野氏のバランス感覚がすこぶる高い。それは全体を俯瞰する知の高みと、歴史に学ぶ謙虚さから来るものかもしれない。限定的集団自衛権の効果は絶大としながら、安保問題で肝要なのは、オーバーシュートを避け安保前のめりにならないことだという。


――まず安全保障問題から伺いたい。中国が韜光(とうこう)養晦(ようかい)路線(目立たずに力を蓄える)を放棄して、武威外交に似た力で秩序を作る膨張路線が東アジアの安全を脅かしている。これにわが国は、どう対処すべきなのか?

 基本軸は外交であるべきだ。外交の力をサポートするものはいろいろあるが、最大のものは安全保障政策であり、もう一つの柱は経済力だ。

 経済力からすると日本は絶大な力を持っていない。どちらかというと中国からすれば飲み込めるぐらいに思っているかもしれない。

 だから、どっちも見ていく必要がある。

 今、やっている集団的自衛権問題は、仮にコストベネフィット計算すると、ものすごくリーズナブルなものだ。というのは、日本は決してフルスペックの集団的自衛権を認めていこうという話では全くない。憲法がそれを許さない。しかし、憲法の制約の中で可能な限定的集団自衛権というのは、非常に近場の話だと、要するに守ってくれる人は守ろうよといった、普通の人間社会でも、当然、それをしないと信頼されないよね、という話だ。

 一方で、米国からすれば、劇的変化と捉えられる。ずっと駄目だといわれたことをそこまでやってくれるわけだから。できることは限定されたものだ。

 アメリカ合衆国を訪問した安倍総理は4月末、日本の総理大臣として初めて、米国連邦議会上下両院の合同議会において演説を行った。実は、私はその席に同席させていただいた。

 この時の、米国側の感覚を肌で感じたけど、ものすごく大歓迎だった。多くの国会議員が総理にサインを求めていた。全員には応えきれなかったのではないか。おそらく50人ぐらいだと思うが、そのうち何十人かにサインをしていた。拍手もすごく、歴史が動いているのを実感した経緯がある。ワーディングを含め、かなりすばらしいものがあった。

 限定的集団自衛権で、できることは限られていながら、その効果は絶大なものだ。そういう意味でコストベネフィットは非常にリーズナブルなものがある。

――現場での実感は大事なものだと思う。

 中国との関係では、A2AD(接近阻止・領域拒否)といった中国人民解放軍の軍事戦略を見ていかないといけないが、大局から見ると米国が相当、変わってきていることが問題となっている。「世界の警察官をやめた」と見えるのはオバマ政権だからなのかもしれないが、米国が内向きになってきたのは事実だ。例えば、シリアの化学兵器使用をめぐる問題でレッドラインを引いたにもかかわらず、それを越えても米国は直には動かなかった。限定的軍事介入を決断しながら、なぜか対シリア攻撃につき米議会に承認を求めた。

 今までの米国は一度レッドラインを引いたら、それを越えた場合、必ず制裁措置を実行してきたから、抑止力が働いた。つまり抑止力の低下が懸念される。

 さらに言えば、尖閣諸島についての米国の世論に、なぜあのちっぽけな岩を守るために米国の青年が血を流さなければならないのだ、というものがある。そうなると中国とすれば、ちょっかいを出して、どこまでいけるのか確認をしているのかもしれない。

 それが東シナ海の防空識別圏(ADIZ)の設置といった問題に入っていく。これは国際法にまったく則らない話だ。こういった行動をどう理解するのかというのが、一番重要だと思う。

 彼らの国際戦略は、経済が頭打ちになり、人口も減ってくる、このまま不景気になったら労働者はどうするのか、エネルギーはどう調達するのか、どこから外貨を稼ぐのかという基本的認識の上に組み立てられている。それを考えると戦略の方向性は見えてくる。

 近年、習近平政権が打ち出してきた陸と海のシルクロード構想である「一帯一路」戦略というのは、エネルギーの流通ルートを確保してその調達を図り、同時に国内市場が冷え込みつつある国有企業に仕事を作り出し、労働者を働かせるツールになるものだ。また、ロシアとのタイアップというのも彼らの戦略とマッチしている。

 これに対抗する力を一国では到底、持ちようがない。だから憲法上の制約下で可能な範囲の限定的集団的自衛権を行使していかないといけない。

 もう一つは経済をもっと強くすることだ。これに尽きるともいえる。「経済なくして安保なし」だからだ。

 さらにもう一つ、大事なことは安保前のめりに決してならないことだ。

 そういった意味では、日本が何を目指しているか、国益とは何かの議論を精細に行う必要がある。国家安全保障会議の中には、それを語る方がいらっしゃるかもしれないが、外には出てこない。ずばり言えば、北朝鮮や東シナ海はじめ日本近海、さらにはホルムズ海峡というのも当然日本の国益に直結する問題だ。

 それをしっかり明確にして、そのために、守るものの実体を決めないといけない。それを明確にしないと、集団的自衛権というと、やれ海外派兵だ、徴兵制だとなって、的外れな批判を浴びる。批判は議論を深化させるために必要だし謙虚に受け止めなければならないが、そういうことではない。

 守るものをまず明確にして、オーバーシュートしないこと。安全保障が大事だからといって、どんどん行き、必要以上に煽ることがあってはならない。今の限定的集団的自衛権を含めた安保法制の方向性は明らかに正しいが、どこまでかを明確にすることが肝要だ。それをすることで、経済とのバランスが取れてくる。

 歴史を俯瞰すると、常にオーバーシュートしてきたのが現実だ。どの国も、どの時代もそうだ。それを避けるためには、まず守るべき利益は何か、はっきりさせる必要がある。そもそも論があって、原点が構築できれば、それで水平軸や時間軸をのばせばいいだけの話だ。

 水平軸とは、地方はどうなっているのか。海外はどうなっているのか。さらに時間がたった時に、どうなるのかという、この時空の中で、演繹的にも帰納的にも思考を重ねる必要がある。演繹的にというのは、将来、こうあるべきだ。ほっとくとこうなるから、そうならないため、ここの目標に向かうためには、今、これをやらないといけないという軸と、今、これが問題なのだから、まずこれを片付けようという帰納的なもの、この帰納と演繹の両者を考える必要がある。

 そして演繹と言うのは戦略的、帰納と言うのは実務的ともいえる。このバランスを常に意識しながら、常に空間軸と時間軸でオーバーシュートしないようにしなければならない。

――大学は工学系で、そもそも政治家を志願していたわけではなかった?

 もともと政治家一家に育っていたが、特別に反面教師というわけではなく、単純に大きなことにチャレンジしたいと思っていた。スケールが大きく、しかも人様のお役に立てるものを志向していた時、「そうだ。宇宙開発をやってみたい」と思い始めたのが高校一年生のころだった。それで大学も、それができるところに入った。

 ただ、1991年に湾岸戦争が勃発した。私が大学4年の時のことだ。研究室の中でテレビを見ていたとき、世界初となった紛争地帯のリアルタイム放送の映像に大きな衝撃を受けた。

 その映像というのは、暗視カメラによるもので、漆黒の闇の中を深緑の閃光弾が飛んでいる。いよいよ来たのだという思いと同時に、お母さんが怪我をした子供を背負いながら逃げ惑っていた。

 この映像の衝撃は、かなりのものがあった。国というものが国民にとってどうあるべきなのか。あるいは国民にとって国はどうあるべきなのか。すごく、考えさせられた。

 親父が政治家というのも陰に影響があったのかもしれないが、自分の中では直接的な影響はなく、単純に映像から直感的にそういうことを思い始めて、一方で理系の道は進むのだが、それから相当、いろんな本を読み始めることになった。

 普通は理系だと読まないような、国際法だと山本草二氏、それがどうやら一番有名な先生ということで読み出した。憲法だと芦部信喜氏、当時はどういう先生なのか知らないのだが、どうやらその道の大家らしいということで読み始めた。

 さらに憲法判例を読み漁り、世界の経済がどう動いているのかマクロ経済にも関心の領域は広がった。ものすごく感受性が豊かだったのか知らないが、それをやり始めた。

 就職してからも、そういう本をかなり読み漁っていた。そこに答えを見出したいという思いがあったからだ。

 その後、親父が防衛庁長官に就任した。

 大臣室から、現時点での安全保障政策が見られるというチャンスはおそらく今後ないだろう。こんなチャンスは二度と訪れないと思い、秘書をやらしてくれと頼み込み、承諾してもらった。

 ところが、その時点でも、政治家になろうとはまったく思っていなかった。というのは、いくら親父が政治家であっても、息子の目からは何をやっているのか全く分からない世界だったからだ。

 秘書になる前は、ホームページ管理の手伝いぐらいはしていた。日米防衛協力の強化のガイドライン改定が1997年にあったが、その時の発言記録などをホームページで勝手に書き込んで親父に怒られた記憶がある。

 政治家というのは何となくブラックなイメージがある。当時の私も漠然とそう思っていた。しかし、事務所に入ってみて全くそういうことはなかった。むしろ、やりがいを感じた。

 政治家になろうと決めたのはそのあたりからだ。もっと正確に言えば、親父が防衛庁長官を辞めて一年後ぐらいだ。そして政治家になるんだったら、政策論だけではなく、その裏付けとなる生の声が絶対に必要だと思い、本格的に地元に戻ってやってみようと思った。この世界に入って二年後ぐらいのことだ。

――政治家志願に至る最大の出会いというのは?

 まさに、湾岸戦争が勃発したことで、安全保障、外交、国際環境というものに強い関心をもち、次いで親父の防衛庁長官就任で実際の政治の世界に飛び込んだ。この2つの出会いだと思う。

――政治家にとって外交、防衛というのは票にならない。あえてそこを選んだというのはそういうこと?

 そうだ。ただし、今はもっと関心領域が広がっている。

――安保、防衛以外は何か?

 もともとそういう観点だから、中長期の国家の存続ということに関心が高い。昔の政治家の役割は、経済成長期でパイが膨れていた時であって、お金があるわけだから、どう分配するのかが仕事だった。

 10年、20年前から経済がシュリンクして、経済成長のパイを作っていかないといけなくなっている。

 その意味でも政治家の役割が大きく変容を遂げている。国家の存続を如何に担保するかが政治家に課された課題だ。例えば人口減少の問題。この問題は裾野が広く、東京一極集中の改善、地方の創生、そして少子化対策と並ぶが、この中には非常に多くの政策が組み込まれている。

 例えば、地方創生特別委員会に所属しているが、決して一人で全部できるわけではない。演繹的視点では政策の骨組み部分の議論、帰納的視点では中小企業がどうしたら成長の種を作っていけるのかという議論に注力している。その意味で、イノベーション力や科学技術力には力を注いでいる。

――イノベーションの刺激策というと、政策的にはどういうものになるのか。

 これまで決定的に欠けていたのは何かというと、国家として何をやるかということが欠落していた問題がある。いわばリスクをとってこれをやるというものがあまりなかった。

 アメリカ国防総省の1機関に、国防高等研究計画局(DARPA= DefenseAdvanced Research Projects Agency)がある。ここでインターネットの原型であるARPANETや全地球測位システムのGPSが開発され、マンマシンインターフェイスといったものも出てきている。ここには非常な成功例がある。どういう組織かというと、ファンディングエイジェンシーといってもいいかもしれないが、マネージャーが10、20人といる。このマネージャーが全国いろんな研究所などに行って、この研究面白いよねとなると、そのまま金をつける。しかも口は出さない。

 そうすると、研究者は楽だ。研究費は保障されて、しかも研究そのものの制約はなくフリーハンドだ。一方、マネージャーの責任はものすごいものがある。マネージャーに話を聞いたことがあるが、本当に毎日、胃が痛くなるという。かなりの額を1人で動かすから、その責任は一人で背負わないといけない。しかも世間の目を常に浴びる。なぜその研究なのかと。

 DARPAみたいなやり方は大事だ。ダイナミックな技術開発というのはそういうとこが必要で、無駄じゃない投資というのは民間が大抵やっている。無駄かもしれないが、それをあえてやっていかないといけないとなると、公的な機関しかできない。

 実験に成功したら、それではその技術をベースにしたインフラを作りましょうというと、体力のある国家じゃないとできない。GPSなど仮にインフラがなくて民間でこのアイデアを生んだとしても、実現なんて夢の夢だった。

 さらに司令塔の不在がある。国家としてこの方向でこれをやらなくてはならないという司令塔機能だ。わが国には総合科学技術・イノベーション会議というのがあるが、ここはこれまでそれほどうまく機能していなかった。各省庁から上がってきた様々な提案を、うまくまとめてデザインする部署だ。そこがうまくリードできていなかった。もっと司令塔という意味で機能強化をしていかないといけない。

 科学技術基本計画というのが第1期から4期まできているが、来年、5期の基本計画をどうしていくのかという話を今、事務局で検討している。

――中東問題研究者が、日本は石油依存度が高いけど、一兆円ぐらいの金をつけて、石油に替わるエネルギー開発を考えたらどうかという提案をしている。

 それもそうだ。燃える氷といわれる海底に眠るメタンハイドレードも、可能性のあるエネルギー資源だ。ずっと前から注目していたが、正しい方向だと思う。

――わが国は海に囲まれた島国だ。さらに温泉地帯でもある。こうした熱を取り込める循環型エネルギー源を担保できれば、石油依存度を減らせることで国家リスクは低くなる。

 ただ、予算の制約がある。全部に何兆円というのは土台、無理な話だ。一方、収入があったらこのぐらいは出すよというのはいいと思う。経団連で1%クラブというのがある。経常利益や可処分所得の1%相当額以上を自主的に環境改善や社会貢献活動に支出しようと努めている。

 その財源1%を先に決めてしまう。こういうのはいいことだと思う。ここだけは投資しましょう。それを国家として支えていく。財務省じゃなくて国家がやらないといけない事柄だ。政治の意思として決めていくことが必要だ。

 これまでも財務省の査定の中で決めてはいる。結果的にそんなにはずれたことにはなっていない。こうした姿勢を、維持、強化させていかないといけない。

――教育は国家100年の計と言われるが、教育問題では?

 教育というのは2種類ある。道徳とか心の部分。もう一つは学力という部分だ。前者、後者もそうなのだが、まず現場に行くと、学校の先生方の権限がきわめて限定されているという問題がある。何かといえば教育上の指導方法について、程度の問題もあるが、随分と先生方はやり方を縛られている。範囲を超えれば責任を追及される。そして所管の役所や教育委員会も責任を追及される。追及されるから、現場の行動を縛ろうとする。現場の教員の権限が小さくなるということは、現場に合致した指導ができなくなるということにつながる。そして、現場は書類、書類でどんどん仕事が増えていく。子供の教育に力を注ぎたいのに、管理組織への報告の仕事が増えてしまう。それで書類を出して、権限があるのかというと、必ず責任だけ追及される。こういうことが起きているのだという認識に立てば、ここを改善すべきだろう。

 学力でいえば、弊害の大きかった「ゆとり教育」は改善されたが、もっと詰め込みというわけではないものの、競争をすること、ハングリー精神醸成といったことをやっていかないといけないと思う。

 無論、格差だとかあるいは平等とかは非常に重要な問題だが、一方で、がんばってもがんばらなくても変わらないようなことではいけない。

 学力と心の問題というのは相互にリンクするとは思うが、機会の平等こそ求めていくべきで、結果の平等を求めるべきではない。

 他の政策にもつながってくるが、今、国家の存続のために政策として何かやろうとしたときに、個人の権利の侵害とは言わないまでも、国家による押し付けだと思われてしまうことがある。国家の存続と個人の権利の問題だ。例えば、少子化問題で希望出生率2を目指しましょうと言うと、これは国家権力による国民への押し付けにつながるから目標にはできないという話がある。先般も人口1億人弱を目指すべきことが政府により示されたが、あれも目標ではなく、あくまでビジョンというわけだ。こういうところは、もっと国民的議論が必要だと思う。

 帰属意識の問題もある。日本とは何ですか。安倍総理が第一次政権のとき、教育基本法をやったけど、ここには非常に重要なことが書かれている。それを具体化させていく必要ある。結構、ハードな作業になるんだと思う。

――尊敬する政治家は?

 吉田茂だ。

 戦後、非常に苦しい時、経済重視と言って、大きな判断をした。これは批判もある究極の選択だった。選択した政策の中身というより、こうした英断を下したポイントにおいて吉田茂は尊敬する方だ。大平正芳先生も同郷出身ということだけではなく、田園都市構想なるものを打ち出した先見性の高さにおいて仰ぎ見る政治家だ。

 その田園都市構想というのは、現在起きている人口減少問題などに対応するもので、あの時代に現在を予測して出されたとしたら、ものすごい大政治家だったと思う。

――田園都市構想というのは、地方創生とつながるものがある?

 そうだ。地方を豊かにすることが骨子だ。東京にばかり人が集まって、地方に雇用がない。しかし、都市というのは子育て環境に適さない。都市の出生率は田舎より低く、人口のブラックホールとも言われている。

――文化国家をも提唱した大平氏は、全身を包帯でぐるぐる巻かないといけないような病に冒され、死の淵に立たされた人物だが、大政治家というのは得てして、極限状況を乗り越えたことがある人物でもある。

 達観した者のみが見える世界があるのかもしれない。

 海外にも立派な政治家はいるが、日本人というのは基本的に学ぶ姿勢というものを持っていると思う。何にでも意味を感じながら、人間社会だけでなく、山川草木悉皆成仏じゃないけど、あらゆる事象から普遍的な真理みたいなものを感じ取り、達観する力というのは、世の中を俯瞰する力を育てていく気がする。

――政治家が哲学を語っている。よく本を読み、熟慮してきたとしか考えられない。

 じつは最近、あまり読めていない。そこが残念なところだ。昔はよく読んでいた。国って何なんだろう。実は単純なことかもしれない。

 その答えを見い出すために、修業の途上にあるようなものだ。その結論には至っていない。ただ、考える中で、大きく影響を受けている言葉がある。ジョン・F・ケネディ米大統領の就任演説で、「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるか治の役割だ。

――香川県に地方創生の芽があるのか?

 香川に何があるか。私は地方創生で一番、大切だと思っているのは「見える化」だと思っている。実は地方に住んでいて、見えていないものがある。ローカル経済をマクロの視点から見て、企業、商店などを含めてどういうサプライチェーンになっているのか。お金はどう流れているのか。人はどこに集まり、動いているのか。これが見えない限り、何の策も出てこないような気がする。策が出ているんだったら、とっくに出ているはずだ。

 そういった意味で、ビッグデータを使って可視化する政策、サプライチェーンの見える化を中小企業政策として取り組んできた。

 例えば営業マンが、取引先からうまく仕事をとれない。これは取引先がうまくいっていないからだが、何でうまくいかないのか。その会社の取引先もうまくいっていないから、余波を受けている。そのぐらいは見える。でも、その先は見えない。他の会社とも取引がある。マクロとして地方全体でどういう取引があるのか、あるいは業種ごとに、この業種と業種がどこでつながっているのか見えたら、初めてマクロ的にここをつなごうという政策が出てくるはずだ。

 これをやっていたら、たまたま運よくというか、地方創生本部が取り上げてくれて、今、全国の地方自治体に提供することになった。地方がこういうツールを使ってどんどん成長の戦略を立案していってくれることが何よりだ。

 香川で一つ言えば、静岡の教訓がある。

 愛知県と東京の間に静岡県がある。その静岡は元気だった。なぜかというと、愛知と東京の間の地の利だ。

 同じように、大阪圏という経済圏と、北九州といったアジア圏に対するゲートウエー地域をどう結ぶか、を考えたとしよう。四国というのは離れ小島のようなもので、無論、瀬戸大橋はあるけれども、アジアにつながってないのであれば意味がないので、四国が生き残っていくためには、この構造で佐多岬を抜いていって、直接、アジアの市場とアクセスできるような環境をつくるなり、高速道路も新幹線もない九州東海岸と結んだ時に、地の利を活かせる、というような構想も考えられる。少し大風呂敷だが。

 太平洋側に面している高知県を介して、豪州圏の市場を取りこむこともできなくはない。そういう発想で、小さい視点と大きな絵柄を組み合わせながら、鳥瞰図と虫瞰図のコラボから地方創生の道筋を整備していく必要があると思っている。

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