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インタビュー 自主憲法制定の時満ちる使命託された日本の政治家

首相補佐官・参議院議員 衛藤晟一氏に聞く

 今回の安保法制は、「戦争法案」、「徴兵制」、「違憲」など、国民からあまりに大きな誤解を受けている。一連の国会論戦を通じて、国会質疑で目立ちたい野党の追及が細部の論点に偏ったことや、センセーショナルなメディア報道によって、国民には本筋がかえってわかりにくくなってしまった。しかし、一方で、自民党支持者の間からも、与党にはもう少しきちんと説明してほしいとの声も出ていた。首相補佐官の衛藤晟一参議院議員にこの安保法制と憲法改正、福祉・教育問題を聞いた。


――今回の安保法制の本質について、衛藤議員としてはどのような説明をされているのですか。

 平和安全法制の目的には大きな柱が2つあります。1つは国際平和に各国と協調して貢献するもので日本の平和と安定に資するもの。もう1つは未然に戦争を防ぐ、即ち戦争を抑止するというものです。後者に絞ってお話しします。近年、北朝鮮が日本に対して数百発のミサイルを実戦配備するようになりました。それに対処することも念頭にして日本はミサイル防衛網を作りました。そのミサイル防衛網は、日米共同で運用しています。実は、日本を守りにきている米軍が攻撃された時、日本が防護することを一緒にやらなかったら、この防衛網は破られてしまう現実があります。

 さらに米軍の防衛網の一部を少し叩かれた時、日本が加勢に行かなかったならば、米国共和党の大統領候補であるトランプ氏が発言したように米国民は日本の対応に納得しなくなるかもしれません。

 米国が米国自身を守るためではなく、日本を守るために行ったのに、日本がやるべき(と米国民が考えている)ことをしないというのは米国民とすればフラストレイションがたまることです。だから、二重の意味で何とかしないといけない事柄だったのです。

 この議論をする時、戦争法制とか徴兵制とか全くありえない批判をしてレッテル貼りがなされています。国際情勢が大きく変化した今日、日本の安全保障のあるべき姿の議論をしない野党やマスコミの責任は大きい。と同時に、それを本来の議論の土俵に戻せなかった自民党や政権にも反省しないといけない点があると思う。

――昨年、安保法制懇談会が「芦田修正」論に基づいて、憲法上、制裁戦争まで許されるとの趣旨の報告書を出した際に、「積極的平和主義」を言う安倍総理はこれに乗るのかと思いきや、そうではなく、イラク戦争に参加するようなことは未来永劫ないと否定しました。しかも、集団的自衛権についても国際社会で一般的な集団的自衛権ではなく、「存立危機事態」という、実質的には個別的自衛権ともいえるような部分についてのみ、限定的にこれを認めました。専守防衛の憲法の精神を見事に守ったわけです。憲法解釈の変更が必要なのは、形式的に国際法との整合性が必要だからに過ぎません。当時、意外と安倍総理はハト派だとも思った経緯がありますが、一般にはそれとは逆のイメージで受け止められています。

 安保法制懇の議論の中では、米国防衛のために、片務性を排した集団的自衛権を考える余地を残そうとした議論がありました。そういうことも混線して議論を分かりづらくなった面があると思います。

 今回の平和安全法制は、他国防衛のための集団的自衛権を一切、含んでいない内容で、しかも憲法の解釈としての芦田修正を採用したわけでもありません。昭和34年の最高裁の砂川判決に基づくところの憲法前文の平和的生存権、13条の生命と自由と幸福を追求する国民の権利は最大の尊重がされることをベースに、9条を解釈したものです。最高裁の判決は集団的自衛権を否定したものではない。自衛のための措置は国家固有の権能の行使であって当然とした最高裁判決の範囲内です。

 したがって、憲法解釈からすると、基本的論理は変えていない。憲法違反では全くありません。憲法学者の方は憲法違反と言ったが、その方々の多くは自衛隊を違憲と考えているし、日米安保も違憲だという立場に立っています。

 その議論と今回の議論をごちゃ混ぜにしてしまっています。

――平和的生存権というところから我々は自衛隊を合憲としました。

 そうです。米国は昔、安全保障を日本に手伝ってもらいたいなどとは想定だにしていませんでした。しかし、相対的な力の低下が起こってきて、米国共和党のトランプ氏が言ったように安保ただ乗り論というのが、米国民の潜在意識に広がっているのだと思います。しかも日米ミサイル防衛システムという日米が一体となって日本を防衛する体制が出来上がっている中で、その一角の米国イージス艦が攻撃された時に、これを放っておけば大変なことになる。ミサイル防衛網は破られ、さらに米国民が日本の傍観に納得しないことによって、日米関係が極端に悪化する可能性があります。

 日本の存立が危ないということで、日本防衛型に限定した集団的自衛権行使の権利というのは、はっきりしている。解釈としても昭和47年と56年の政府見解で、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲で自衛権の行使が可能であるとしてきました。しかし、当時は、、集団的自衛権は持っているが、必要最小限度を超えるとして、自衛の措置としては行使はできないと判断した経緯があります。昭和の時代はまだそういう時代だった。米国の力もあったし、北朝鮮のミサイル攻撃の脅威もなかった。日米ミサイル防衛網もなかった。しかし、先ほど申し上げたとおり国際情勢が大きく変わりました。

 この時代の変わり目の中で、ちゃんとした議論をする必要があったけれど、残念ながら野党の質問の中に、そうしたものが出なかった。

 それと、中国が経済大国になった。特に平成元年の天安門事件以来、いろいろなことがあったが、経済的に大きくなった。それ自体は歓迎されることだが、経済大国になれば軍事大国になると言われてきた世界の歴史の中でみて、その例に漏れることはなかった。ただ、日本だけは、経済大国にはなっても軍事大国にはならなかった。

 中国は27年間で、41倍の軍拡をやり、はっきりと海洋進出をしてきた。これは日本の直接的な脅威と専門家から評価されています。

 東シナ海の油田プラットフォームもそうだし、尖閣問題もそうだ。とりわけ、どこの領土にもならないはずの、南シナ海の岩礁を埋め立てて、領土化している。しかも、東シナ海のものは日本のシーレーンのど真ん中にあり、それを基地に転用可能化したということは大変な脅威として浮上しています。

 中国は軍事大国化し、その意思も鮮明に持っています。今回も抗日70周年軍事パレードをやらずに和解のための活動をやってくれればよかったと思います。

――国際金融面では中国主導のAIIB(アジアインフラ投資銀行)が話題になり、日本は「質の高いインフラパートナーシップ」を打ち出すことでこれに対抗することを迫られています。地政学的にも中国は「一帯一路」構想に加え、太平洋では「新型の大国関係」を米国に提起しており、その中で南シナ海などでの中国の動きに日米がどう対応するかが問われるようになっています。環境の変化に適応して自ら変化できない種は絶滅するというのは、進化論が言っているとおりです。私は官僚出身ですが、これまでの内閣法制局の解釈を変えるのはまかりならんという議論を聞くと、過去に決めたことは全て正しいという「官僚の無謬性」の弊害を想起してしまいます。大事なのは根幹にある国柄であり、それを守るために環境変化に適応していくことが必要な場合があります。集団的自衛権の限定的行使容認というのは、戦争をしない国としての作法だと思います。今回の安保法制はそういうものだと解釈しています。衆議院議員の時、当時の次世代の党の有志の議員で、フィリピンに行ったことがあります。フィリピンの国会議員の方々と覚書を結び、中国を意識して海洋の秩序を大事にしていくために連携し、他の東南アジアにも広げていこうという趣旨でした。議員外交も東アジアの安全保障にとって重要だと思います。

 東アジアの議員外交は本当に大事だ。もっとやって本音の話ができるようにしないといけない。今回も周辺事態法から重要影響事態法に変えたというのは、日本の平和と安全に重要な影響を与える時には、これらの国々とも連携をとるということで進展したと思う。

――次に、憲法改正についてですが、大事なのは、中身はともかくとして、自分たちで憲法を作る営みとしての「自主憲法制定」だと思います。憲法制定は国家主権の最高の営みですが、現行憲法はサンフランシスコ講和条約で主権を回復してから制定された憲法ではなく、占領下で作られた憲法は果たして有効なのかという議論すらあります。自主憲法の制定は国民自らが主体的に自分たちの国をどうするのかを考えるという意識にもつながるものです。それこそが国家としての自立であり、個人の自立にもつながっていきます。その意味でも、96条を改正して国会の発議要件を緩和し、国民投票で憲法についての国民選択をしやすくすることが改憲の根幹となるのではないでしょうか。9条をおいても、まずこのところが重要だと思いますが、改憲に向けた段取りはどのように想定しているのでしょうか。自民党は党是として憲法改正を挙げています。戦後、占領軍は日本から主権を取り上げていたわけですから、占領中に日本の憲法を変えるということは本来おかしい。その意味では、日本は自らの力でそれを正す必要があったと思う。それは占領が終わった昭和27年に先輩達の手でやられてしかるべきものだったと思う。

 昭和24年には中華人民共和国が成立しました。米国は国民党の中華民国と共闘したわけで、よもや中華人民共和国ができるということは想定していかなったと思います。

 さらによもやと思っていた朝鮮動乱が起こり、ソビエトの指示と援助の中で、中共軍と北朝鮮軍が南進し韓国を侵略しました。それが昭和27年の日本の独立につながったと思います。

 そして戦後、日本を完全に非武装化する占領軍の占領方針が共産主義に対する防波堤を築くために相当変わった経緯があります。

 占領軍の日本統治の根っこには、共産主義と民主主義で日本統治をやるとしたところがあったと思いますが、この時点で共産主義に対する考え方を変えました。それから日本の安全保障における位置づけを変えたという大転換がありました。

――米国は当初、共産主義の脅威を軽んじていました。ユーラシアでここまで広がってくるとは思っていなかっただろうし、占領軍の中に若干、そうした思想傾向の人物もいました。その方針を大転換しました。その時、憲法解釈も一部変えています。時代によって憲法の解釈も変わってきます。

 第二次世界大戦では自由主義陣営はソビエトと組みました。結果的にはアジアで中華人民共和国が成立することになりました。

 これは米国が抱えることになる戦後最大のジレンマであったと思います。

 日本に対してもそれをやって、今もって日本国内で一部メディアを含めて共産主義の悪影響はずっと残っています。

 そのような背景にあってか憲法改正に関しては、日本は昭和27年に独立しても、自主憲法制定はできなかった。それから、戦後から70年たった今、我々は改めてあるべき憲法について考える必要があります。自らの手で憲法を作るべき時は来ていると思う。

――日本は戦後、平和を愛する国として世界平和に貢献してきました。それを70年、積み重ねてきたことをきちっと世界に対し確定させていくという意味での「新しい国づくり」が必要ではないでしょうか。それに向けたメッセージが不十分なような気がします。その不十分さが、従軍慰安婦問題といった誤解や、国際世論形成がうまくいかないといったことにつながっていると思います。そういう意味でも、わが国のあり方の再定義がそろそろ必要なのでは。

 平成5年に自民党が政権を失った時、党の綱領検討委員会が立ち上がり、会長を務めた後藤田さんが「憲法改正を自民党綱領から下ろす」と提案しました。それに対し中川昭一氏や安倍晋三氏、それに私がその委員会に入り、侃侃諤諤の議論をしました。その結果、「これからの時代にふさわしい憲法を作る」に変えた経緯があります。

 あれから20年以上経ちましたが、どんな憲法にするのか、日本の政治家にはその使命が残っています。憲法9条の見解が国民の間で分かれていることはおかしなことではありますが、だからこそ、何より憲法を自らの手で作るということが肝要です。

――戦後、70年たっているのに、解釈すらまだ定まっていないこと自体がそら恐ろしい気がします。ところで、衛藤議員は福祉問題の第一人者ですが、先日、ある人が「自分は右寄りの人間だから、福祉のことをやっている」と言っていました。国のことを考える人は、自分の利益を超えて公(おおやけ)のことを考えるからだという意味でした。そもそも保守政治というのは、新自由主義的な利益追求とは違う公の価値を作っていく立場だと思います。福祉をライフワークの一つにされていることには頭が下がるばかりですが、福祉に関心を持つようになった契機は何だったのですか。

 父は肢体に障害を持っていました。服を着れば分かりませんでしたが、戦争で片方の腎臓に弾が入って摘出し、あばら骨も2、3本なかった。だから障がい者のお世話をよくしていました。その時、大変な方は多いのだなと知って、この人たちのお役に立てるような人にならないといけないと、親父からよく言われました。

 そうした中で福祉をやって気づいたのは、社会保障も安全保障も同じようなことだということです。

 安全保障でも憲法でもそうですが、自分自身、自信と誇りをもってたくましく生きようということからスタートすると思います。福祉もかわいそうだ、何とかしたいという愛情の発露としての側面と、人の生き方としての側面があります。左翼の福祉活動を見ると、かわいそうな人たちを抑圧している悪い人たちをやっつけろという理論なのです。

 そうじゃなくて、障害をもっている人たちもみんな素晴らしい日本人であって、この人たちが持っている可能性を少しでも表現していく。さらに助け合って共生していく。やさしくあったかい社会を作っていくというのが基本だと思います。そのための福祉でありたいと思っています。

――自立こそが人間の幸せであり、人それぞれの自立の形があって、福祉の基本はそれをサポートすることにあるのだと思います。

 それぞれが自立して、それでも足りないところは助け合っていくことが肝要であると考えています。

――2020年の東京オリンピックに向けていろいろなことが話題になっていますが、衛藤議員はパラリンピックの支援活動をされていると聞いています。具体的にはどのような活動なのですか。

 5年後の東京パラリンピックでは国民に大きな感動を与えてもらいたいと思っています。この中で今、特に力を入れているのが健常者も障がい者も一緒に参加し楽しめるスポーツ・オブ・ハート。スポーツ・オブ・ハートはパラリンピアンの呼びかけにより、健常者と障がい者の枠を越えて、スポーツ選手、ミュージシャン、文化人たちが協力し合い〝すべての人たちが幸せに暮らせるニッポン〟を目指すプロジェクトとして発足したものです。健常者や障がい者を含め、みんな一緒にやっていければと思っています。

――福祉といえば、厳しい財政状況の中で財源の面でもいろいろな制約があると思いますが、衛藤議員はそのことにどのように向き合っているのですか。安倍政権としても、まずは経済再生のアベノミクス、次に安保法制ということで動いてきましたが、その次の大きな課題として社会保障改革というのは避けられないと思います。

 バブル崩壊後、低成長の中で、社会保障費は、この20年で2・5倍に増えました。20年前、少子高齢化や障がい者対策、介護保険など、社会保障の国庫負担というのは13兆5000億円ぐらいでした。今は31兆円。全体予算は96兆とか100兆円とか言っていますが、国債費とか地方交付税を引くと残りは60兆円ぐらい。既に歳出の半分を超えて55%ぐらいになっています。財務省は多分、頭が痛いと思う。

――財務省主計局では普通は一人の主計官が複数の省庁の予算を担当したりしますが、社会保障だけは、近年、二人の主計官が担当するようになっています。その財源は税収の全額を社会保障に充てる消費税ですが、日本の場合、増税の先送りが続いたために、消費税収が圧倒的に不足して赤字公債に依存してきた結果、消費税率を引き上げても、その相当部分が借金への依存を是正するところに行ってしまいます。本来、社会保障費の増大に見合う形で徐々に税率を引き上げるということであれば、増税してもそれは社会保障給付の増大に回るため、経済全体でみれば景気にはマイナスにはならないものですが、将来世代に負担を回してきた部分を今の世代で負担することに変えるだけの部分が大きいと、それは増税時点で国民経済に大きな負荷を与えることになってしまいます。

 これまで少子高齢化社会を乗り切るために、20年頑張ってきたが、あと13、4年、頑張らないといけない。さらに必要な12、3兆円をどうするか。一応、今は消費税でやろうとしているが、日本の場合は、いま言われたとおりの「先食い」をしています。消費税を上げた時には、思い切った減税をしないと消費が落ち込む。景気の下落が大きく、景気対策を打たないといけない。

 今度も財務省だとか専門家筋は、これだけ景気がよくなってきているから3ヶ月か半年で回復すると言っていましたが、一年以上、影響が出ている。

 それでも平成29年4月1日から消費税を8%から10%にする。ちゃんと考えないと、景気を落としたのでは社会保障にまわす金はなくなってしまう。税率は増えたとしても実際の歳入は減りかねない。これをどう考えるかというのは最大の政治課題です。

 われわれは「景気回復なくして財政再建なし」と言ってきたが、経済が活性化して豊かになっていかないと、財政再建できない。今までは先に財政再建があって経済全体の底上げを考えていなかった。

――財務省が経理部の発想から脱却して本物の財務部になる必要があります。「経理」省ではなく、財政、経済戦略をもった本当の「財務」省にならなくてはいけません。国家財政も投資的な分野については資産負債管理をきちんと行うべきです。資産の価値を上げ、それに見合うファイナンスをし、バランスシートの発想で弾力的な財政運営をするのです。他方で、赤字国債も建設国債と同じ60年償還ルールというのではなく、両者を区別して赤字国債は減らしていくことで財政規律を営んでいくべきです。こうしたメリハリのきいた運営こそが「経営」であり、財務はそれを支える役割を果たすものです。経営が良くなければ収入も増えません。こうした国家の経営をどう組み立てるかということに課題があると思います。

 第1の矢で円高デフレ解消に向けて資金を大量に市場に流しました。結果的には円高デフレは解消できつつあります。当初は金融緩和策は効果がないと言われていましたが、結果的には効果があった。第2の矢では機動的な財政政策を発動しました。

 第3の矢で規制緩和と自由化、イノベイションということを言ってますが、これらは全部、ツールに過ぎない。第3の矢が、少子化であっても、成熟社会であっても、この国の経済をどうしたら伸ばすことができるのかという、世界に先駆けて新しいチャレンジをしているという意識をもってどうすべきか考えないといけないと思う。

――人口が減るのなら、一人当たりの生産性を上げるしかありません。そのためのチャレンジが日本人には問われていると思います。

 意欲のある女性と高齢者がもっと働けるような環境にしなければならない。健康寿命は女性が76で、男性が71だ。これを伸ばせば、もっとみんな働けるということになります。

――そのためにも、ライフスタイルや社会モデルのイノベーションが必要になってきます。

 さらに地方に住めるようにし、農業の改革もやっていく。機械などの生産財の輸出からインフラシステム(社会基盤)輸出へと転じていくことも重要になります。このインフラシステムというのは、諸 外国に膨大な需要があります。

 そして成熟社会や少子化の中で、国内の消費を拡大するために、国民のニーズを的確に捉えないと、経済は拡大しません。中国だって少子高齢化では日本の後を追っている。

――この問題は、一人っ子政策をやってきた中国の方がきついと思います。ところで、日本経済の活性化を促すためにも、クリエイティブな人材の育成が必要です。国の安全保障を支えるのは、結局はパブリックな価値を守ろうとする国民の精神であり、子供のときからパブリックな価値を大事にする精神を養う必要があります。世界大競争時代に伍していくためにも、物事を自分の頭で考える国民を育てないといけません。そう言われながら、いまの日本の子供たちは、朝から深夜まで、塾に行って一方的に人から聞いたものをコピーするような勉強をしているのが現実です。これで日本は本当に大丈夫なのか心配になります。私が見聞した欧州などの教育現場では、模範答案や模範演奏に先生は見向きもせず、多少間違っていても、あなたのユニークさはどこにあるのかということが評価されるようです。数学の時間にはパスカルやライプニッツの哲学を延々とやっています。こういう風にして育った人材に日本は太刀打ちできるのかと思うことがあります。最後に、国家百年の大計といわれる教育政策の柱をどう据えるべきでしょうか。

 大きな流れで俯瞰すると、第一次安倍内閣で教育基本法の改正をして、人格の完成を通じた有為な人材教育へ舵を切りました。それから教育目標の中に、公共の精神を大事にするとか、知育だけでなく道徳教育を入れるとか、国を愛する心を涵養しましょうとかが入った。これをどう徹底できるかということが大事です。もう一つはユニークな人材をどう育てるか、さらに高等教育の改革が大事になります。

――かつては大英帝国として繁栄した英国は、今でも世界中から留学生が集まる国ですが、その英国では、教育とは「歴史と哲学と愛国心」を教えることであり、この3つさえ教えていれば、教育の使命は達成されたと考えるのが英国の教育だそうです。

 日本もそういう教育にしたいものです。

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