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インタビュー とにかく普天間を解決したい!

跡地利用で国際医療拠点に期待

内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、宇宙政策)島尻安伊子氏に聞く

 橋本龍太郎首相とモンデール米大使で合意した1996年の普天間飛行場の返還は結局、19年近くも経てまだ実現していない。今、なお辺野古移設問題で政府と沖縄県との間で政治的確執が続く中、沖縄担当大臣に就任したばかりの島尻安伊子内閣府特命担当大臣にインタビューした。大臣は開口一番「とにかく普天間を解決したい!」と力を込めて語った。また「アカデミズムの中に眠っている様々なシード(種)を世に出して、産業社会に刺激を与えていく」と述べ、開かれた科学技術社会の構築にも意欲を見せた。


――大臣になると景色が一変するとお聞きしますが、いかがですか?

 そうですね。一カ月過ぎましたが、怒涛のごとく、あれよあれよと、時間が過ぎてしまった感じです。

――10月には韓国に出かけられていました。何か成果は?

 ソウルでОECDの科学技術閣僚会議がありました。科学技術問題では、前に政務官として携わっていた経緯がありますが、大臣としていくと、相手もそれなりのVIPですから、意見交換したり十分、蓄電できました。

――産業のイノベーションを高めるには、将来、ボディーブローのように効いてくる基礎科学のベイシックなものが重要であると同時に、先端技術の研究開発力が問われてきます。そのあたりの政策は?

 産業イノベーション力を高めるというのは、アベノミクスの新三本の矢の一本目でもあります。とにかくオープンでダイナミックなイノベーションの仕組み作りが必要だということは間違いありません。イノベーション力と社会需要とを迅速かつ効果的に連結させる。そのためにイノベーション力の底上げとトータルなナショナルシステム構築が大事になってくると思っています。

――オープンということは、産学連携の裾野を広げていくということ?

 そうですね。聞いたところ、日本の科学技術に限らず、社会全般にクローズドの感じがあるので、そうじゃなくてオープンにということです。

――アカデミズムの問題とすれば、これまで蛸壺型の研究が問題視されてきた経緯があります。それを打破する政策的な手立てというのはないのでしょうか?

 今までも、アカデミズムの中には様々なシード(種)が眠っていたはずです。今後、われわれの仕事としては、そのシードを世の中に出していく業務が肝要になると思います。お見合いをさせたりといった橋渡し的な役割を果たすことで、いろいろな産業とか、ものづくりに刺激を与えることが可能となります。そこから儲けられる産業に結びつけるというのが、われわれの仕事だと思う。そういう助産師こそが必要かと思っています。

 今までの科学技術政策としても、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDО)や国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)とかで一部やってきているものです。私もそこを受け継いで、これからやっていくことになるわけなので、具体的な二ーズとかを具体的にテーマとして設定すると同時に、人材の育成に関する問題点など、改めて業界団体や関係団体にお聞きして、そこに手当てをしていくことになるだろうと思います。

――沖縄米軍普天間基地の辺野古移設問題はみなさまが嫌というほど質問されて、辟易かなと思って、あえて質問の頭から外しました。この辺野古問題では、政治的な確執が激しくなっていますが、この展望はどう見ておられるのでしょうか?

 私はもっぱら沖縄振興担当大臣として、本当にこれからの沖縄に役立つ振興に本腰を入れるべきだと思っています。私の立場をお話させていただくと、やっぱり20年近く、辺野古問題は続いているわけで、政府としては普天間基地の危険性除去を一日も早く実現するために、辺野古への移設を進めるというのが政府の立場です。

 私とすれば、とにかくこの問題を最終解決させたいという思いがあります。そのために、安倍内閣の一員としてできることはすべてなす覚悟です。

――返還された普天間基地の跡地利用で、大きな目玉となるような構想は?

 もちろん、あります。西普天間基地の住宅地跡51ヘクタールが今年3月31日、返還されました。前の仲井真知事と宜野湾市の佐喜間市長、それに私とで、この跡地をどうするのかという議論を重ねて、出たのが国際医療拠点でした。国としても跡地利用に関しては国の責務として進めるという1つの法律があるので、それに則って強力に進める義務があります。沖縄振興担当大臣としては、ここの成功にどう寄与していくのかというところが私の使命だと思っています。

――辺野古反対ばかりで代替案を示さない翁長知事もどうかと思いますが、いずれにしても基地移転問題を前に進めるには政治的な手腕が問われてきます。

 翁長知事も、沖縄の振興策とか、これからの沖縄作りにおいては、辺野古以外は仲井真前知事と全く同じだと言ってきています。これまで沖縄21世紀ビジョンという県民総出で作った計画があります。これは多岐にわたり、観光とか、物づくりとか、経済一般的なもののみならず、子供の教育や社会福祉をどうするのかだとか、かなり広範な課題を網羅した計画です。

 これに関しては、翁長知事は仲井真前知事と全く同じで、自分もその策定に関しては協力したんだと言っているので、こと沖縄振興に関しては、私としては違うところがなく進めていけると楽観しています。

――ただ翁長知事は共産党や社民党の支援も受けているので、自分で自分の足を縛った側面もあります。そうした政治的呪縛を解く方法はないのでしょうか。

 これは今後の流れもありますが、翁長知事ご自身がどう考えるのかに尽きます。

 ただ今、第5次の沖縄振興法が施行されて、これを根拠に予算もあるわけで、10年間の時限立法でここまできているので、次の沖縄振興法をどうするのかというのは、実は今から議論がなされてしかるべき問題だと思っています。しかし、年内に県庁内で議論もないような状況ですので、老婆心ながら心配しているところです。

――東アジアのセンターとして沖縄の経済振興を進めようとの考えがあるように思いますが、どう展開するのでしょうか。

 じつは既にANAの物流ハブ事業が、3年前から動いています。那覇を拠点にして、コンパスをぐるっと回すと、飛行機で4時間以内には、北京、上海、ソウルはもとより、南ではマニラ、ハノイ、ホーチミンも包括できる地理的な優位性があり、さらにバンコクとアジアの主要都市がきちっと入ります。

 ANAが物流ハブとして何をしているかというと、日本全国から物資を沖縄に集めて、ここで荷物の荷がえというか荷物の仕分けをして、もう一回、パッケージを変え、そしてアジアに送り出します。夜の午前1時から4時ぐらいまでの間に、日本中からモノが着いて、仕分けしてアジアに送り出します。そうすると何が起きるかというと、例えば、香港からネットでオーダーがあったとすると、次の日にはその商品が香港の食卓に並ぶということが今、実行されています。それも、かなりの物流の量としてはあるのです。国際貨物取扱量は成田・関空などについで四位になっているはずです。

――シンガポールが物流ハブのポジションを獲得していった最大の理由は、シンガポールのチャンギ空港と港湾をジョイントさせ、海と空の物流を有機的に結びつけたところにありますが、沖縄の場合、空はともかく、港湾機能が弱いのでは?

 実際、経済団体との意見交換の中で、この港湾問題というか航路問題は出ています。いわゆるカボタージュというのがあって、他国業者の船や飛行機は国内運航ができないというものですが、今後、規制緩和の中でできるかどうか課題になろうとか思います。

 たとえば、外国航路から入った船がいったん、日本国内の港湾に着いたら、それきりで、そのまま日本国内の港湾に行くことができないのです。だから、これが課題としてあって今後、海運業のみなさまと相談しないといけない課題です。

 実は空もそれがあったのですが、今は規制緩和されていて、問題はなくなっています。次は船ということです。ただ今までの海運業のみなさまが培われたものがあるので、それを一日二日で変えましょうというのは、なかなかいかない難しさがあり、今後、協議が必要なところです。

――港湾機能では世界一の座は上海、2位、3位も中国が制していますが、巨大だからできること、中規模でできることがあるわけで、そこらあたりの沖縄独自の戦略構築が大事だと思います?

 その通りです。その意味でも、ネットによるオンデマンド型の物流システムは新市場を切り開いてくれるものと期待しています。そのためにも、それにきちっと対応できるような柔軟さが沖縄として備えるべき基礎インフラになろうかと思います。

――鳥取・倉吉のスイカだとか山形のサクランボなど、日本中の付加価値の高い果物や農産物とかを中国の富裕層向けだとか、購買力のあるシンガポールだとかに向けるというのは興味深い気がします。

 今、ANAの事業では市場として香港が一番大きいのですが、香港市民のカスタマーから、最近、解禁された日本の蟹が食べたいということであったり、あとは果物もいいねというコンバインのオーダーを出されたら、それを沖縄に集めて一つの発砲スチロールの中に詰めて一緒に送り出すことが可能なわけです。するとオーダー日翌日には香港の食卓に上るのです。

――これは物流革命です。

 それを今、やっています。さらに、これから機器の修理を沖縄でやりましょうという話もあります。たとえば、アジアで壊れたスマートフォンがあれば、それをいったん、沖縄にもってきて、沖縄で部品を代えて、修理は日本でやりましょう。修理を日本でやるというのが、アジアにおいては価値のあることになります。

 特に、沖縄だとタックスフリーゾーンがあり、地のメリットを活かせます。食料で言ったら、米や野菜をアジアから持ってきて、ここで一つ商品化して出すのです。原料をアジアから持ってくる分にはタックスフリーだから無税ですし、商品にして輸出するのにも全く税金がかかりません。自由に入れて出すことができるのです。食料に関わらず、スマートフォンの部品を無税で入れて、そこで自由に修理して送り返すこともできます。

――そういうアプローチを産業界にしているのですか?

 これからがんばります。県にももう少し、力をそそいでいただいて、政府としては沖縄の振興策として、いろんなことをやっているので、これをもっと実用化して沖縄への企業誘致を進めたいと思います。これが私の仕事かなという考えがあります。金融特区とか、結構、使い勝手のいい基礎インフラはあるのです。

――金融特区はいい構想だったと思いましたが、実際は、鳴かず飛ばずの印象があります。

 二年前、改正がありました。

――島尻大臣のレガシーというか、これだけは大臣としてやりたいというのものは?

 沖縄県選出ということもあって、沖縄の振興、つまり社会資本の整備、そしてこれまで手つかずの子供の教育にも力を入れたいと思っています。文科省マター、厚労省マターの業務となりますが、特にこうしたところを中心軸に据えたいと思っています。

 これが本当の意味で沖縄の強い経済を生み出すものになると信じているからです。

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