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インタビュー 文部科学大臣 馳浩氏に聞く

障害だらけの人生に示唆 

「昔、男ありけり」の伊勢物語

 馳浩文科大臣は長年、フリースクールや夜間中学などの問題に携わってきた。いかなる人生の困難があったとしても、その資質を向上させ未来を拓く教育機会を確保すべきだとの信念があったからだ。その思い入れと「古典中の古典は、伊勢物語」という大臣に、「むかし、男ありけり」から始まる物語文学の魅力を語ってもらった。ただ、昔、受験雑誌『蛍雪時代』に古典講座の連載を持っていた大臣は、理不尽な人生を生き抜く上で大いなる示唆を与えている「伊勢物語」を講じるには100時間あっても足りないという。


――大臣は超党派議連でフリースクールや夜間中学の制度化に尽力されてこられましたが、どういう思い入れがあったのでしょうか?

 フリースクールや夜間中学の問題は十年以上関わってきた課題です。日本の義務教育は世界に誇るシステムであり内容だと思っています。また私は高校の教員でしたが、責任感が強い教職員や高校進学率が98%という我が国の教育体制を誇っていいと思っています。

 一方、さらにより改善が必要だとも思っています。そのきっかけを与えていただいたのが民主党政権でもありました。同政権では高校無償化の議論がでました。高校無償化を全く否定するものではないのですが、意欲があり努力をする生徒に質の高い教育の場を提供して、大学進学やキャリア教育につなげていけられるのか、ここにポイントを絞る必要があるのではないかと思っています。

 やはり自民党としては、資質向上にスポットライトを当てるべきではないでしょうか。小学1年生から中学3年生まで、ほぼ1000万人いる児童生徒の中で、年間30日以上、欠席している不登校児童生徒が平成26年で約12万3000人。このうち180日以上、欠席している児童が推計で1万人から2万います。この状況は異常です。

 こういう児童生徒にも学習支援と経済的支援、法的支援が必要ではないかということです。それこそが公教育の役割ではないかと思うのですが、現状では学校に復帰することが前提の指導しかできません。しかし、フリースクールとか夜間中学という形で教育機会が確保されるようにすることができます。

 そのために何らかの支援をするためにも、根拠となる法律も必要になってきます。

――明治の近代化が成功を収めた最大の理由は、江戸時代の教育にあったと思います。基礎教育や大衆教育として寺小屋があって、「読み書きそろばん」を教えました。一方で藩校でエリート教育を施しもしています。こうした普遍的な教育が浸透していたから、それが教育的資産となって明治時代、欧米の学問や技術を学ぶ受け皿となった経緯があったわけですが、今の基礎教育と高等教育はどうでしょうか?

 我が国の教育のベースはしっかりしています。基本的に我が国では、義務教育のベースが広いから、毎年のようにノーベル賞の受賞があると思っています。

 さらに高校においてもスーパーサイエンススクールとかがあったり、才能を伸ばす教育の受け皿も多様です。

 また私学も頑張っていただいているし、国立大学の、小中高校もあったり、意欲と能力を有する者は、育てていこうという環境はあるので、心配する必要はないと思う。

 義務教育と大学教育、さらに大学院教育などベースが広ければ広いほど、高いピラミッドの頂点が出てくるものです。

 一方で質の問題ですが、いかにモチベーションを持ち、より広くより深い教養を身に付けて、その競争の中から基礎研究の充実をこれまで以上に、支援していくつもりです。

――深い教養ということですが、最近のスマホ文化、電車に乗るとみんなスマホばかり見ているというのは異様な風景だと思います。新聞を読むと手が汚れますが、スマホばかりを見ていては心が汚れるというか、文化の衰退は免れ難いのではないでしょうか?

 私も日本文化の危機だとは思います。私は高校の国語の教員をして、特に古文と漢文の授業を持っていました。本を読んだり文章を書くというアナログ的作業というのは、日本語を通じて日本の文化を継承していっているわけです。

 ただ、今はICT(情報通信技術)の情報を積極的に取り入れて、その中において教育も考える必要があるのは事実です。この側面は否定できません。

 さらに下村前大臣のころから言われている通り、例えば公共という科目が必要ではないか。社会全体を考える教養が必要ではないか。評価は多様でいいのだけれど、道徳を通じて、社会におけるマナーやコミュニケーション能力を高めていく必要があるのではないかということもあります。

 もちろんインターネットをどう使いこなすかということも大事になります。ネットの匿名性の中で埋没するのじゃなくて、いかに自分にとって有益な情報を取得し、それを活用するかということです。

 数値的なプログラミングだけでなく、コミュニケーション上のプログラミングという言い方があると思うが、それを自ら構築できるような信念とか哲学を持つためには、古典を読む必要があります。

 人と話をしたり、また道徳の授業の中で、なぜそうしないといけないかという意味では、教えるのではなくて、子供同士がともに議論を重ねて方向性を見つけるような作業が教育において必要になると思います。

――心に残っている古典は何かございますか?

 伊勢物語です。まず「昔男ありけり」から始まる伊勢物語は在原業平の一代記とも言われているし、源氏物語の原点とも言われています。いわゆる物語というのは、当時の言う表現では、「語り」と「物語り」の両方の使われ方をしていて、物語というのは恋愛を通じて自分の生き方を探っていったり、もう一つは貴き種流(しゅりゅう)離譚(りたん)という表現をするのですが、若い神や英雄が他郷をさまよいながら試練を克服した結果、尊い存在となるとする説話です。伊勢物語も雅なる男が諸般の事情があって、東下りをします。この物語性の中に、天から与えられた能力がある人間でも、その時々の条件においては、東下りと言うつまり都落ちするわけですよ。

 その時に、いかに自分をかきたてて、よりよく生きて行こうとする、そういう風な物語です。その中に男女の恋愛模様が入っています。全部で129段ありますが、一つ一つの小段を紐解いていくことは、人生を紐解いていくことにつながります。

 129段の一番最後にあるのは、いまわの和歌といわれる「ついに行く 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりし」というものです。

 「ついに行く」とは死に出のことですが、まさか、いつか死ぬとは分かっていたけれど、昨日今日とは思わなかった。こういう風に人生を悔いると共に、実はあれは業平の、本当だったらもっと昇進していたのになーという嘆きでもあります。人生これからという時に、何でという悔いの一首でもあるのです。

 だから我々は、往々にして生まれながら理不尽な人生を生き抜いていかないといけない宿命を持つことがあります。どんな人間でも、いつも勝ち組で生きられるわけではないからです。

 しかし、そんな中においても、心の交流やどう生きるべきか、どう判断していくべきか、希望をどう見つけていくのかなど、伊勢物語のテーマでもあります。

 そういう現代に生きる我々にとっても、示唆に富んだ教えのある古典を紐解いて、自分の人生を考えることも大事なことです。

――業平はどうやって自分のモチベーションを上げていったのですか?

 それに出てくるのは女性でした。伊勢物語では、つくもがみとの女性との恋愛もあったり、いろいろな人との交流が描かれています。それを近世でいえば、好色一代男みたいなものではありますが、色好みなる男や好色という色合いの表現ではなく、人と人との男女の交流を通じて、自分のモチベーションを上げたり、あるいは慰めたり、そのことを一つのテーマにしているのです。

――大臣の本の中にも「男女の別れ方」を書いてある個所が出てきます。

 大臣になる前に書いた本で、人生いろいろです。

――ユネスコ(国連教育科学文化機関)が「南京事件」を歴史記憶遺産に登録しました。大臣はユネスコ本部にも出かけられましたが、これにどう対処していかれるのでしょうか?

 日本の大臣が、ユネスコに行ったのは10年ぶりだそうです。

 ユネスコの記憶遺産事業に対しては、対立よりは融和、相互理解といった誠実性が伴った制度となるような改善が必要だと思っている。「南京事件」の記憶遺産登録については大変、遺憾に思うと申し上げた上で、制度の改善を求めました。そのことについては、総会で一定の理解を得たと思っています。

 その後、ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長との直接会談では、以下の事を直接、具申いたしました。

 制度改善には透明性が必要ですから、申請された案件について、やはり資料にアクセスできる公開性が必要です。また、関係する国同士が、政治的対立を生まないように関係国同士の調整が必要だし、審査が整わない場合、登録については一旦、保留をするなどの措置が検討課題となります。

 さらに、こうした具体的なことと同時に専門家の方にご意見を聞きながら、記憶遺産事業をユネスコらしい事業として展開していくためには、透明性やアクセスを担保する制度改善の必要性を説き、理解していただきました。

 これはみんなにとって平等の制度になるわけですから、そのことを主張しておく必要がありました。そうでないと、何か日本だけが文句を言っているように思われるのでは心外ですから。「今あるルールを、ユネスコらしく改善しましょう」というのが私の主張でありましたし、その点については、ボコバ事務局長に率直に申し上げ、改善に着手していただくことになりました。ボコバ事務局長からも、そう表明をして頂きましたから、それをフォローアップするためにも、関係国に呼びかけ、より良い制度にしていきたいと思います。

――ユネスコに理事を送りこむとか人事に手をつけることはないのでしょうか?

 そのことも、今後我が国として、ユネスコ傘下の国際諮問委員会(IAC)にふさわしい人選をした上で照会し、日本もそれに貢献させていただくつもりだし、これからも強く働きかけていきたいと思います。

 やはり、国際機関を動かし、ルールメーカーになることは必要なことだと思います。

――安倍政権はこれまで教育改革には熱心に取り組んできた経緯がありますが?

 自民党が政権を奪還して、足並みをそろえて取り組んできたものの1つが教育改革でした。自民党の中にも教育再生実行本部がありましたから、私も与党の一員として協力してきた経緯があります。引き続き、これまでの教育改革を引き継いでやっていきたいと思っています。

―― 最後に、大臣はロス五輪選手でもあった異色の経歴をお持ちですが、2020年の東京五輪はどういう五輪にしたいのでしょうか。具体的な理想像がありましたらお聞かせ下さい。

 たまたま私は自民党の2020年オリンピック・パラリンピック東京招致推進本部長をして、半年ほど世界中を回っています。情報収集したり、最終的にプレゼンのシナリオつくりに関わらせていただきました。

 その経緯から言えば、世界中の人が東京大会に何を求めているのかということを肌で感じてまいりました。その一番のポイントは、スポーツ選手であろうがなかろうが、アスリートであろうがなかろうが、観客にしてもスタッフにしてもそうですし、誰もが常に課題というか困難を抱えているのです。それを直視して乗り越えるには、かきたてるような情熱が必要です。そのために一番必要なことは団結し、方向性を定めることです。それによって常に目の前にある障害を乗り越えることができます。これは多分に、福島問題や汚染水の問題、東日本大震災からの復興の意味も含んでいます。

 スポーツの世界でいえば、今、ドーピング問題も出てきています。あるいは野球賭博という課題もあります。しかし、不正な行為を伴ったスポーツは当然、社会的には認められないものです。

 こうしたものを乗り越えようとするには、一人でも多くの人が関わることが必要です。また、国際オリンピック委員会(IOC)のそもそもの理念は、世界平和で相互理解ですから、そのための役割を果たすための文化プログラムを考えたら、誰しもが目の前に大きな岩を持っています。その障害を乗り越えるためには、みんなが協力しなければ意味がないし、違う人も認め合い協力することによって困難な課題を乗り越えることが可能となる、そんなオリンピックにすべきだと思います。スポーツを通じて社会変革を促すというのが大きな課題だと思います。

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