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沖縄の基地問題を考える

賛成派、反対派双方の 意見を議論すべき

日本経営者同友会会長 下地常雄

沖縄を揺るがせている米軍普天間飛行場移設問題。国が決めた安全保障政策を一方的に地元に申し渡す姿勢では通用しないが、反対派もただ反対ありきでは建設的な意見は封印され沖縄の未来は担保されることはない。

辺野古埋め立て承認撤回

 沖縄県が、米軍普天間飛行場の移設のための辺野古埋め立て承認を撤回した。これにより、国が進めてきた埋め立て工事は一時的にせよ停止を余儀なくされた。知事不在にもかかわらず撤回を決めたのは、翁長氏の死去に伴う9月30日の沖縄知事選をにらんだ選挙目当てのものと疑われても仕方のない手法だった。少なくとも、沖縄の未来や基地政策のあり方について、決して建設的な議論を交わすことにつながらない。
 辺野古移設は日米両国の外交上の約束で、ようやく埋め立て土砂を投入する段階になっていた。環境対策を含め撤回を要するほどの不手際が国にあったとはとても思えない。在沖米軍は、沖縄を含む日本や北東アジア地域の平和を維持するための重要な抑止力だ。その抑止力と住民の安全のいずれをも損なう「撤回」こそ、平和に逆行する行為だということに気づいていない。
 こうした小手先のパフォーマンスで動く基地反対運動では、時代の大流を突き動かすことは難しい。
 振り返れば、沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題でいただけなかったのは鳩山政権時代だ。基地問題をこじらせて、日米関係に波風を立たせてしまっただけでなく、沖縄県民の不信をも増幅させてしまった。
 鳩山首相は普天間飛行場を鹿児島県徳之島へ移設する県外移設案で乗り切ろうとしたものの、米国は地元の了解を取り付けられないままではだめだと拒否した。

米軍の町コザ市の変貌

 ただ沖縄住民の姿勢にも問題がないとは言えない。
 基地反対というけれども、賛成するかどうかは別として、基地に依存して生活している観点からものを言う人はだれもいないというのはおかしい。
 基地が無くなれば失業する人たちが出てくる。そうした人々のための雇用確保といった失業者対策や景気振興策など、地域の経済も考慮に入れないとバランスを欠く。基地対策費など予算がたくさんつくが、このような失業者に還元するための予算ではないのだ。こういった議論をこれまで、全くしてこなかった。ただ基地反対というスローガンだけの運動に過ぎない側面があったことは反省しないといけない。
 例えば米軍の町だったコザ市も、今では米軍撤退でスラムみたいに変わり果てている。基地に依存してきた人たちは、商売あがったりだ。

被害者意識いつまでも持つな

 敗戦から今日まで、沖縄は過去の傷を負ったままだが、いつまでも戦争の被害者意識を持ち続けるのは問題だ。そうしたマイナス感情をずっと引きずり続けていても、良いことは何一つない。そろそろ卒業すべきだ。そうでないと、最終的には負け犬になってしまう。
 私の出身地は宮古島だが、米軍基地候補地として何で諸手をあげて誘致しないのかと思ってきた一人だ。企業誘致とすれば、これほど条件のいい誘致はないはずだ。
 まず、この時代、米国に戦争を売る国はない。経済成長を軍事力に転嫁してきた中国にしたって、正面切って米軍に立ち向かう軍事力は持っていない。むしろ、沖縄にカウンター力としての基地があることで逆に戦争リスクが減ることが想定される。
 基地反対論者の中には、犯罪が起きるという懸念も根強いものがある。しかし、何千人という駐留兵士が生活すれば、たまには犯罪が起きるのは致し方のないことだ。それでも町ができ、多様な人々の交流によって醸成される文化が生まれ、市の活性化には大いに貢献すると思う。
 米軍駐留のマイナス面だけを誇張するのでなく、プラスの側面も考慮しておかないとバランスの取れた対応ができない。その落とし所を、しっかり見据えて基地問題解決に持ち込むのが政治家たる者の務めだろう。

ジャズ文化

 沖縄はジャズ文化の宝庫だ。戦後の東京でも、山王ホテルなどでもジャズの生演奏が行われてジャズブームが到来している。近年、沖縄ジャズの草分け的存在であるジャズピアニスト屋来文雄(70)が逝去されたが、今でも、沖縄ではジャズのライブハウスがたくさんある。
 ジャズ発祥の地は、ミシシッピ流域都市の米国南部ニューオリンズだ。南北戦争終結後、家路を急いだ南部兵士の集結場所となったのが港湾都市ニューオリンズだったが、音楽隊の楽器は中古品として大量にマーケットに流れて、「ジャズの都」となった経緯がある。ジャズが戦争と切っても切れない関係があることに興味を覚える。
 なお沖縄出身の芸能人はハーフが多い。安室奈美恵にしても、米国人と沖縄女性のハーフだ。そもそもハーフは芸術的な感性が違う。 
 沖縄には、様々な文化が交錯するところだ。それをマイナス点ばかり前面に出して、米軍バッシングを展開するやりかたというのは、いかがなものかと思う。

日米地位協定

 沖縄ではこれまで、駐留米軍の違法行為に神経を尖らせてきた経緯がある。
 だが、日本のメディアには日米地位協定に対する基本的な誤解があるように思う。そもそもこの協定は、「日本と米国の地位」を定めたものではなく、在日米軍が日本でどういった法的地位にあるかを定めたものだ。多くの人々は、在日米軍が優越的特権を持っているように思っているが実は逆だ。
 ドイツでは、「米独地位協定」によって基本的に米国軍法が適用されるが、日本では公務執行中を例外として基本的に日本の法律が適用され、日本の裁判所で裁かれる。
 ともあれ普通だったら賛成、反対の双方の意見があるものだが、沖縄では基地に賛成といえば悪人みたいに扱われる「無言の圧力」が厳然として存在する。この点、マスコミはこうした風評をあおった〝戦犯〟だ。
 賛成派と反対派が冷静に議論できるのが、民主主義だと思う。その意味でも、自由に自分の意見を述べられるようになることが必要だ。マスコミは、賛成派の意見も聞く責任があると思う。個別に会えば、賛成という意見の人も少なからずいる。
 基地問題というのは、沖縄の人にとってみれば大きな問題だけれど、そもそも米国にしたら基地がどこに移転するとか、正直、大きな問題ではない。
 これは日本のマスコミが悪い。それに外務省だ。なぜそんなに大騒ぎするのか、理解できない。
 日本政府が移転費から宿舎の建築費まで、全部日本が負担する。金も全部出した上で、米国にどう思いますかとお伺いをたてるというのもどうかと思う。
 いやならうちはやらないよっと、筋道立ててピシッとものが言える政治家が必要だと思う。これは米国のためにもいいと思う。

沖縄を愛した政治家

 その意味でも、戦後の沖縄の自縄自縛的な政治風土を変えないといけない。
 ともかく沖縄では、何か事を起こそうとすると、どういうわけか、まず反対から入る。
 過去、沖縄に心血を注いだ大物政治家は何人もいた。
 1947年、戦後初めて沖縄人連盟を代表して沖縄を訪問し、沖縄県民から大歓迎を受けた稲嶺一郎氏は生涯、沖縄復興に全力を尽くし、沖縄保守勢力の中心軸として活躍された。
 元首相の小渕恵三氏も、沖縄への思い入れには深いものがあるが、学生時代、稲嶺一郎氏の東京の家に下宿していて、多分に稲嶺氏から継承した沖縄への情熱と理解できる。
 なお初代沖縄開発庁長官を務めたのは、命惜しまぬ鹿児島の侍である山中貞則氏だった。
 薩摩藩による琉球侵攻の歴史について「鹿児島の人間として知らぬ顔で過ごすことはできない」として、祖国復帰に大車輪の働きをした後、山中氏は電気も水もない島ちゃび(離島区)の復興に尽力した経緯がある。2003年12月、山中氏は初めての名誉沖縄県民となり、沖縄の羅針盤として期待されていたが半年後、死去した。

山中氏の後継者、下地幹郎氏

 その山中氏の後継者として、下地幹郎衆議院議員がいる。山中氏の弟子みたいな立場だ。
 米軍普天間飛行場返還合意を米国から取り付けたのは、「沖縄は内閣の最重要課題だ」として政権の総力を挙げて取り組んだ橋本龍太郎氏だった。その橋本政権時代、官房長官・沖縄担当大臣だった梶山静六氏は、「沖縄が私の死に場所だ」とも語ったほど沖縄への思い入れは深かった。
 今の政治家に、こうした人物がいるだろうか?
 二世議員が跳梁跋扈する今の永田町では、そつなく丸くまとまってはいるが小粒のイクラ型政治家ばかり掃いて捨てるほどだが、アジアを俯瞰し歴史を背負って立つダイナミックな政治家は見当たらなくなった。損得を抜きにして国のために汗を流す井戸塀政治家は皆無に等しい。
 沖縄の基地問題は、こうした現在の薄っぺらな政治家の質を浮き彫りにしているように思える。

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