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編集後記

▽亀井静香氏のインタビューは、いつも新宿のアトリエで行なわれる。
 アトリエには壁に掛けられた亀井氏の絵もあるが、あちこちにキャンバスが無造作に置かれている。
 応接室のソファーや机にも、緑色の絵の具が付いたままだ。それはしみのようなつき方ではなく、刀を振るような勢いがある。
 「絵を描くと疲れるんだ」という亀井氏の筆を握る奮闘振りが伺がえる。
 チャーチルも油絵の筆を握るのを生涯の趣味としたが、亀井氏の油絵の歴史も長い。
 曹操は「老驥櫪に伏すとも、志は千里に在り」との句を残した。
 「三国志演義」では、徹底して劉備の敵役に仕立て上げられている曹操だが、客観的な史実に照らせば、新時代を切り開いたこの時代一級の人物だった。
 「老いたる名馬は馬小屋に繋がれていても、千里を駆けようとする気概を持っている」との言葉は、昨年10月、広島県の尾道で「一緒にやっていく相棒がいない」として政界からの引退を表明した亀井氏の心境でもあろう。
 その亀井氏が日本や東アジアという広大なキャンパスに、老驥の一筆をどう振り下ろすのか楽しみだ。

(I)



▽「方丈記」を書いた鴨長明は実際、3メートル四方の庵に住んでいた。
 生活用水は近くの小川から庵まで水を引いた。近くに森があって薪も簡単に調達でき気に入っていた。
 鴨長明のいいところは、隠遁生活ではなく、あちこち歩き回ったことだ。
 当時の貴族は、簡単には出歩けなかった。通常、貴族ならば当時、牛車や牛を借りないと表立って外に行けなかった。付き人も必要で、金と手間が必要だった。
 貴族というのは、外に出るのにもその風格が問われる面倒な階級だったのだ。
 その点、隠者になった鴨長明は、思いのまま手軽にどこへも行けた。10歳ぐらいの森の番人の子供と友達になり、連れ添っていろいろ出歩いている。
 遠出では埼玉県、千葉県の銚子にまで足を伸ばしたとされる。
 鴨長明は自由に外気に触れ、近隣の風に吹かれた。
 その鴨長明の外目を気にしない自由人たるところの行動力と発想が、「方丈記」という新鮮な文学を生んだ。

(T)


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国会両院記者会所属 新政界往来社
新政界往来7月号(創刊昭和5年)
2018年6月15日発行
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