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インタビュー

自由民主党参院議員会長
橋本聖子氏に聞く

感動の東京オリンピックに日本を堪能できる受け皿も

 いよいよ来夏、東京オリンピック、パラリンピックが開催される。そのオリンピックにアスリートとしてだけでなく、政治家としても参加した経験がある自由民主党参院議員会長の橋本聖子氏に、感動があり安全な大会にするために、どう取り組むべきか聞いた。
(聞き手=徳田ひとみ論説委員)

──オリンピックの聖火と共に生まれたというエピソードは有名ですが、ソチ五輪選手団長やアスリートだった経験から2020年の東京オリンピック、パラリンピックへは、どういった思い入れがございますか?

オリンピック、パラリンピックというのはスポーツの祭典と見られがちですが、他の大会と違って、オリンピックは経済や文化力などを含めた、国家の威信をかけた戦いの場所でもあります。その意味では、国家のあり方だったり、未来像を発信する場所と位置付けていて、それができなかった過去の国や都市では、どちらかというとオリンピック、パラリンピックがお荷物になっていたケースがあったりしました。  
結局、「成熟した国家、成熟した東京」発信の場でもありますので、過去にないオリンピック、パラリンピックのやり方を行なう責務が国にはあると思います。
 ただ、まだ昭和39年の東京大会と同じような感覚で考える方がまだいらっしゃいます。そこを国として、どういう風に新たな未来像を描いていくのか、発信力が問われてくる大切な大会になると思っているところです。

──多くの国から選手のみならず、たくさんの訪問客がいらっしゃるので、東京はじめ日本をみなさまにご紹介したり、発信したりする素晴らしいチャンスでもあります。

 スポーツがテーマのオリンピックですが、何より訪問客の皆様が「日本」を肌で感じていただくことで、その後の相互理解や国際貢献、国際協力のきっかけにもなりますね。  
どうしても安全性だとか、正確性というか機能、運営力といったものが問われるのがオリンピックでもあります。
 ボランティアの教育1つとっても、意外と他の国では過去、十分にできてなかった歴史があります。そういったところを、日本はおもてなしの文化を含め、一体感をもってやっていけると思います。
 ただ単にボランティアの人が案内をするというだけでなく、目に見えないところへの心配りや、かゆいところまで手が届くケアなど、そういったところができる国ですので、受け取る側が日本の文化的厚みを十分、堪能できるような受け皿を作っていきたいと思っています。
 それができれば、新たな感動を生み、帰国後、日本のことを宣伝してくださることでしょう。
 万全を期すべきはテロ対策です。最高のテクノロジーで水際対策をしていく必要があります。顔認証だとか、いろいろな科学の革新的技術を駆使し、テロ容疑者を水際で完全にブロックすることが肝要です。

──私たちは海外から大勢のお客様がいらして、にぎやかなお祭り騒ぎのような気持ちでおりますが、国家としては威信をかけて、そうしたセキュリティーへの配慮、万全な安全対策を整えて皆様をお迎えせねばなりませんね。

 アトランタ・オリンピックは、政治家としてもアスリートとしても参加できたということで、印象深い思い出があります。  
いろいろ波紋があったのですが、ちょうど国会が閉会中にオリンピックが開催されたこともあって、出場することができました。
 その時、アトランタの選手村で遠隔操作の爆弾が仕掛けられていた事件がありました。ちょっと時間がずれていれば、爆弾事件に巻き込まれるとこでしたが、本当に間一髪で免れることができました。
 その爆弾テロ事件で死者は出ませんでしたが、ボランティアの方が怪我をされたり、選手への精神的なストレスは異常なほどあった大会でした。
 通常はIDを持った安全を確保されている人しか入れない場所ですが、それでもこうしたリスクにさらされたのです。
 選手村にどういった人が爆弾を仕掛けたのか、全く分かりませんでしたが、基本的にオリンピック、パラリンピックはテロ攻撃のターゲットになりやすい側面があるのも事実です。
 安全で当たり前というオリンピックを、どうなし遂げるかということでもあります。

──生は統合医療の推進を唱えておられるとお聞きしています。西洋と東洋医療を融合させるという統合医療の理想的な在り方とはどういったものでしょうか?

 日本では統合医療がクローズアップされていますが、世界的には既に多くの国がそうした実務の医療制度の中でやっています。そうした意味では、統合医療というのは世界的な潮流となっている現実があります。
 明治維新以来、日本は西洋医学を取り入れ、どちらかというと日本の伝統医療や東洋医学と融合されてこなかった問題があります。
 アスリートの話になりますが、スポーツ界は長く、統合医療のシステムでやってきています。対処療法ではなく、予防医学、あるいは健康増進においての医療という位置づけでやってきているからです。
 アスリートは風邪をひいても、普通の人と治療方法が同じというわけにはいかない事情があります。
 ドーピング問題があって、最低限、飲めないものがあったりするので、基本は風邪をひかないような体を作ることが問われてくるのです。それには完全な予防医療をやるしかないということで、選手の体を個別に判断して体質改善などを試みることになります。
 ここでは、医食同源ではありませんが、食というのが絶対的な医療の1つになっています。
 また、歯のかみ合わせ一つも、体全体のバランスが崩れてしまうということで、デンタリストのアドバイスも取り入れています。
 すべてにおいて、医学の専門性をもった人たちがチームを組み、ずっと帯同してくれて、選手がのびのび活躍できるようになっているのです。
 これは単にアスリートだけの健康増進に役立つだけでなく、地域の医療と組んでやっていくことによって、住民の健康寿命を伸ばすことにもつながってくるという広い裾野をもっているものでもあります。
 いくら寿命が延びても、寝たきりで人間らしい生活ができないと不幸ですし、健康寿命が延びれば医療費の削減や社会保障費を安定させることも可能となってきます。そうすると、新しい産業に目を向けていく市場拡大にもつながってきます。
 こうした考え方が統合医療のベースにはあるのです。決して体をみる医療というだけではなく、環境問題を含め、健康的な街づくりに貢献していくというものなのです。
 北海道に来ていただいた外国人観光客、特にアジアの方が、雪景色に心を癒されたりとか農村地帯が心の癒しになったりしています。そういったものも大事な観光業なのです。
 健康的な街づくりというのは、道路インフラの整備というのは必須ではありますが、サイクリング道路を作ったり、トレッキングや歩道であっても、どの位置にベンチを置くかによって心の癒しの度合いが違ったりします。
 そういうことを考えると、国交省も農林省も、すべてが融合した形で1つの街づくりをしていかないと、人間として心身ともに健全な健康社会を作り上げることは不可能と思われます。

──すべてのものをトータルに捉える姿勢はとても大事だと思います。

 見た目は健常者でも、心を病んでいれば健康とはいえません。一方で、体は不自由でも心身ともに健全で意欲的に仕事をされている方もいます。見た目ではなく、結果として一人一人が、どういう思いの中で暮らして、将来に対して不安なく持続可能な社会を構築できるのかということで、トータルな医療の重要性が浮上しているように思います。
 例えば、特定の団体に対しての考え方を政治家が持ちすぎてしまうと、国家そのものの力を底上げするような幅拾い政策につながっていかない側面があるので自戒すべきだと思います。
 なお、純粋に1人の選手達の体をみていくと、メンタルが非常に大事になってくることが分かります。
 スポーツ医学というのは現在、非常に進んでいて、ドイツやイギリス、フランスなどでは、先進的なスポーツ医療の取り組みをしていて、大きなヒントとなっていますし、情報共有の受け皿として日本でも国立スポーツセンターが出来ているので、選手のサポートがしやすくなっています。その成果がここ10年、現れているところです。
 世界は4、50年前からナショナルトレーニングセンターやスポーツ医科学サポートセンターなどの体制が整備されてきていますが、日本ではアスリートたちが合宿とかトレーニングする場所として使う国立スポーツセンターや国立医科学センターと一緒になって、選手を育成しているのです。まだたったの10年なんですが、あっという間にアスリートの能力が伸びた経緯があります。

──陸上短距離競技をひとつとっても数十年前には考えられなかったような素晴らしい記録も日本選手が出すようになりましたね。凄い進歩だと驚嘆しています。

  今は世界に伍するアスリートの育成は不可能ではないと思えるぐらい、いろんな研究をしています。
 注目されるのは脳の疲労と筋肉の疲労は一致するということです。
 アスリート達は一日10時間以上、トレーニングしています。肉体を苛め抜いて強い体を作っているのです。ハードなトレーニングで、毎日、疲労困憊になるぐらいまで追い込みますが、それが続いたからといって過労死した人は1人もいないのです。
 つまり、筋肉疲労ではなく、脳が疲労することで全身疲労がきます。動物もストレスがたまりますが、人間は考える能力があって、人との調和を保つという社会的な部分において特殊な動物なので、心の部分がすべてだと思うほどです。
 心の持ち方1つによって、肉体疲労が解決するということも、大体の研究で出てきています。
 眠り方の研究もしていますが、脳がリフレッシュして眠りにつかないと筋肉疲労が朝までにとれないということもあります。

──心の疲労をとるというのは?

 自分自身の考え方をしっかり持つとかといった、メンタル部分の話です。
 だからアドバイザーは、周りの人間関係など本人も気づかないところを改善してあげないといけないのです。
 仕事でいうと、この上司の下ではいいけど、こちらの上司の下では問題があるといったケースがあります。
 働き方改革の中でも、どこのポジションで力を発揮することができるかという人間関係まで考えてあげると、仕事でも力が入る度合いが違ってきたりするものです。
 これはスポーツ医学では当然のことで、右脳左脳、前頭葉という使い方も、刺激の仕方によって運動能力に大きく響いてきます。それでメンタルトレーニングなどをどんどんやっています。

──メンタル部分まで入っていくという奥の深いお話ですが、これは単にスポーツ選手だけでなく、一般の人達に対しても適用できますね。

 日本のスポーツ界で、いい形でアスリートたちを育て上げることができている1つの要因は、予防医療、予防医学といったすべてに対してサポートすることができるようになったことがあります。
 さらにもう1つ、コーチの質を上げたことが大きいのです。同じ教え方でも、コーチの背景を選手は見るので、普段、適当なのに教えるときだけは、上から目線でやるような人の教育力には課題が残りがちです。同じように教えている物事でも、AというコーチとBというコーチがいて、人間力がすばらしいのと、そうでもなかった人とに教えられると、選手の吸収力が格段に違うということを、これまでみてきて分かるのです。
 この人に教えてもらいたいというような人を、まず作るところから始まるということです。いまそれをやっていて、コーチアカデミーを強化しているところです。

──学校の授業でも先生が好きだったら、自ずとその教科が好きになるものです。教える先生が素敵で、楽しく授業をなさると、その教科への興味が高まります。人間力というのは、どの世界でも必要なことだ思います。

 これはコーチだけの世界に留まらないのですが、これまでどこの世界でも自己満足型が多かったように思います。
 というのも、ただ教えることがコーチの仕事だと思っている人がいますが、決してそうではないのです。
 本人さえ気づかない能力を見出してあげて、結果を出させて、初めてコーチ業というのが成立します。
 日本はこれまでボランティアのコーチが多かったものだから、それがなかなかできなかった歴史があります。しかし現在はナショナルトレーニングセンターがそのコーチ育成の拠点になって、まだ限られた人数ですが、各競技団体に3人から4人、ランクはあるもののナショナルコーチがついています。国のお金で、完全なコーチ業が成り立っているのです。 選手自身のケアの問題を含め科学的な部分を勉強しているコーチでないと、選手寿命を短くしてしまうので、ジュニアの育成の時から、そういった専門性をもったコーチがボランティアの方と連携して指導の一端を担うような形をとっていけると、まだまだ伸びしろが出てくるように思います。
 それがまた、健康な体を作る青少年の育成にもつながってくるのです。

──スポーツだけでなく、人間の健康を見守ることにもつながりますからね。
 さて、先生はご実家が酪農家で厳しい北海道の大地で育った経験から、「真剣に生活しなければ生きられない自然の中で子ども時代を過ごしたことが、私の人生の礎になった」と書いておられます。知識偏重教育から脱し、人間力を身につけるにはどういった教育が大事だとお考えでしょうか?

 人間としての土台が作られるのは、幼少期だと思います。その幼少期に親がしっかり、心の部分において土台を作ってあげることがまず大事だろうと思います。
 幼児教育も大事なことなのですが、その前の家庭教育ということです。
 私も仕事柄というと逃げになってしまうのですが、自分自身、子供と寄り添う時間が少ないものですから、子供も心に悩みを持ち続けて、成長する過程で学校を休みがちになった時期もありました。出張ばかり続いたりすると、会う時間がなくなるものですから、結局、家庭の中で心に寄り添ってくれる人がいなくなり、子供はどこにも発信、発散する相手がいなくなってしまいます。
 そういう時、心の病に陥ってしまうということを自分自身が体験しまして、大事なことは近くにいる親が心に寄り添うことです。離れていても寄り添うことが可能だし、そういう教育というのが非常に大事だと思います。

──私は子育ての時代に、ご近所の方に頼まれて高校受験生の指導を引き受け、図らずも20年もの間続きました。自分の子供の世話は幸い同居していた母に任せっきりでした。子供達にはさみしい思いをさせてきたかなあと自戒の念に苛まれることもありますが、女性が子供を育てながら働くことはなかなか難しい面もありますね。
 私の田舎は九州なのですが、あるお婆さんから、「男の子はお腹いっぱい食べさせて、ひもじい思いをさせないこと、一日一回ぎゅっと抱きしめて上げれば、それでいい。悪さはしないよ」と聞いたことがあります。素朴で真実が詰まった言葉だなあと今も思い出します。私は女子大生の皆さんに講演をする際には必ずこの話をします。働きながらの子育てを経験するであろう女性たちへエールを送るつもりで。そして中、高校生にはブータン国王陛下のエピソードを披露します。
 その一つが、現第5代ブータン国王陛下が、10年前に王位を継承された後、国中を回られた折の話です。王様が各学校を訪問し、『君達に何かあれば、僕が守るからね』と言ってくださったというのです。誰かに愛されているという確信、ましてや敬愛する王様に愛されているという確信は、子供達一人一人がブータンの国民としてのアイデンティティが確立され、安心感の中で、精神的に安定して、生きていけると感動しました。
 先生のお考えは、人間力育成には家庭教育がまず大事ということですが、その他にはどういったことが大事だとお考えですか?

 自然との共生や生き物との共生、そういったことの経験というのは大事だと思います。さらに、年齢に合わせた壁というか試練といった環境が必要だと思います。何でもかんでも与えられて、ぬくぬく育つような環境というのは、それに甘えて人を成長させないように思います。
 今、子供達をみていて残念だなと思うのは、周りの目とか苦情だとかが来て、結果として危ないとされるものは全て、排除されるということです。
 公園に行ってもボール遊びができないというのは、子供達にとっては発散することができないというだけでなく、ひと工夫加えた遊びが出来なくなってしまっています。

──かなり人間形成に影響を与えてますね。

 サッカーどころかキャッチボールも許されない公園になってしまいました。
 その意味からも、違う観点から見るような行政が必要になってきていると思います。

──先生の広い観点からの世界観、6人の子供の母親としての率直な子育てのお話などを伺え、共感する点も多く、インタビュアーとしてお目にかかれたことを大変光栄に思いました。ますますのご活躍をお祈りいたします。

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