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旧優生保護法下の不妊手術問題
今も消えない「優生思想」
検証必要な学会・医療界

 旧優生保護法下で障害者らが不妊手術を強制されるなどした問題で、被害者に一時金320万円を支給する救済法が4月24日に国会で可決、成立した。被害者の救済が一歩進んだ形だが、根本的な課題が残っている。
 人の生殖機能を奪う(断種)という深刻な人権侵害がなぜ長く続いたのか。その全容を解明し、同じ轍を踏まないようにするには、断種の背景にあった優生学を広めた学会と医療の責任を検証し、真摯な反省が行われることが不可欠だ。
 「政府としても、旧優生保護法を執行していた立場から、真摯に反省し、心から深くお詫び申し上げる」
 救済法の成立を受け発表された安倍晋三首相の談話は、政府のお詫びを明記したのが最大の特徴だ。被害者の救済が政治主導で行われ、首相が謝罪を表明するのは当然だが、劣性な子孫を断つという考え方と完全に決別するにはそれだけでは不十分だ。
 「我々は……真摯に反省し、心から深くおわびする」と、救済法の前文にあるが、この「我々」は誰なのか。原告らは「国」の責任を明確にすべきだと主張するが、謝罪すべきは国だけではない。
旧優生保護法下の不妊手術の問題は、国の責任ばかりに焦点が当てられているが、「優生学」「優生思想」というイデオロギーを広めた学会と医療、特に産婦人科と精神科の責任の大きさは否定しようがない。救済法が謳う、同じ過ちを繰り返さないための調査の実施のポイントはここだろう。
 国内最大の学術組織「日本医学連合会」は救済法成立の一週間前に、障害者らが不妊手術を強制されるなどした問題を検証する検討会の初会合を開いた。今年秋をめどに結果をまとめて公表する予定。日本産科婦人科学会、日本精神神経学会など医学系132学会が加盟する同連合会が検証に乗り出したと受け止めたいが、その動きの鈍さ、消極的姿勢が気になる。
 会合のあと、記者会見した門田守人会長は「とんでもなくおかしいことがなぜ過去に長期に行われ、なかなか対応ができなかったのか十分に検証し、同じ轍を踏まないように、医学会全体として方向性をしっかり出すことが大事」と語った。しかし、検証では、学会や学者の具体的な関与について明らかにされない見通しだ。この消極的な姿勢からは、学会の身内やその分野の大御所たちへの遠慮がうかがえる。
 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と謳われた旧優生保護法が国会の議員立法として成立したのは昭和23(1948)年。当時の社会党、民主党、国民協同党の連立政権下だった。
 同法は、遺伝性疾患、精神・知的障害、ハンセン病の人たちに対して、本人の同意なしでも不妊手術を行えるなどを定めた法律で、平成8(1996)年に優生手術に関する規定が削除された「母体保護法」に改正されるまで存続した。
 優生手術とは、精管や卵管の結紮などの方法を用いる不妊手術のこと。改正の際に、過去の過ちを検証するチャンスと責任が学会と医療界にあったが、その機会が生かされなかったのは不思議である。
 同法の源流は19世紀後半に英国の遺伝学者フランシスコ・ゴルトンが提唱した優生学。ゴルトンは、「種の起源」を出版し、自然選択による生物進化を説いたチャールズ・ダーウィンのいとこで、優生学は進化論を人間社会に応用したものだ。
 旧優生保護法の原案は昭和22年に、社会党の衆議院議員、太田典礼、加藤シズエ、福田昌子の3人によって提出された。加藤は女性解放・産児制限運動家として知られ、太田と福田は産婦人科医だった。
 社会党案と呼ばれたこの原案は、審議未了となったが、翌年に同案を修正した案を提出し、成立を主導したのは、のちに自民党に合流した保守系の参議院議員谷口弥三郎で、彼も産婦人科医だった。このほかにも、同法の成立には多くの産婦人科医が関わっていた。善意もあったろうが、同法の成立で不妊手術が増え、産婦人科医たちが利益を得たことは否定しがたい事実だ。
保守・革新の垣根を超え、全会一致の成立を可能にしたのは学会・医療界を席巻していた優生思想だ。国会に誰一人の反対者がなったことは当時、日本の社会が優生思想に完全にとらわれていた証左でもある。救済法が謝罪の主語を「我々」としたのも、こうした背景があったのだが、たとえそうであったとしても、社会に優生思想を蔓延させた知識人たちには大きな責任がある。その中でも、医師の資格を持つ社会党議員が断種法の制定に熱心だったのは、科学的方法の重視と社会主義に強い親和性があるからだろう。
 一方、昭和28年に当時の「日本精神衛生会」と「日本精神病院協会」(現日本精神科病院協会)は連盟で「精神障害者の遺伝を防止するため優生手術の実施を促進せしむる財政措置を講ずること」とする陳情を厚生省に行っている。
 旧優生保護法下での不妊手術は、同意を含めると約2万5000人に行われた。強制不妊手術は約1万6500人で、ほとんどが「精神病」「精神薄弱」だった。医師が診断し、医師や民生委員らで組織する都道府県の優生保護審査会で手術の適否を決めるという手続きを踏んだが、ここでの医師は精神科医師が多かったのだ。
 さらに、診断と審査に関わる精神科系の二つの団体が連名で国に陳情し財政的な裏付けを得た結果、不妊手術が増えたという事実は、精神科医の責任の大きさを示している。
 日本医学連合会のほか「日本精神神経学会」なども独自に検証を進めている。同学会は6月末に、新潟市で学術総会を開くが、その席で明確な謝罪がなされるのか。場合によっては、学会としての責任意識の欠如と、唯物的な優生思想を引きずる体質が改めて問われることになるだろう。
 過去の過ちを繰り返さないためには、学会・医療界の責任の明確化と謝罪は極めて重要である。新型出生前診断やゲノム編集など、人の生命に関わる医療技術の進歩が著しい現在、「不良な子孫の出生防止」という旧優生保護法とは違った形、つまり「自己決定」によって健康で優秀な子孫だけを出生するという形で、忌まわしい思想が続く懸念が高まっているからだ。

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