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「七十にして矩を超えず」 大事なのは良心に基づく行動

 米国の百貨店ノードストロームのハンドブックに「いかなる状況であっても、あなたの良心に基づいて判断をしてください。そのほかにルールはありません」とあるが、そうした人間の良心が息づいている社会こそが、理想社会に近い。
 論語に「七十にして矩をこえず」とある。人間70歳ともなれば、心の欲するままに行動しても道理をはずれることはないという天地自由人みたいな、1つの完成基準の境地を言う。
 大事なのは、良心に基づいた行動だ。
 札幌農学校初代教頭のクラーク博士も、「校則不要。ビー・ジェントルマン(紳士たれ)」と言っている。
 あなたたちが紳士淑女になればいいだけの話で、校則で人を縛るような問題じゃない。良識ある行動をとれば、ルールはいらない。それは没個性な画一的な社会を意味するものではない。
 人間には持って生まれた資質や個性がある。それを消すようなことがあってはならない。
 社会というのは石垣と同じだ。レンガで石垣を作れば、小さな地震の一揺れで壊れてしまうかもしれない。城の石垣が、なぜ強いかというと、大きい石も小さい石も、形もいろいろあるのがガチっと組まれているから強い。
 人間も同じで、それぞれ個性があるし、よさも弱点もあるのだが、それぞれの長所を最大限、活かすような社会を構築することが肝要だ。それを組み合わせるのが匠の仕事だし、大事なマネージメント力だ。能力のある経営者は、人、モノ、金、それにデータといったものを最適な組み合わせで最強の組織にする。 
 その意味では将来、AI(人工知能)が最適な組み合わせ方をはじき出すのかもしれない。しかし、その中に心があるかどうかの問題がある。
 最強はできるかもしれない。しかし、その中に心がなかったら、「砂漠の中に住む人間」になってしまう。
 我々はただ給料だけのために、働いているわけではない。
 人間というのは、アリストテレスが言うように「社会的動物」だ。家族や仲間など、他者とのつながりの中で生きがいを見い出す存在でもある。
 いくら金があっても、家族も友人もいない天涯孤独の中で一生を終えて、幸福と言える人はいない。
 しかし、近代経済学の中で、他者のために尽くしたいとか、社会との絆を持ちたいとか、人間が本来持っている「関係性への本能」は非合理なものとして排除される。
 しかし、人間というのは非合理的存在だ。時に「自己犠牲」の精神を発揮する。家族や同胞を守るため、命を投げ出す人は古来、少なくない。不幸な人や貧しい人のために行動することもある。すべての人間が打算や個人的利益のためだけに生きているわけではない。

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