憲法改正、拉致問題解決で自民党の一本道を進め
元防衛庁長官
衛藤征士郎氏に聞く
軍事大国化する中国や核・ミサイル開発に驀進する北朝鮮など、東アジアの安全保障に暗雲が垂れ込めている。自民党における親台派議員の代表格であり、外交・防衛・憲法改正といった硬派の仕事を推し進めてきた元防衛庁長官の衛藤征士郎衆議院議員に聞いた。衛藤氏は「国家存立の根幹は、外交と防衛だ」と強調した。
──外交・防衛・憲法改正といった国家の中枢に関わる硬派のお仕事をされてこられました。外交、防衛問題でのこだわりは?
国家存立の根幹は、外交と防衛だ。
国民的認識としても国の存立だけでなく、都道府県や市町村の存立、地方自治体の存立も外交と防衛が基盤になり、それには憲法改正が必要だという基本的認識が周知徹底されてきたように思う。これは非常にいいことだと思う。
米国では外交イコール内政だというが、日本も同じようなことになっている。あえて国民が口にしないだけであって、実際はそうなっている側面がある。
例えばニュースなど見ても、中国の習近平国家主席やロシアのプーチン大統領、韓国の尹錫悦大統領などがトップニュースになったりする。それだけ国民の関心というのは、特別な意識ではなくごく自然に国際政治や国際経済、そして内政へとリンクしている。
だから国会議員として外交や防衛、憲法改正といったことの重要性を認識して、本当に国会議員になってからずーっとこの問題に取り組んできた。
──外務副大臣在任中、李登輝台湾総統の訪日を実現されました。自民党における親台派議員の代表格でもいらっしゃいます。今でこそ「台湾の有事は日本の有事」と言われるようになりましたが、台湾の存在意義、日本との関係などにつき先生のご意見をお聞かせください。また、習近平国家主席は台湾併合に「武力行使を排除しない」と発言するなど強圧的です。我が国はどう対処すべきなのでしょうか?
世界で一番、親日的な国は間違いなく台湾だ。
なぜ親日的かというと、かつて日本が台湾を統治していた時があった。その時の政策、教育とか地方自治とかいわゆる自由や人権、議会制民主主義など、こういったことについて日本国内と同じように、あるいはそれ以上にもっと先に踏み込んだ形で、台湾の統治をした。そうしたことで今日、台湾のみなさんも非常に親日的だし、日本において失われたような礼儀や作法といったものがまだ台湾に根付いている。
私どもも逆にそれに教わるようなことが多々ある。
李登輝さんの訪日要請の時は、日本で手術をして病気を治したいという治療が目的だった。
当時、外務副大臣として当然、それを真正面から受け止めて、李登輝さんの訪日を実現するために全力で取り組んだ。
たまたま当時の河野洋平大臣は親中派の方で、とても慎重で大臣と副大臣で意見が違う。結局、官邸に持ち込んで森喜朗総理、福田康夫官房長官というラインにまで持ち上げて実現した。
私は今、かつて安倍総理が務めていた日本台湾親善協会の会長をしている。
これには過去の経緯がある。母校である早稲田大学が、戦後初めて大学として正式な使節団を台湾に派遣したことがあった。その時、私が団長に指名されて、台湾に約20日間滞在し一日一校、大学とか高等学校を訪問して、じっくりディスカッションをやる時間をもったことがある。
それが大変高く評価されて、毎年、訪台してくれと要望され、翌年は東京都内の大学生に働きかけて結局、3年続けて行くことになった。
台湾には早稲田大学台湾同学会があった。台湾では稲門会といわずに同学会という名称だが、この同学会のメンバーが立法院(国会)議長をやったり、大臣や台北市長を務めたり、経済界でもそうそうたる顔ぶれだったりして、先輩方がものすごく頑張っておられた。私は早稲田大学を卒業した後、大学院で国際政治を専攻していた。それで十分な時間がとれたものだから、親善団を率いて台湾に継続的に行くことができた。
そういう実績を台湾側が高く評価してくれた。台湾の台中に東海大学があるが、そこの貴賓室に宿泊したこともある。日本人では初めて宿泊したということだった。それほど深い親密な交流をした。そうした積み上げの功労で2002年「中華民国大綬景星勲章」を受章した。
かかる台湾との交流を続けてきた経緯から、李登輝さんの手術のために訪日したいとの要請には、真心で応じ汗をかいた。
──台湾統治時代、日本は学校や鉄道、ダムも造りました。以前、台湾で李登輝氏とお会いした際に、私どもに日本の貢献についてしっかりお話しくださって、感謝の意を示されました。
李登輝先生は立派な方でしたね。
お亡くなりになられたのは97歳の時だった。
──中国の台湾併合に向けた強引な手法が目立つようになっていますが?
私は中国、台湾両国関係の現状維持がベストだと思っている。
中台現状維持のために、私として役に立つことがあれば尽力する基本的なスタンスで、今も取り組んでいる。
私は日本台湾親善協会の会長であると同時に、サッカー外交推進議員連盟メンバー会長として大連を訪問し、中国全人代代表と国会議員とでサッカー交流試合を行ったこともある。
──双方の懸け橋?
その通りだ。
台湾と中国の両方のつなぎ役がしっかりしていかないと、台湾一辺倒で、対中敵視政策では台湾の現状維持は難しい。私はそういう立場をとっている。私はかつて農林水産省政務次官の時、中国全人代の大講堂で演説したことがあるが、中国との関係も大事にしないといけない。
日本の国会議員は台湾寄りばかりが多くて、中国とのパイプが細くなっている。
二階俊博元幹事長が頑張っている。林芳正官房長官も踏ん張ってくれている。そうした二階氏レベルの中国とのパイプ役が肝要となっているが、かつての田中角栄元総理みたいな中国との太いパイプが今、ない。
そういう現状を踏まえながら、中国との関係は政治だけじゃなくて経済安全保障問題もある。そういう問題を含めてしっかりしたスタンスを持つべきだ。
そのためには日本だけではなく、米韓との連携が大事となる。日本だけで台湾支援には限界がある。
米国も下院議長や上院議長が、台湾を訪問している。EU諸国も同様だ。先だってはフランスやイタリアの国会議員団が訪台を果たした。
そうした意味で、世界中が台湾と中国の両国関係の現状維持を支援している。
私は国会議員だけで作っている日華議員懇談会(日華懇)のメンバーにもなっているのもそうした思い入れがあるからだ。
──安倍派退潮に象徴される自民党保守派の元気がありません。保守派が復権するには何が必要なのでしょうか?
私は保守派に元気がないとは思っていない。
保守とは何かということだが、保守にも中道があって、ここに言っているのは中道から少し右のほうということなんだろう。復権するには何が必要かと言えば、2つある。1つは憲法改正だろう。もう1つは拉致問題の解決だろう。これが大事だ。
──憲法改正を訴えておられますが、変えるべき点は?
自由民主党は、党是に最初から自主憲法制定を入れている。
今の憲法はマッカーサー元帥の指示の下、連合国軍総司令部(GHQ)が2週間たらずで草案を作り、それがほぼそのまま現在の昭和憲法となっている。
同じような敗戦国のドイツ、イタリアでもGHQが新憲法に深く関与した。
しかし、ドイツはその憲法の改正を67回やっている。イタリアは戦後、憲法改正を15回やっている。
ドイツ、イタリアには日本と同様、在独米軍基地、在伊米軍基地があるが、日米地位協定と米独地位協定、米伊地位協定の比較をすると、日本では駐留米軍に対し国内法が適用されないし、米軍基地への立ち入り権は全くない。また、米軍の訓練や演習に対し、規制する権利とか詳細な情報は全く入ってこない。
米軍基地での事故の調査に関しても、日本側は米軍の同意なしに調査できない。
ところが同じような敗戦国であるドイツでは、駐留米軍に対し国内法が適用され、米軍施設の使用や施設外での訓練、演習に国内法が適用される。
イタリアでも駐留米軍は、イタリアの国内法に則って行動する必要がある。
それから米軍基地への立ち入りに関し、ドイツでは国や地方自治体の立ち入り権が明記されており、緊急時には事前通告なしに国や地方自治体が立ち入ることができる。
イタリアでは、米軍基地はイタリア軍が管理している。イタリア側の施政官が基地に常駐する。
ドイツでは米軍の訓練、演習にはドイツ軍の許可が必要だ。
イタリアでは米軍の訓練、演習にはイタリア軍司令官への事前通告と承認がなければできない。
それが日本では米軍基地に対し、指一本触れることができない。
それからドイツでは米軍基地への調査権に関して、ドイツ軍が主体的に調査できる。イタリアでも米軍機の事故は、主体的調査ができる。
こういう風に変わったのは、ドイツもイタリアも憲法を改正したからだ。
日本はGHQが憲法草案を示して以来、「不磨の大典」となったままだ。
だから私は憲法を改正し、第9条に国の防衛、国防を担っている陸海空自衛隊を明記することを言い続けてきた。
冒頭、申し上げた通り、国の成り立ち、国の存立の根幹は、外交と国防だからだ。それを憲法に、しっかりと位置づける。分かりやすく言えば、自衛隊を明記する。これが大事だと思う。
私は今、自民党の憲法改正推進議員連盟の会長でもあるが、私なりの憲法9条改正原案を作っている。
党の公式機関の憲法改正推進本部長もやったが、そのあと、自民党の憲法改正推進議連を作り、さらに各派のキーパーソンに入っていただき、今、これに取り組んでいる。
一方、国会には憲法審査会というのがある。前身は憲法調査会だ。私は衆議院の憲法審査会のメンバーでもある。その立場から携わっているのだが、これまで自民党は憲法改正をやります、やりますと国民に言い放ってきたけれど、まだできていない。
だから国民の自民党への政権政党に対する失望というか、いつやるんだという不満が渦巻いているのをひしひしと感じる。
憲法改正というのは国会議員(衆議院100人以上、参議院50人以上)の賛成により憲法改正案の原案が発議され、衆参各議院においてそれぞれ憲法審査会で審査されたのちに本会議に付され、両院それぞれの本会議にて総議員の3分の2以上の賛成で可決した場合、国会が憲法改正の発議を行う。その後、発議日から起算して60日から180日の間に国民投票にかけ、過半数を得られれば憲法改正が成立する。
今まで衆議院の3分の2の議席が難しい、参議院も難しいということだった。しかし、実は安倍政権の後期になっても、3分の2は大丈夫だった。
今も大丈夫なのだが、ところが憲法改正に反対している立憲民主党、共産党、そういう政党の協力や理解を抱え込んで、100%理想的な憲法改正条例案で衆議院、参議院を通して、そして国民投票しようとしている。
だが、そんなことはできっこない。だから衆議院3分の2で通そうじゃないか、参議院が3分の2、頑張ればとれるのだから、それで国民の審判を仰げばいいとの意見が出てきている。
「それで衛藤さん、国民投票で否決されたらどうする」との危惧の念があるのは事実だ。
だが、それは国会の責任だから、衆議院議長が責任を取ればいいだけの話だ。国民の間には、内閣総理大臣が責任を取らされるのじゃないかとかいうような誤解もあるが、総理も国会で憲法改正の質問が出る時、私は総理の立場ではなく自由民主党の総裁の立場で答弁しますとやっている。
はっきりいって9条を含んだ憲法改正が非常に大事だ。
何より国連憲章第51条に、国連加盟国は個別的な自衛権と集団的自衛権を有すると明記してある。
国内の地方自治法の上に国の法律、その上に国際法がある。だから国連加盟国の日本は、個別的自衛権と集団的自衛権を持っている。
それを踏まえて、憲法第9条にきちっとそれを書くだけの話だ。国連憲章第51条を踏まえて、自衛隊を保持するということをはっきり書き込むべきだと思う。
日本国憲法にはいろいろと制約が書き込まれているが、これを普通の国にして国連憲章に沿うような形にすることが大事だ。
極めつけは、日米安全保障条約第5条の地位協定だ。
結局、日本は憲法の制約で外国から攻撃された時、日本だけの国防力だけでは国を守れないから米軍が支援すると書いてある。これに対し、日本は米軍に対ししっかり支えていくかというと、それは書いてない。
だから片務協定となっていて、地位協定で日本国内の米軍基地で働く軍人、軍属、家族を含めて彼らの地位は日本の上にあるとなっている。
だから沖縄で米兵による婦女暴行事件が起こっても、日本側に捜査権はなく、拘束権も裁判権もない。
それに日本の東京の空は地表から2450㍍までは米軍が管理している。だから東京で2450㍍までを航行する時、いちいち横田の米軍基地に届け出をしないといけない。現在もそうだ。
こんなことでいいのかと石原慎太郎元東京都知事が手を付けようとしたが、できなかった。それがそのままになっている。
神奈川県とか山梨県、さらに長野県では、2450㍍から7000㍍までの空域の管理権は米軍にある。意外とこれが知られていない。
さらに知られていないのが、国連軍の基地が国内に7カ所あることだ。
昭和25年から28年まで朝鮮戦争が起きた時、朝鮮半島の現状を維持管理するため、朝鮮国連軍が創設され、総司令部は最初、東京に置かれた。途中から韓国の首都ソウルに移した。その時、東京は国連軍後方司令部となった経緯がある。
国内の米軍基地、横須賀、横田、長崎の佐世保、沖縄など合計7カ所、その中に国連軍基地が存在する。そこには国連軍の旗が真ん中にあり、左右に米軍と日本の旗が立っている。
そして、朝鮮半島の有事の際には、まず総司令部のソウルが動き、次に後方司令部が動くことになっている。これも国連憲章第51条にある通り、国連加盟国の責務だ。
このことをメディアも余り書かない。横田基地を視察に行った時、司令官から「国会議員であなたが最初の訪問者だ」と言われた。
だから、憲法改正というのは非常に大事だが、さらに大事なポイントは緊急事態条項が日本国憲法に欠落していることだ。
他国の憲法には、外国から攻められてきた時や国際テロに遭遇した時、また国内テロや大規模災害に対し、さらに爆発的な流行性感染に対して適応されるべきものとして緊急事態条項がしっかり書いてある。
先だって世界を大混乱に陥れた新型コロナウイルスや東日本大震災の時でも、右往左往した経緯がある。
海外の憲法には、外国から攻撃を受けた時や国際テロに対し即対応できるよう緊急事態条項がしっかり書き込まれている。しかし、日本の憲法には緊急事態条項は欠落したままだ。憲法第9条を書き直し、緊急事態条項を加える必要がある。この2点をやるべきだと私は思っている。
えとう せいしろう
昭和16年4月、大分県出身。早稲田大学大学院政治学研究科修了。29歳で大分県玖珠町長、参議院議員一期。衆議院議員当選後、行政改革推進本部長、衆議院大蔵委員長、予算委員長、農林水産政務次官、国務大臣防衛庁長官、外務副大臣、衆議院副議長を歴任。平成14年永年在職議員として衆議院より表彰される。著書に『海から見る日本』『一院制国会が日本を再生する!』『海洋国家日本の新構築』『道路がつなぐ日本の未来』など多数。
【聞き手プロフィール】
とくだ ひとみ
1970年3月、日本女子大学文学部社会福祉科卒業。1977年4月、徳田塾主宰。2002年、経済団体日本経営者同友会代表理事に就任。2006年、NPO国連友好協会代表理事に就任。2018年、アセアン協会代表理事就任。2010年から2019年まで在東京ブータン王国名誉総領事。本誌論説委員。