ペマ・ギャルポのアジア時評

インド太平洋で無限の可能性 日印パートナーシップ

 民主国家の最も特徴的なことは、選挙によって政権が変わり平和裏に政権交代が行われることである。通常、安定多数の与党がない場合には、比較第一党を中心に連立政権を作るか、それが不可能な時は比較第二党が中心となって政権を担当できるような組み合わせをする。今回、自由民主党の総裁である高市早苗氏が組閣するのが当然の権利であった。しかし第二党の立憲民主党は、自らの権利を放棄するのみならず、必死になって、日本初の女性首相誕生を阻止しようとした。また、自民党の中でも、総裁と総理を分離しようというような卑劣な動きがなかったわけではない。当初、多くの人たちは国民民主党と自民党が手を組むだろうと予測していたが、立憲民主党・野田党首の思惑に乗って迷走した玉木代表が決断しないうち、維新の吉村氏が救国に乗り出して自民党と組み、難産ではあったが、高市氏の政権が誕生した。

 私個人的としては、女性だからではなく女性であっても男性であっても、能力があって自分なりのビジョンを持った人であれば、首相ならびに責任ある地位に就くべきだと考える。「災い転じて福となる」という言葉の通り、この十二日間の混乱がかえって、高市氏が首相になるための試練を乗り越えるだけの準備期間を与えることとなった。それは彼女の組閣人事を見ても明白である。彼女は自分の政敵ともいうべき有力な自民党幹部を、防衛、外務、総務などの重要ポストにつけ、歴代政権でこれまで最も困難である財務省を十分に知り尽くしている片山氏を財務大臣のポストにつけた。維新はただ大臣になるために連立に加わっていないということを十分に示すために、閣外協力を選んだが、この政権の誕生に大きな役割を果たした、維新の遠藤氏が首相補佐官につくことによって、連立内のパイプをしっかりしたものにした。また、高市新首相はスピーディーに米国のトランプ大統領、中国の習近平などと渡り合い、さらに、ASEAN首脳会議でも存在感を示した。国民もまた彼女を激励するように、高支持率を世論調査で示した。

 一方、野党の立憲民主党は裏金問題と、首相発言に対する撤回という言葉しかボキャブラリーがないかのように首相を責めているが、健全な野党として、建設的な代案を一つも示していない。また、つい最近まで与党の一員であって共同責任者であるはずの公明党は、カネと憲法の問題について正義の旗を振っているが、過去二十五年間、自民党と共に政権を担当したという責任は無いのだろうか。高市早苗新首相は、さっそく国内の経済問題、そして「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」ため、素早く行動に移している。自らの給料や閣僚の給料を減らすという方向をも示し、本気度を早くも国民に示している。私は高市新首相が有言実行で本国会の期限内にそれなりの成果を上げることができれば、衆議院を解散し総選挙に出ることによって、長期政権になるのではという予測と希望を持っている。

 高市新首相は、安倍元首相のビジョンを受け継ぎ、サッチャー首相のような鉄の女ぶりを発揮している。だが残念ながら、日本では長期的展望や国家の未来よりも、目先の問題や党利党略によって彼女を引きずり落そうとする勢力がうごめいていることも忘れてはならない。メディアも例外ではない。例えば、安倍元首相が提案した「自由で開かれたインド太平洋(FOIP= Free and Open Indo-Pacific)」については、彼女自身が自分の外交の柱であると繰り返し強調しているのにもかかわらず、日本の主要メディアはこの発言の重要性を無視しているようにも見える。トランプ大統領が、自由と民主主義を守ろうと言いながら、本国においてラジオフリーアジア(RFA)、ラジオフリーヨーロッパ(RFE)などを廃止し、敵と味方区別なしの関税を朝令暮改に発動している。今こそ、日本がアジアと世界に貢献する絶好のチャンスであり、また義務を果すときが到来したのではないだろうか。しかし、何かを成し遂げるには仲間が必要である。安倍元首相は、自由で開かれたインド太平洋という名前からもわかるように、インドをパートナーとして選んだ。そのインドと日本のパートナーシップの可能性は無限である。以下、そのことについて私なりの見解を示したい。

 基本原則のレベルにおいて、日本とインドは、インド太平洋をアフリカ東岸から西太平洋に至るまで連続した戦略空間として捉えている。両国は包摂性、航行の自由、国際法の尊重を行動原理の基礎として強調してきた。安倍元首相の下で打ち出された日本のFOIPは、この地理的・概念的統合を最初に明確に提示した戦略構想であった。2019年に発表されたインドの「インド太平洋海洋イニシアティヴ(Indo-Pacific Oceans’ Initiative:IPOI)」は、同様の価値観をさらに発展させ、海洋安全保障、貿易連結性、災害対応といった機能的分野に協力を分けて推進している。日本はIPOIの「連結性(Connectivity)」分野を主導し、自国のインフラ専門性をインドの外交的影響力と結びつけている。これは理念を実践へと橋渡しする基盤となっている。近年、日印関係そのものが制度的枠組みを持つようになり、定期的で組織的な協調が可能となった。両国の外相と防衛相による「2+2閣僚会合」は、戦略的優先事項を調整する上で重要な仕組みとなっている。さらに、安全保障分野では具体的な進展も見られる。24年には、日本が防衛通信アンテナ技術をインドに輸出することに合意し、初の防衛装備移転が実現した。また、両国は陸上での「ダルマ・ガーディアン(Dharma Guardian)」演習や、海上での「JIMEX」シリーズを通じて、連携運用能力や海上状況把握を高めている。経済安全保障もまた、このパートナーシップの第二の重要な柱である。25年には、半導体、重要鉱物、クリーンエネルギー分野での協力を明記した共同ファクトシートが発表された。

 日本の高度な製造技術とインドの巨大な需要基盤は、強靭なサプライチェーンを構築する上で自然な補完関係にある。オーストラリアを加えた「サプライチェーン強靭化イニシアティブ(Supply Chain Resilience Initiative)」は、中国依存型の生産ネットワークからの脱却を目指す共通の努力を示すものだ。また、ムンバイ〜アーメダバード間の高速鉄道、北東インド道路改善計画、港湾インフラへの日本投資などは、この協力の具体的成果を物語っている。これらの枠組みは、多国間協力にも拡大している。日印両国はクアッド(QUAD)において、海洋領域認識、サイバーセキュリティ、新興技術の分野で協調している。しかし、両国の連携は単なる同盟的安全保障ではなく、より柔軟で、封じ込めや排除を目的とせず、地域の自律性を尊重しつつ安定と均衡を保つことを目指している。

 こうした精緻な制度設計にもかかわらず、日印パートナーシップにはなお戦略的構想にも限界がないわけではない。日本のFOIPは米国との同盟枠組みに強く結びついている一方、インドの戦略文化は依然として「自律性」を重視している。したがって、日本が期待する安全保障面でのさらなる一体化は、インドの多角的外交志向と衝突することもある。また、日本の憲法および政治的制約が、防衛装備輸出や集団的軍事行動の拡大を制限しており、安全保障協力の深化スピードを抑制している。一方で、インドの防衛産業基盤も近代化が進んでいるとはいえ、即時的な相互性を発揮するには構造的な課題が残る。地域的な認識の問題も存在しており、インド太平洋構想の成功は、その包摂性にかかっている。日印両国および両国民は互いの立場を理解しながら前進すれば、両国のみならずアジアの繁栄と安定に寄与する可能性は大である。

 また、自らの協力が「志を同じくする国々」に対する排他的連携に見えないよう配慮し、むしろ広く地域の能力強化を支援する枠組みとして位置づける必要がある。ASEAN中心性や太平洋島嶼国の優先課題に対しても両国は敏感に対応してきたが、それを実際の資金や物流支援に結びつけることが今後の鍵となる。さらに、これまでの協力の多くは覚書や共同声明、首脳会談に留まっている。真に持続的なものとするためには、共同技術開発、三国間の海上パトロール、学術研究協力、人材・文化交流プログラムなど、制度的に深く結びついた形が必要である。もし政府間対話に限定され続けるならば、このパートナーシップの戦略的潜在力は十分に発揮されないだろう。インドにとって日本は、技術的に高度なパートナーであると同時に、インド洋中心の戦略を補完する太平洋地域への橋頭堡である。日本にとってインドは、民主的価値を共有するカウンターバランスであり、西インド太平洋への戦略的架け橋である。両国は、経済と安全保障の協力が主権を損なうことなく相互を強化しうる「中堅国協力(middle-power cooperation)」のモデルを提示できる。

 今後の課題は、「理念の一致」から「実行の能力」への転換である。すなわち、重要産業への共同投資、防衛生産の協業、デジタル基準の共通化、海洋プレゼンスの連携など、具体的能力を伴う協力の深化が求められる。インド太平洋は今後も競争的かつ動的な舞台であり続けるだろう。しかし、日印両国が相互の立場や制限などを十分に理解し合い、慎重かつ着実かつ実務的な協力を重ねることで、この地域を「開かれ、

予測可能で、安全な地域」として維持することができる。ゆえに、このパートナーシップの成功は、声明の華やかさ

ではなく、両国がともに築き上げる制度の持続性によって測られるのである。