日朝首脳会談の必然性と歴史的意義

北朝鮮からの条件付き招待状

日朝首脳会談はいつ、いかにして実現するか?

唐突に聞こえるかもしれないが、ウクライナ戦争が引き起こしている地政学的な地殻変動とともに日本外交の重要課題として急浮上している。

それをドラスティックに浮き上がらせたのが、朝鮮中央通信(3月25日)が伝えた日本の岸田文雄首相への一風変わった招待状。「金正恩の代理人」ともっぱら日韓で評判の金与正・朝鮮労働党副部長が、岸田首相から首脳会談の申し入れがあったと明かす談話を発表したのである。

岸田首相は低支持率を打開し政権浮揚を図る切り札と、訪朝のタイミングを模索しているのであろう。コロナパンデミックの中で退陣した安倍晋三元首相に後継の座を禅譲された菅義偉前首相を追い落とす離れ業で念願の首相の座を射止め、非凡な政治力を見せつけた。自民党を根底から揺さぶる裏金事件を逆手にとって安倍派解体やライバル削りに利用するしたたかさを見せる。9月の自民党総裁選、来年10月の衆議院議員任期満了を見据え、日朝首脳会談で支持率挽回と政権浮揚を図り、「伝家の宝刀」とされる衆議院解散、とシナリオを描く。金正恩・与正兄妹も目を凝らしている。

ようやく時代の表舞台に躍り出ようとしている日朝首脳会談であるが、その魁がかつて国民を沸かせた小泉純一郎首相の電撃訪朝(2002年)である。変人と評された小泉首相は内外の意表を突いて電撃訪朝し、金正日総書記との直談判で植民地支配時代の賠償・清算と日朝国交正常化交渉の開始を定めた日朝ピョンヤン宣言で合意した。だが、拉致問題や北朝鮮の核実験、日本政府の対北朝鮮制裁実施でどんどん脇道にずれてしまった。その仕切り直しとなるが、柳の下の二匹目のドジョウと安易な支持率回復のショーとはいかない。煮え湯を飲まされた相手側は教訓を汲んで強気に転じており、相当な覚悟と見返りが求められる。とはいえ、リチウム電池に不可欠と注目を浴びるコバルトなどレアメタルや鉄鉱石など隠れた資源大国北朝鮮との修好、経済交流は転換期の日本経済にとってもメリットが大きい。

岸田訪朝のタイムリミットは来年10月に任期が切れる衆議院議員選挙である。裏金事件を逆手にライバルを蹴落とすマキャベリストな手法で9月の自民党総裁選を乗り切ったとしても、総選挙で大敗し政権を失えば元も子もなくなる。訪朝のタイミングを慎重に見計らうことになるが、渡りに船は金正恩総書記の新外交戦略である。後述のように金総書記は韓国を「大韓民国」と正式国名で呼ぶ「2つの国家論」を提唱し、30年前に半分取り残された中ソ日米と朝鮮南北のクロス承認を見据えた新戦略を打ち出した。それをチャンスととらえ時宜を得たイニシアチブを発揮できるか、「リアルな政策提言と謙虚な姿勢は大事にしなければならない」と語る岸田首相の外交的センスと手腕がいよいよ試される。

おりしもバイデン政権が目敏く動き出している。「非核化への道における暫定措置を検討する」(ラップフーバー米国安全保障会議上級部長3月4日)と北朝鮮との「前提条件なしの対話」を呼び掛けたのが、底意を見抜かれ音沙汰なしである。「ウクライナ戦争はバイデンの戦争」と批判するトランプ前大統領との接戦が予想される11月の大統領選を控え、ウクライナでのこれ以上の失態は許されない。一日でも早く北朝鮮によるロシアへの砲弾、ミサイル供給を止めたいのがバイデン大統領の本音であろう。だが、金正恩総書記はそれをとうに見透かし、在韓米軍駐留費負担問題で撤退まで公言したトランプ前大統領との4回目の会談をも視野に入れて算盤を弾いている。岸田首相との会談も、その文脈でセッティングされていることであろう。

信じがたいと首をかしげる向きも少なくなかろうが、先の日米首脳会談(4月10日)の重要議題の一つは日朝首脳会談であった。国賓待遇で岸田首相を迎えたバイデン大統領は下にも置かない厚遇で9時間余も行動を共にしたが、ホワイトハウスでの会談は1時間の予定を大幅に超えた。各社報道によると、分刻みのスケジュールを心配した補佐官がメモを大統領に再三渡したが会談は85分にわたった。前半30分はごく少人数に参加者が絞られ、北朝鮮に関する議論が交わされたことが記者たちの知るところとなった。会談後の共同記者会見で岸田首相が金正恩総書記との首脳会談に意欲を示しているがどう思うかと問われたバイデン大統領は、「歓迎する」と述べ、「私は日本と岸田首相を信頼している」と笑みを浮かべた。その詳細は伏されているが、岸田首相が来るべき金正恩総書記との会談でどこまで踏み込むべきか、どこまで妥協が可能かと擦り合わせたであろうことは容易に推理できる。バイデン政権にとってそれだけ北朝鮮は無視できない存在となっており、3年目に突入したウクライナ戦争の最大の誤算と言っても的外れではなかろう。

来るべき日朝首脳会談には目先の打算を超えた歴史的な課題がある。30余年の時空を超えて歴史の表舞台に現れようとしている朝鮮南北クロス承認論であり、それが日本に条件付き招待状を届けた時代の風である。

それは文字通り、青天の霹靂であった。金正恩総書記は昨年暮れの朝鮮労働党中央委員会第8期第9次全員会議拡大会議(2023年12月26~30日)で「綱領的な結論」とされる「2024年度当双方向について」で、「同族というのは修辞的表現に過ぎない」として韓国との関係再定立を図り、「南朝鮮というのは米国に依存する植民地属国に過ぎず、北南関係はこれ以上、同族関係、同質関係ではありえず、敵対的な二つの国家関係、二つの交戦国関係に完全に固着した。それが北南関係の現住所である」と宣言した。金日成時代からの古参幹部たちは驚天動地の思いであったろう。

朝鮮は日本の36年の植民地体制から独立後に南北に分裂し、米占領軍の支持を受けた李承晩大統領が南朝鮮単独選挙を経て大韓民国建国(1948年8月)を一方的に発表すると、対抗して金日成首相が朝鮮民主主義人民共和国建国(同年9月)を宣言した。爾来、統一の主導権を巡って対立し、朝鮮戦争(1950年~53年)まで引き起こして休戦状態となり、今日まで南北軍事境界線(38度線)を挟んで睨みあってきた。金総書記はそうした現状を「交戦中の2つの国家」と定立したのである。「『吸収統一』『体制統一』を国策とする大韓民国とはいつまでたっても統一できない」と、禁句とされた「大韓民国」との国名を再三挙げた。 互いに「米国の傀儡」「ソ連の傀儡」と誹謗しあい、敵愾心を募らせてきただけに驚かない方が不思議とも言える。

固定観念や集団認知バイアスに陥ると見えにくいが、刮目すべきは「二つの国家」という被修飾語である。禁句とされた「大韓民国」をあえて使用したことには北朝鮮と韓国を別の国家と認識する政策的な意図が込められており、画期的とも言える。朝鮮半島の唯一の正統国家と自認する北朝鮮の国家理念、原則を破棄し、米国の傀儡国家と蔑んできた韓国を正規の国家と認めたのが「二つの国家」である。報告で金総書記は「大韓民国」と正式国号で繰り返し言及し、朝鮮民主主義人民共和国とは別の国家との認識を公的に表明した。史上初のことに古参幹部たちの同意を得るには相当に苦労したことであろうが、朝鮮中央通信の報道を見る限り、「熱烈な拍手」で受け入れられた。実は、昨年7月に「代理人」の金与正副部長が米空軍の偵察行動を非難する二つの談話で「《大韓民国》の合同参謀本部」「《大韓民国》軍部」と呼んで地均ししていた。

「大韓民国」とカッコなしの正式呼称にしたのが金正恩イニシアチブにほかならない。それが気まぐれでも一過性のものでもないことは朝鮮国歌の「三千里錦繍江山」の「三千里」が「この世に」と変えられた事からも分かる。「三千里」は白頭山から済州島までを指すが、現実的に南北を分ける38度線=軍事境界線までと改定されたのである。国家地図も軍事境界線までに書き換えられた。北朝鮮の長い友好国であるキューバが今年2月に韓国と国交樹立をしたが、一部マスコミが喧伝する「外交的孤立」ではなく、金総書記の「2つの国家」を踏まえたものにほかならない。

「2つの国家」という金正恩イニシアチブの狙いは、軍事境界線安定化と経済再建にある。第一に、国境の安定化、すなわち南との軍事境界線を国境線化することにある。韓国が朝鮮民主主義人民共和国と正式に呼び返し、軍事境界線を国境線とすることに同意すれば済むことである。金総書記は上記「結論」で「膨大な武力が対峙する軍事境界線地域では些細な偶然的要因で戦争へと発展する」と半世紀以上も続いた戦争状態を止揚し、終止符を打つために「北南関係と統一政策に対する立場を新たに定立する切迫した要求がある」とした。南北間の緊張の要因であった分断に終止符を打てば、緊張緩和に繋げられるとの現実的、合理的な判断と言える。

北朝鮮の核開発を警戒する米日にも一定の配慮をしている。北朝鮮は闇雲に核開発に突っ走っているわけではなく、従来から朝鮮休戦協定を平和条約に変えることを度々主張し、38度線が安定すれば核も必要なくなるとの論陣を張っていた。ところが、米日は北朝鮮非核化が先であるとして耳を貸さず、卵が先か鶏が先かの迷路に迷い込んでしまった。朝鮮を韓国と別の主権国家と認定すれば国交正常化は容易くなり、迷路から抜け出すことは難しくはない。対米関係が安定すれば核開発の必要性も源泉的になくなるのである。

第二に、懸案の経済再建に欠かせない好環境を作り出すことにある。北経済再建にかける金総書記の覚悟は並々ならぬものがある。

無論、統一を諦めてはいない。日韓では「政権維持のためには韓国と断絶し、南北統一に背を向けた」との指摘がかなり流れているが、木を見て森を見ない俗論である。金総書記は反統一的な言辞は一切しておらず、逆に新たな統一構想を秘めていると俯瞰できる。一定の時間をかけて経済を再建して南北の経済的な格差を解消し、平和的な相互交流を深めながら、いずれ祖父の金日成が1948年に呼び掛けた南北統一選挙による統一である。

旧東西ドイツ型の統一論と言ってよかろう。第二次世界大戦後、朝鮮、ドイツ、ベトナムが分断国家となり、ベトナムが武力統一を成し遂げた。北朝鮮も基本的にはその方式を目指していたが、失敗した。急げば回れではないが、相互承認して平和統一した旧東西ドイツが範となるしかない。決して唐突ではなく、国際的な影響は少なくないだろう。ウクライナでは国境を画定しないで休戦協定を結ぶ朝鮮戦争型が来る和平協議で参考にされる可能性があり、中東ではイスラエルとパレスチナが共存する「2つの国家」論が改めて議論の俎上に乗っている。いずれに対しても金正恩の「2つの国家」論は少なからぬ影響を与えるだろう。

岸田文雄首相は先の施政演説でも「訪朝し、無条件で金正恩委員長と会談する用意がある」と繰り返したが、有言実行あるのみである。(寄稿)

河信基 (作家)
ハ・シンギ

1971年、中央大学法学部卒業。朝鮮総連系新聞の朝鮮新報社記者、朝鮮大学校講座長(学科主任教授)を経て作家活動に入る。著書に『韓国を強国に変えた男 朴正煕』(光人社)、『二人のプリンスと中国共産党』(彩流社)など多数。