日本経営者同友会会長 下地常雄氏に聞く

政治家のサラリーマン化を憂う(1)

志あってこその政治家

 政治家と政治屋

 政治家は志があってこその政治家だ。その志がなければ、単なる高給取りのサラリーマン、政治屋に過ぎない。

 もちろん志を内に秘めた政治家もいるだろうが、確たる歴史観や国家観を持って大所高所から政治に取り組んでいる政治家を見かけることが少なくなった。

 近頃の国政選挙を見ていると、国会議員候補者の顔が就職探しに奔走するリクルート学生の姿と重なる。

 国会議員ともなれば、給料は一部上場企業の社長並みだし、数人の秘書も付く。永田町にある議員会館内には個人事務所が完備され、地方出身議員には快適な宿舎も破格の家賃で提供される。

 だが、こうした特権があるのは国家の運営を託された国会議員という重責に対する小さな励ましのようなものだ。些末な生活上の不都合や活動拠点の不備などで煩わされることがないよう、国家が国会議員に憲法で保障しているのだ。少しでも本来の議員活動に専念できるようにとの願いが込められている。しかしながら表面的な待遇の良さに目を奪われ、本来の使命を自覚しての立候補なのか? と疑いたくなる輩も多い。

 国会議員に3つの特権

 国会議員というのは憲法で保障された3つの特権がある。

 一つは「不逮捕特権」で、国会会期中は原則として逮捕されない。二つ目は「免責特権」で、国会内での言論や表決について、名誉毀損などの責任を問われない。三つ目は「歳費特権」で、国会議員の給料は歳費と呼ばれ、国庫から支給され、金額は国会法において一般職の国家公務員の最高の給与額より少なくない金額とされる。

 この給料にあたる議員歳費が毎月、130万1000円が支給され、「期末手当」(約635万円)を加えると、年収は約2000万円以上になる。その他、文書通信交通滞在費と立法事務費がそれぞれ月100万円と65万円が支給される。これらを加えると、年間の合計は約4000万円以上となる。

 

 公に対する献身

 今では死語になってしまった感が強いが、昔は井戸塀議員という言葉があった。

 政治家として財産を投げ打って国の為にと奮闘し、全うした後に残ったのは井戸と塀だけだったという議員のことだ。昔は多くの議員は自分の資産を削って国事に専念したのだ。政治家には国家の安全や国民の為に住みよい社会を築くという、公に対する献身の志があった。

 財産と教養のある名望家の人達にとっての名誉職として「政治家」が位置付けられていた時代、公に貢献する政治家たる者が、それによって利益を得て生計を立てることなどは賤しむべきことであった。少なくとも明治時代の政治家や先の大戦直後、焼け野原から国家復興を導いた政治家にはそうした井戸塀政治家が存在した。侍の精神が残っており、国家のリーダーが金儲けに走るなどといったことは恥さらし以外の何物でもなかった。

 戦後の復興期には、戦死した戦友たちの想いを胸に秘め、国家再建の道を切り拓いていった政治家は、凛とし毅然たる風格を備えていた。

 戦後の危機感も薄れた現在、国政に対する確固たる理念と利他の精神を持ち合せた候補者が何人いるのだろうかと案じる。

 問われる政治家の資質

 「魚は頭から腐る」という。政治家の資質が堕ちてしまえば、国家の未来は危うい。

 誤解しないでほしいが、議員歳費を減らせとか宿舎の優遇措置を撤廃しろと言うのではない。今の時代、政治には金がかかるし、東京での生活も大変だ。

 議員へ提供された恵まれた環境をベースに、真摯に国事に奔走する精神の復活を願いたいだけだ。

 医者や弁護士など重大な社会的責任を伴う職種には、国家試験などの検定基準が存在する。政治家には選挙という国民の一票を通しての検定がある訳だがしかし、単に知名度が高い者が当選するという風潮には疑問を感じる。これからは、立候補者に対して、資質を問うための何らかの検定基準を設けることも視野に入れるべきだと思う。(次号に続く)

しもじ つねお

1944年、台湾生まれ。宮古島育ちで歴代米大統領に最も接近した国際人。77年に日本経営者同友会設立。レーガン大統領からバイデン大統領までの米国歴代大統領やブータン王国首相、北マリアナ諸島サイパン知事やテニアン市長などとも親交が深い。93年からASEAN協会代表理事に就任。テニアン経営顧問、レーガン大統領記念館の国際委員も務める。また2009年、モンゴル政府から友好勲章(ナイラムダルメダル)を受章。東南アジア諸国の首脳とも幅広い人脈を持ち活躍している。