エンジェル投資家 熊切 雄三

サナエノミクスの金融展望

高市早苗氏を首班とする新政権が発足して以降、国内金融マーケットは明確な方向性を示し始めている。すなわち、円安進行、株価上昇、長期金利の上昇という三つのベクトルである。市場は、新政権の政策スタンスを先回りして織り込み、「サナエノミクス」という新たな経済環境の形成を意識し始めている。
サナエノミクスの中核には、安倍政権期のアベノミクスと同様の積極財政路線が据えられている。高市首相は「国土強靱化こそが成長の基盤」と繰り返し強調し、インフラ老朽化対策、防災・減災投資、エネルギー安全保障強化、地方の生産性向上、デジタル基盤の整備など、広範な領域で財政支出を拡大する方針を示している。こうした政策は、需要喚起と供給力強化を同時に実現する狙いを含むが、国債増発と金利上昇圧力という副作用も不可避であり、政策設計の巧拙が問われる。
高市首相は日本銀行の利上げについて慎重な姿勢を崩していない。日銀は2024年3月、異次元緩和からの政策転換を表明し、政策金利を0・5%まで引き上げた。しかし高市首相は、物価上昇の主要因がエネルギーや輸入物価を起点とする供給サイドのインフレに依拠している点を強調し、「デフレ脱却を楽観視するのは早計」と主張する。日銀の独立性を尊重する建前を維持しながらも、景気の腰折れにつながる過度な利上げには警戒感を示してきた。
一方で、補正予算次第では新規国債の増発は不可避となる。国債市場ではすでに長期金利の上昇基調が顕著で、11月6日時点で10年国債利回りは1・679%、30年国債利回りは3・105%と、いずれも過去10年で最高水準に近づいた。CPIも2024年以降、2%後半〜3%前後で推移し、日本は主要先進国の中でも相対的に高インフレの国となった。インフレ下での積極財政は、金利上昇・円安・国債費膨張という三つの負担を同時に生む点で政策難易度が増す。
株式市場は、高市政権を「高市トレード」として好意的に受け止めている。企業物価・消費者物価の上昇が続く環境では価格転嫁が進みやすく、企業の利益率改善やEPS(1株当たり純利益)成長が期待できる。製造業・インフラ関連・小売などで業績改善が顕著となり、株価の底堅さにつながっている。さらに、円安による輸出企業の収益押し上げも株式市場を支える要因となっている。
政策面では、令和8年度税制改正に向けた与党税制調査会の議論が本格化している。注目されるのはNISA積立投資枠の対象年齢引き下げである。金融庁は、若年層への金融教育・資産形成支援を目的に制度拡大を要望しており、実現すれば安定的な長期マネーの流入が見込まれる。一方、ガソリン税の暫定税率廃止による税収減を補うため、金融所得課税の20%から25%への引き上げ案が浮上している。これは「貯蓄から投資へ」の流れを阻害する懸念が強く、市場も慎重な姿勢を示している。
国際金融環境も日本の金利形成に影響する。米国ではFRBがタカ派姿勢を維持し金利は高止まりし、欧州でもECBがインフレ抑制に向けた引き締め姿勢を崩さない。主要国の金利が高水準で張り付く中、日本が低金利を続けるのは困難であり、日本の長期金利は海外金利と整合的に上昇せざるを得ない状況が続く。サナエノミクスの積極財政が国債需給をタイト化させる構造を考えれば、金利上昇圧力はむしろ強まる可能性が高い。
さらに地政学リスクも看過できない。中東情勢、米中対立、ウクライナ情勢、半導体サプライチェーンの分断など、外部要因がエネルギー価格や国際物流に影響を及ぼし、日本のインフレと金融市場にも波及する。こうした環境下では、財政余力の確保が一段と重要となる。つまり、サナエノミクスの持続性は、財政規律と外部ショックへの耐性を両立できるかにかかっている。
円安の影響にも注目が必要だ。輸出企業には恩恵がある一方、家計の購買力は低下し、個人消費の戻りが鈍くなるリスクもある。個人消費はGDPの半分以上を占めており、経済全体の回復力を左右する。財政支出が成長投資や家計の可処分所得改善に結びつくかどうかが、サナエノミクスの成果を大きく左右する。
さらに、日本は人口減少・高齢化が急速に進む国であり、生産年齢人口は2030年に向けて一段と減少する。サナエノミクスの成功には、労働参加率の向上、外国人材の戦略的受け入れ、教育投資・人的資本の充実など、供給力強化に直結する政策が不可欠である。積極財政が一時的な需要刺激にとどまれば国債残高の増大だけが残るが、供給力を高める方向にシフトすれば成長率が押し上げられ、中長期的に財政健全化との両立が可能になる。
今後の鍵は、民間投資をどれだけ誘発できるかだ。政府が成長分野に資金を投じても、民間投資が連動しなければ持続的な成長にはつながらない。AI、グリーンテック、医療DXなど、日本企業が強みを発揮しうる分野は多い。財政と規制改革を組み合わせ、民間イノベーションを引き出す仕組みを構築できるかどうかが、日本経済の未来を決める。
総じて高市政権の経済運営は、短期的には株高・円安を背景に市場の期待を集める一方、中長期では財政負担・金利上昇・人口減少という複合課題に向き合う必要がある。積極財政・金利上昇・円安という三つの変数が交錯する局面では、財政・金融・構造改革の三位一体の政策が求められる。サナエノミクスは、日本が長期停滞から抜け出すための総合戦略であり、その真価はこれから問われることになる。