人類史的な「脳の退化」へ黄信号

TV、スマホで失われる口承物語

東南アジアでは山岳民族の伝承物語などが失われつつある。テレビが山にも入っていって、祖父母が孫に昔話を聞かせようとしても、孫の方がテレビの方が面白いといって、そうした話を嫌がる。そうしたテレビの電波が伝承文学を駆逐している現実がある。今ではスマホがこれに追い打ちをかけている。
なお歴史を回顧すると人類は長年、口承による頭脳訓練がなされてきた経緯がある。ヒンズー教でも、口承によって一言も間違えないで経典を伝承してきた。それが何千年と続いた。それはキリスト教でもそうだ。口承によって脳の中で正確に記憶する。そういう意味で、人間の脳は急速に進化してきた。ヒンズー教でも仏教でも、伝承する経典があって、それが脳を鍛える機能的側面があったということだ。
どう覚えるかというと、一行ずつ覚えていく。明日は昨日の一行と一緒に新しい一行を覚えていく方式で、それをどんどんつないで覚えていく。
そうすると間違いなく脳の中に刻み込まれる。だから百人一首でも4歳、5歳で一つずつ覚えていく。そうすれば百ぐらいは覚えられる。インドの場合は桁違いで百万字とかになるが、これがインド人の脳を鍛えたであろうとことは注目に値する。
それがテレビやスマホが普及することによって視覚的な面だけに頼るようになり、覚えることができなくなってきた。だから近代化によって、人間の脳が退化することもある。
少なくとも、テレビやゲームなどの映像文化というのは、文明史的に大きな節目であることは間違いがない。
確かに世界的な出来事を映像として映し出すインパクトは大きなものがあるし、人類がそれを共有する意味も大きい。ただ人間が学習するとか、記憶するという意味ではデメリットがある。
視覚というのは映像が入ってくるが、言葉というのは聞いたとき、脳の中で映像化するということがある。イメージするというのがそうだし、文学にもそういう効用がある。
そうした意味でも、「聞く耳を持つ」人になるためには、スマホから距離をとった小さい時からの教育が重要となる。