テルアビブ空港乱射事件50周年
姿を現した日本赤軍・岡本公三

1972年、イスラエルのテルアビブ空港(ロッド空港)で約100人が死傷した乱射事件実行犯で、唯一生き残った日本赤軍メンバー・岡本公三容疑者(74)が今春、レバノンの首都ベイルートにて開催された乱射事件50周年を記念する集会に支援者に付き添われ姿を現した。

岡本はこれまで、週刊新潮に手記を発表したり、日本の新聞社や通信社のインタビューに応じ発言してきた経緯があるものの、今回は支持者にただ手を振るだけで発言はなかった。

岡本は2010年4月、ベイルートの奥平剛士の墓前で行われた日本のロックバンド、頭脳警察のメンバーPANTAによる追悼ライブに姿を見せたことがあった。

ただ、岡本はイスラエルの獄中で治安機関から拷問を受けた後遺症による精神疾患で、発語などに障害を負ったとされる。

なお、在日イスラエル大使は、翌日、以下の内容をツイッターに投稿した。

「1972年にロッド空港で発生した乱射事件から50年を記念する集会に参加した岡本公三容疑者、および先週末出所した重信房子元最高幹部が温かく迎えられる姿を見て愕然としました」

岡本は1985年5月、イスラエルとPFLP─GCとの捕虜交換により釈放。リビア・シリアを経由して、日本赤軍が本拠地としていたレバノンに戻った。

岡本はこれまでのインタビューで「日本に帰って昔の友人たちに会いたい」と望郷の念を語っているが、「普通には暮らせないだろうから帰国にこだわりはない」と述べるとともに、「パレスチナに骨をうずめたい」意向を表明している。

意外だったのは、「事件当時の24歳のままの気持ちだ」との発言だ。

持病の糖尿病や精神疾患など肉体やハートは傷ついているものの、気持ちの部分では24歳のままというわけだ。その気持ちとは、憎しみを原動力とした闘争心ということだろう。