動き出すインドネシア遷都構想

スカルノ初代大統領も遷都計画

中印米に次ぐ世界第3位の人口(約2億8000万人)を擁するインドネシアの遷都構想が動き出した。

現在の首都ジャカルタからカリマンタン島の「ヌサンタラ」に移る。インドネシア語で群島を意味する「ヌサンタラ」は、バンジャマシンとサマリンダの間の密林地帯で、高速道路も鉄道もないほぼ未開の地に等しい。

ジャワ島西部の首都ジャカルタから、海を隔てて約1200キロメートル離れた「ヌサンタラ」への移転は、ジョコ大統領が3年前に発表していたものだ。ただ、その直後に襲った新型コロナ禍騒動に巻き込まれ、予算もコロナ対策費に食われる格好で遷都計画は足踏みを余儀なくされた経緯がある。

年初、国会で成立した「新首都法」では、2年後の大統領宮殿などを端緒に行政機関を順次移管し、独立100周年となる2045年までに完了させる予定だ。総工費は4・3兆円。このうちインドネシア政府は20%を負担する。残りは民間からの調達を見込む。 

なお、中国に横取りされた新幹線プロジェクト(ジャカルタ─バンドン間)で懲りている日本は、遷都計画にも警戒心は強く、参入が期待されていたソフトバンクも正式に「見送り」を表明した。

一方で、中国がこの遷都計画のインフラ建設に手を挙げている。

ジャカルタ首都圏は人口3000万人強と、東京圏に並ぶメガ都市で、交通渋滞や大気汚染、地盤沈下など「大都市病」に著しく侵されている。とりわけ地下水くみ上げを主要因とした地盤沈下は年5~10センチメートルに達し、慢性的に洪水被害を受けるようになっている。

ジョコ大統領が遷都を決意したのは、都市機能の低下や環境問題だけでなかった。

インドネシアの国家全体を俯瞰し、地方にも配慮したバランスのとれた利益を考慮しての結論だ。西に首都ジャカルタがあるジャワ島は、面積が国土全体の6%でしかないのに、人口や国内総生産(GDP)の約6割が集中する。1万7000の世界最大の島しょ国家の中心的位置にある東カリマンタンへの遷都で、一極集中の流れをダイナミックに変え、均衡のとれた発展への方向転換を図る大英断だとジョコ大統領は自任する。

ジョコ大統領はこのほど、大統領任期の最後の年となる2024年8月17日の独立記念日を、「ヌサンタラ」の新宮殿で迎えると公言した。

ちなみに、インドネシアでは歴代の大統領が、それぞれ遷都計画を立ち上げようとした経緯がある。 

初代大統領スカルノは1957年、植民地の記憶を断ち切るため、中部カリマンタン州に「パランカラヤ」(偉大な聖地)と名づけた新都市をつくり、新首都にする構想を宣言した。ただこの構想は、67年のスカルノ失脚劇でとん挫することになった。

スカルノ大統領に代わって約30年間の長期独裁を敷いた第2代大統領のスハルトも、90年代にジャカルタ近郊の西ジャワ州に首都機能を移す構想を表明したものの、タイから発した97年のアジア通貨危機で政権が崩壊し、幻の遷都計画に終わった。

遷都構想を再び持ち出したのはスカルノの長女のメガワティ元大統領だった。自身が率いる闘争民主党からジョコ大統領を誕生させた翌年の2015年、演説で言及した。17年にジョコ氏が「ジャカルタは混みすぎ。洪水のような積年の問題も抱えている」とメガワティ氏に同調したことで、構想は実現に動き出した。昨秋の法案提出時、ジョコ氏はスカルノの墓参をし、歴史的な意義をアピールしてみせた。