まずは平壌常駐、生情報取得を虎穴に入らずんば虎児を得ず

高野山真言宗宿老・大僧正

池口恵観師に聞く

 高野山真言宗宿老・大僧正の池口恵観師に、ずばり北朝鮮問題を伺った。東アジアの地政学的不確定要素である北朝鮮問題を憂慮した池口師は、「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」との格言通り、外野席からヤジを飛ばす第三者ではなく、ご本人が何度も北朝鮮に足を運び相手の懐に飛び込む当事者として北朝鮮と対峙されてきた。池口師は「日朝首脳会談の前に北朝鮮の同意を得て平壌市内に日本政府の拠点をつくり、恐れおののくことなく常駐して北朝鮮の国柄と朝鮮民族の人柄を知り、五感を使っていろいろな情報を集めることだ」と強調し、「その本気度こそが北朝鮮を動かす」と語る。
(聞き手=徳田ひとみ本誌論説委員)

──大僧正は様々なご活躍をされておられますね、北朝鮮を訪問されたり、また護摩焚きのお姿をテレビで拝見したこともあります。
実はその2つはつながっています。
護摩修行は、鹿児島と江の島と高野山の3カ所でやっています。
国際情勢を俯瞰すると、現在、ウクライナと中東で火の手が上がり、台湾危機も指摘されるようになってきました。しかし、それ以前の東アジアで最も危ぶまれていたのは、朝鮮半島でした。朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)は核とミサイル開発に力を注ぎ、朝鮮半島が有事となれば日本にも影響しかねない危険な暗雲が垂れ込んでいました。
そうした事態を何とか打開できないものか真剣に考えるようになり、相手の懐に入らなければ打開策は何も見いだされないので、北朝鮮に思い切って飛び込んでみようと密かに決意したのです。
民間外交が蟻の一穴となる場合もあります。ただ北朝鮮と日本は国交がなく、その実態はベールに包まれています。その懐に飛び込もうにも、全く手がかりはありませんでした。
そこで一計を案じたのです。私は護摩の炎の前で祈り続ける行三昧の日々で、真言行者なら誰しも満願したいと願う八千枚護摩行を百二座成満し、真言宗の誰もなしえなかった前人未到の百万枚護摩行を成満し、いつの頃から「炎の行者」と呼ばれるようにもなっていました。
そのどの行も、自分の事は一切祈らず、人々の幸せをただひたすら祈って参りました。
ただ神仏は私を労わるように数々の奇跡を体現させてくださったのです。北朝鮮の最高指導者だった金日成主席が人民の幸せのための努力したことで人民から神仏のように慕われているのを知り、金日成観世音菩薩と命名した仏像を作って拝み、日朝関係がうまくいくように願っていたのです。そのことを朝鮮総連の許宗萬議長が聞きつけ、ご夫人と部下と一緒に鹿児島の寺まで来られたのです。そして、護摩を焚いている前に金日成主席の観世音菩薩が置いてあったものですから、感動して泣いて喜んでくださいました。
それを金正日総書記に伝えられたと思うのです。というのもその直後、その金日成主席の観世音菩薩像を持ってきてもらえということになって、平壌まで運び込んだことがあります。魂を込めた像だけに飛行機の貨物室にいれるわけにはいかず、無理をお願いして客室に置いてもらいました。その後、その像は大切に引き取られて金正日総書記の指示により金日成主席と母親と金正日総書記の3人で行ったことのある御寺に安置されることになりました。
それが北朝鮮と関係を持つきっかけになったのです。まさしく金日成観世音菩薩によるお導きだと思うのです。またそれほどの待遇を受けるのであれば、いずれ金正日総書記とも目通りが叶うかもしれないと、私は淡い期待もしておりました。
ところが金正日総書記は突然、死去されたのです。
この訃報に対し、日本政府はどう対応するのかと私は注視しておりました。
その間、まさかという思いもよぎっておりました。日本には「村八分」という言葉があります。どんな理由で仲間外れにしようとも、葬儀と火事の時は例外にするのが「二分」の意味です。しかし、そのいやな予感が的中することになるのです。その時の民主党の野田政権は、弔問をしなかったのです。
それではいけないと思いました。我が国の隣国である北朝鮮国に対し外交関係はありませんでしたが、未来を見据えて弔問だけはちゃんとすべきだったのです。
私はそれを日本人として恥ずかしいと思い、葬式をさせてもらえないかと申し出ました。
そしたら議長がぜひお願いしますということになり、それで僧侶たち2、30人ほど連れて行って、東京千代田区の朝鮮総連中央本部で真言宗礼法による厳粛な葬儀を執り行ったのです。北朝鮮の関係者もみな出席してくれました。その法要は翌年、翌々年の3回行いました。
私どもと同様の行動をされたのが、小泉元総理でした。北朝鮮に弔電を打たれただけでなく、単身で総連本部を訪れて弔意を示されたのです。
北朝鮮側からすれば日朝平壌宣言を反故にした当の本人が、村八分の意味をわきまえて礼を尽くされたのです。まさしく義を重んじる政治家と感服したのはおそらく日本人だけではなかったでしょう。
それやこれやで結局、3回目の訪問時には勲一等を頂いた経緯もあります。

──北朝鮮の悲惨な飢餓報道などTVでもしばしば目にしますが、実際はどうなのでしょうか?
私が北朝鮮を訪問した時、誰に会ってもいいし、どこに行ってもいいと言われました。それで私は田舎の一般の家庭に行きたいというと、家には金日成主席と金正日総書記の写真が飾られていました。日本の昔の天皇陛下と皇后陛下の写真のように祭ってあったのです。だけどそんなに食べるものに苦しんでいる風ではありませんでした。
ただ何度も訪朝した私でも、あの国はまだまだ豊かだとは言えません。
確かに平壌市内は近代都市に生まれ変わっています。
しかし、一歩外に出れば本来緑豊かな山も豊かには感じられません。また広い農地をのろのろと進むトラクターは、日本では博物館に展示されるような年代物でした。何より食糧が豊富ではありません。
だからこそ国防に憂いがなくなった今、北朝鮮が次に進む段階は、特に食糧事情を中心とした豊かな生活環境を作ることだろうと思うのです。
しかし、やせた農地や枯れた山々が一気に回復するとは思えません。
核とミサイル開発に莫大な国費をつぎ込んだ長い年月は、生きるために必要な農業や漁業、畜産業などの衰退を招いたのは明らかですし、回復にはかなりの歳月がかかるのではないでしょうか。
食糧事情を含む極めて厳しい経済状況を打開したい北朝鮮が、次に打つ一手は中国に習った市場開放なのかは私には分かりませんが、1つだけ言えることは自立自尊の強い国だけに、軒を貸して母屋を取られるようなことは絶対にしないでしょうし、あくまで進むべき道は自主自立を重んじた歩みだろうと思うのです。

──朝鮮総連中央本部は、在日北朝鮮の方達にとっての大使館的役割がありました。この朝鮮総連ビルの売却問題でも、池口大僧正のかかわりが大きく報道されました。
北朝鮮同様、私の名前が日本国内に知れ渡ったのが、この朝鮮総連中央本部の土地と建物の売却、落札に絡む出来事でした。連日連夜の報道により、私は大バッシングされ、売国奴とも罵られました。
そのほとんどがいわれのない中傷でした。大変な負債を抱えた総連は、その返済のために土地・建物を売却しなければならない憂き目に立たされていたのです。総連本部は大使館的業務の他に、地方総連のまとめ役でもありました。
何より本国北朝鮮に、それまで経済面などで多大な貢献を果たしましたので、北朝鮮との関係をなんとかつなぐ意味でも、日本政府が何とか対応すると私は期待していたのです。ところが政府は介入することなく、司法の手にゆだねられました。
しかし、総連をなくすということは、向こうの人に言わせれば宣戦布告にも似た気持ちがありました。そんなことをされたら大変なことになる。だからなんといっても阻止しないといけないという気持ちでした。
それで気づけば、後先考えることなく競売に応じておりました。そこには私利私欲など全く関係なく、ただ降りかかる炎を振り払おうとする一念でした。あの時、一介の僧侶ごときが見たことも、触れたこともない莫大な資金を工面できるはずもないのに、そんなことにお構いもなく、ただ「何としてもこの国を守る」という一念で奔走していたのです。
結局、落札はできたものの資金調達できず、購入を断念しました。もし購入できたら、そっくりそのまま土地・建物を朝鮮総連に貸すつもりでいたのです。

──北朝鮮は何度もミサイルを発射していますが、この件はどう把えておられますか?
自分たちが作ったものを実験していると思います。それと米国が怖いのだと思います。もし戦争になれば北朝鮮は潰されますから。
それで20分で全国民がシェルターに入れるようにしているということです。だから地上部の建物は破壊されたとしても、国民は地下で生き延びることが可能です。
それと生活そのものができないなど一番苦しい時、北朝鮮は学問の方に力を入れてきたのです。それが今のロケット技術につながっているように思います。なお北朝鮮はウクライナへのロシアの軍事侵攻を目の当たりにして、世界的な非難や経済制裁を受けながらも選択した道は正しかったと思っているはずです。
だからこそ、あらゆる犠牲を払って開発した核やミサイルを手放すはずはないのです。自衛のための抑止力をほぼ整えつつある北朝鮮は、後は相手の出方を待つだけとなったようです。
核兵器をも有する軍事強国にした責任の一端は、オバマ米政権が推し進めた「戦略的忍耐」政策にもあることは明らかです。
そんな米国がウクライナ、中東、台湾の3方面で難問を抱える中、北朝鮮の脅威を阻止するための軍事行動に出るとは到底思えません。
おそらく北朝鮮はそんな米国を十分に観察しつつ徐々に挑発などを減らし、時間はかかっても朝鮮戦争の実質的な終結と、米国との和平条約を結ぶ方向性を探るだろうと予想します。
もしそうだとすれば、北朝鮮は次の段階へと進むことになりますので、その移行期であろう今が、拉致問題を抱える日本にとって絶好のチャンスかもしれないのです。

──以前議員会館のロビーで横田めぐみさんのお母様を遠目にお見かけしたことがありますが、その時自然に涙があふれ出てきて、自分でも驚いてしまいました。人間というのは理性と関係なく相手の蓄積された悲しみを感じ取り、反応することがあるのだと思いました。
そういうことは、ありますね。

──拉致問題は被害者の親族の高齢化を考えても、一刻の猶予もありません。
仮に岸田総理が拉致問題を解決するために日朝首脳会談を希望されているとするならば、その前に官僚レベルの予備交渉が必要となるでしょう。
首脳会談の成否は、その予備交渉のよって大きく左右されるはずです。だからこそ今、重い腰を上げてかの地に赴き五感を使って、あらゆる情報を集めなければならないのです。
決して混じり合わない水と油のようなことから、高次の判断を引き出そうとする熾烈な協議には、その協議に耐えうる相手側の確かな情報を持たない限り、勝利は見いだせないのではないでしょうか。
日朝関係を本気で改善したいと思うのなら、首脳会談の前に北朝鮮の同意を得て平壌市内に日本政府の拠点をつくり、恐れおののくことなく常駐して北朝鮮の国柄を知り、朝鮮民族の人柄を知り、五感を使っていろいろな情報を集めて欲しいと私は強く思う。
そんな本気度が、北朝鮮の何かをきっと動かすとも信じています。
あの国は二心なく真摯に鐘を叩けば、いずれそれに応じて叩き返す国であることを、私の拙い体験から申し添えます。

──日朝は国交断絶状態ですが、このような状況では一層大僧王の存在は大切ですね。
ミサイルが日本に飛んでくると、大変なことになってしまいかねません。全部を打ち落とせるわけではありませんから、それが原発に落ちたら日本はなくなってしまいかねません。
だからこそ戦争はしないように、ミサイルの照準を日本に合わせないようにしないといけません。   

──2009年の北朝鮮訪問時に、北朝鮮に逃れ生活しているよど号ハイジャック犯らとお会いになられていますね。
向こうで亡くなったよど号ハイジャック犯リーダー田宮高麿の葬式を、私がしました。
それで向こうに行っている人たちは、私が自分のお父さんか親戚のおじさんのように飛びついてくるのです。
私は1961年のクーデター未遂事件の三無事件に関わっていました。当時の私は右寄りの考え方だったので、テロリストに対し機関銃があれば撃ち殺したいと思うようなこともありました。
田宮高麿は、そうした反体制運動の中心人物でした。しかし、会えばものすごくいい人達なんです。

──若い頃の幼く不器用な正義感に駆られての行動だったのではと思います。北朝鮮でも日本の情報は得られるでしょうが、現地でお会いになって大僧正が知り得た彼らの心境をお聞かせください
やっぱり、誰しも日本に帰りたいという気持ちはあります。彼らも同じです。
私は日本に帰っていらっしゃいと勧めました。「それで日本の法律によって裁かれ、その咎を清算した後、日朝関係の橋渡しをしなさい。それがあなた方の使命だよ」と提言したのです。
北朝鮮で生活し、その資質もわかっている彼らほど、その任にふさわしい人はいないと思います。ただ私が継続して強く説得しなかったから、そのままになってしまいました。彼らにしてみれば、私が言う風になるかどうかも不明で不安もあったのだろうと思います。
今度、行くことがあればまた会えるだろうし、また改めて話したいと思っています。

いけぐち えかん

1936年、鹿児島県生まれ。高野山大学文学部密教学科卒。高野山真言宗宿老、高野山別格本山清浄心院住職。高野山真言宗大僧正・伝灯大阿闍梨。「百万枚護摩行」達成行者。山口大学から医学博士号取得。ロシア、フィリピン、日本の数多くの大学の客員教授・非常勤講師。家田荘子、小池一夫、コンノケンイチ、金本知憲、新井貴浩ら多くの知識人、政治家等と親交がある。

【聞き手プロフィール】
とくだ ひとみ

1970年3月、日本女子大学文学部社会福祉科卒業。1977年4月、徳田塾主宰。2002年、経済団体日本経営者同友会代表理事に就任。2006年、NPO国連友好協会代表理事に就任。2018年、アセアン協会代表理事就任。2010年から2019年まで在東京ブータン王国名誉総領事。本誌論説委員。