音楽は人を強くさせる
ベルカントジャパン合同会社代表
今瀬康夫氏に聞く
「英国国王陛下の近衛軍楽隊」の日本公演をを20年間、続けてこられたベルカントジャパン合同会社代表の今瀬康夫氏にその魅力と音楽のパワーを聞いた。今瀬氏は近衛軍楽隊制服である赤の上着と熊皮の黒帽子の意外ないわれを語った。
──英国国王陛下の近衛軍楽隊の日本公演を長年、続けておられます。
今回の訪日では、大分のiichiko総合文化センターでの演奏後、熊本 浜松、小浜など8都市で公演し、最後に東京の聖徳大学で、その翌日が英国大使館でパーティー開催となります。
──多忙ですね。
そもそも行進する兵隊さんは体力はあるし、合唱団やオーケストラのように、わがままを言うことはありません。
軍楽隊には階級があるので、右向け右と言えば、パッと右を向きます。
──指揮者が最上階級?
指揮者が少佐、メンバーは少尉から下になります。自衛隊音楽隊も大体そうです。
演奏レベルは世界でもトップクラスで陸上自衛隊中央音楽隊メンバーも聴きに来るほどのバンドです。
──今回、自衛隊との交流はないのですか。
交流会のようなものはありませんが、ただ以前もそうでしたが、大阪の中部方面のメンバーや中央音楽隊のメンバーがかなりいらっしゃると思います。
──「ギターを持った渡り鳥」じゃないけど、その国際版みたいですね。
ただこれだけの規模の軍楽隊となるとトラブルはつきものです。今回も11月になってからトロンボーン奏者が病気になって行けなくなったと連絡がきました。
全員、就労ビザで訪日するのですが、ビザ申請をロンドンの日本大使館の領事部に出して、あとはビザを張り付けてくれるだけというタイミングで、このトラブルは発生しました。
ただしこの時は、ロシアで日本大使館勤務だった友人が、たまたま10月からロンドンの日本大使館に異動になっていて事情を話すと、すぐに領事部に掛け合ってくれて、至急、新しいメンバーのワーキングビザを出してくれることになりました。
──出会いというのは不思議です。急を要するときに、人間関係で切り抜けることができたりします。さて音楽は人の心を溶かし、国境を超えて人をつなげるパワーもあります。音楽の世界を渡り歩いておられる今瀬さんは、その音楽のパワーを目の当たりにしておられます。
国々で音楽の味わいが違います。
使う譜面は一緒ですが、プロ奏者は出る音が微妙に違うんです。それでみんなで1つの曲を演奏するという時には、みんなで聞きあうことになります。
隣の音を聞きながら、その音にぴったり合わせていくのです。そうしてやっとバランスのいい調和やハーモニーが生まれてくるのです。
その作業は、外国人とでも大体、同じことができるのです。その時に大事なのが、しゃべれるか、しゃべれないかです。
僕は学生の頃、1カ月ぐらいイギリスに行ったので、その時、英語をしゃべれるようにならなきゃと思って、毎日、外を歩きながら知り合いをみつけては実践英会話を積み上げていった経緯があります。
その功あって英語での会話はなんとかなるのです。
だが中国に行ったとき、英語が通じない。それでもノートに漢字を並べていくことで筆談による意思疎通が可能です。そういう手段も使いながら、なんとか演奏までこぎつけたことがありました。
ロシアでは英語も若い人だと通じたりしますが、年配者には通じません。ただチャイコフスキーなどロシアの曲をやるときは、頑張ってやるし、その意味では譜面さえあれば一緒にできるのです。
──譜面こそは最大の共通言語です。
そうですね。
音楽は人を強くさせるのです。
一方、軍隊の音楽というのは古くから政治的なものが含まれてきます。一番、欧州を驚かせたのはトルコです。トルコ軍がウィーンを包囲した時、24時間、トルコの軍楽隊が大音量で演奏したのです。トルコの軍楽隊の曲は全部、短調です。お前ら、これから殺されるんだろ、悲しいなと畳みかけるのです。
短調というのは沈みこむような陰鬱で悲しい曲風で、相手のやる気をそぎ落とします。そのためのトルコ軍楽隊だったのです。
──音楽を武力にした?
そうです。
これが2カ月、3カ月と毎日毎日続いていったのです。市民は恐怖にさいなまされ、眠れなくてほとほと嫌気がさしていったのです。
結局、100日包囲されながら何とか持ちこたえました。
それを音楽に仕立てあげたのが、100年後のモーツァルトのトルコ行進曲だったのです。
出だしのメロディーは暗いのですが、後半は明るく転換していきます。トルコ軍に勝ったぞという音楽なのです。
なおイギリスの軍楽隊はバグパイプを使って、フランスや北欧と戦争した時に、まず音楽隊を一番先頭において攻めたてていくのです。
丈のある黒熊の帽子をかぶっているのは、大きく見えるからです。相手に怪物のようなイメージを植え付け恐怖心をあおるための心理戦を展開しているのです。
バグパイプはすごい大きな音がします。一個でもホール中鳴り響くぐらい大きいのです。そのバグパイプが複数あると、相手はすごい音量だから、人数もすごいのだろうと、これも恐怖心をあおる手段としたものでした。
それで軍楽隊は、一番先頭を歩くから弓とかで撃たれるターゲットになります。命中すれば倒れます。ただ弓矢が刺さって血が出て倒れても、真っ赤なジャケットで変わらないから、味方の兵士の士気が落ちないのです。それが軍楽隊の制服が白だったら、前の軍楽隊がやられて上半身、血染めだとなりますが、そもそもジャケットが赤の軍服だから、血に染まっても色が変わることがないのです。そのための赤色でした。
軍楽隊は先頭を行くのだから、死ぬ確率は高いのです。
一方、フランスの「ラ・マルセイエーズ」など、自分たちの軍隊を鼓舞する音楽もありまた。
ロシアのチャイコフスキーは「1812年」という音楽を作りました。それはロシアがフランスに勝利したぞという、最初は「ラ・マルセイエーズ」で始まり、最後は大砲の弾を象徴するドーンという音で終わる音楽です。
──戦争史を音楽にしたわけですね。
ロシアがウクライナを攻め始めたころ、普通のオーケストラの演奏会でたまたま序曲にその「1812年」が入ったことがありましたが、それはさすがに変えた方がいいのじゃないかと、いうことになったことがありました。「1812年」はロシアを讃える曲だから、変更されたことがある。音楽そのものは素晴らしくても、音楽に政治が絡んでくるのは避けがたいものです。
ロシアの音楽は優しいし、一般庶民も優しいのですが。
──音楽の世界に入ろうと思った経緯は?
吹奏楽をやっていた兄の影響です。
兄はホルンを吹いていました。私もその流れでホルンを習ったのです。
それで読売交響楽団のアンサンブルで、レッスンしてもらう機会がありました。
そこでホルンの先生から「お前、芸大に行きたいんだろう」と聞かれました。
私は「いえ、京大志望です」と答えると、先生は「京大に入って何になりたいのか」と突っ込んできました。
私は「京大法学部に入って弁護士になるのが夢です」と答え「弱きを助け強きをくじき、それに弁護士は給料もいいですから」と率直に答えました。
すると読響のホルンの先生は「どの位もらえるの」と聞くから、私は「いやー4、50万円ですかね」と答えました。
先生は「ちょっと待て、それはすごいな。だけど僕はホルン一本で、先月の稼ぎは60万円」とたたみこんできました。
詳細は「オケの給料が35万円、日本テレビとか録音業務で25万円だ」ということでした。
私は思わず「えっ」と、正直驚きました。
それで一浪して国立音楽大学に入ったと先生に報告したら、「よし手帳を出せ」と言って僕の手帳に仕事のスケジュールを書いてくれました。
──大学一年生から本格的な演奏バイトですか。
はい、大学に受かった途端、仕事が勉強だ、とスケジュールを入れられました。
当時の家からの仕送りが月4万円だった。アパート代が1万8000円。
たまに共同電話に親から電話がかかり「なんとかやっているか」と聞いてきました。「うん、なんとかやっている」と答えたことがあります。さだまさしの歌「案山子」の世界でしたが、実は4月の稼ぎは25万円ありました。
──当時の25万円ですからね?
英国に行ったとき、英語の勉強をして英会話ができるようになったというのは先ほど、話しました。
ロンドンに約1カ月、滞在したから大体、町の人と顔見知りになります。それで挨拶から始まり、最初はたどたどしくても話すようになることで、「実地会話レッスン」で英語を身に付けたのです。
それで帰国して普通にホルンの仕事していましたが、たまに指揮者とか外国人が訪問してくると、英語が喋れるということで通訳を依頼されたりしたのです。
軍楽隊が来た時など、舞台のこともわかっているから、ツアーの間、一緒に来てくれないかといわれ同行するようになりました。
その興行をしていた会社が20年ぐらい前に倒産したのです。すると隊長が私に、「お前の所で、軍楽隊を呼べるようにしてくれないか」と依頼されたのが、私が本格的に「英国国王陛下の近衛軍楽隊コンサート」を手掛けるようになった経緯です。
──世界中を回って印象深い音楽との触れ合いは?
やはりロシアですかね。
ロシアでは日本と違って、音楽が義務教育の科目に入っていません。あくまで音楽は選択科目になるのです。欧州もそうです。それが日本だと誰でも、5線譜が読めます。アメリカに行ってもウィーンに行っても、普通の人は5線譜を知りません。選択でとった人だけ5線譜が読めるのです。
──ロシア音楽は明るさというより、哀愁といった印象が強いのですが。
音楽というのは地域性が強いものです。北にあるロシアという土地は、食べるものもない厳しい気候で寒さに耐えに耐えてといった過酷な状況だから、そうしたものになりやすいのです。
一方、スペインとかラテン系は明るいのです。
──スペインだって悲しい音楽はすごいのがあります。
あれは振られた悲しみですね。
──日本は。
北と南では様相が違います。
沖縄だとか九州といった西では、明るさが目立つのですが、東北だと厳しい気候風土で、津軽三味線とか暗く陰鬱な情感が出てきがちです。
これは世界的にも同じで、マレーシアとかインドネシアに行くと実に明るくテンポも軽快です。
専門的に言えば、音階自体が明るい音階を使うからです。東北やロシアは短調の陰鬱で悲しい音階です。風土によって曲調は変わってくるのです。
いませ・やすお
1954年(昭和29年)8月4日、島根県松江市生まれ。国立音楽大学卒業。フリーのホルン奏者として、全国のプロオーケストラの他、シンガポールシンフォニー、王立バンコクシンフォニーやロシアカレリア交響楽団などに呼ばれる。ロシア国立極東連邦芸術大学名誉教授、瀋陽音楽学院客員教授、平成音楽大学講師。趣味はゴルフ、スキー、スケート。サッカーは三級審査員。