ピューマ渡久地ボクシングジム
渡久地聡美会長に聞く
リングの外で交えた一戦
ピューマ渡久地ボクシングジムは先だってカリブ海に飛び、ドミニカ共和国での遠征試合を挙行した。コロナ禍の中、誰しもが引きこもりがちの中、敢えてリスクをとった。だが、そこで遭遇したのはカリブの海賊ならぬ、鴨葱を待ち構えていた不逞の輩たちだった。渡久地ジムはどう切り抜けたのか。リングの外で展開された手に汗握るファイター振りを渡久地聡美会長に聞いた。
──ボクシングジムの女性会長は、渡久地さんただ1人だけ?
世界的には分からないけど、珍しいのは事実だろう。
──今回のドミニカでの遠征試合では、男だったら流れただろう試合を粘り腰の女性会長だったから成功に導けたとの評価の声を聞く。
もつれた糸を解きほぐすみたいな遠征試合だったから、男だったら面倒くさくなって投げ出しただろうという人はいるが、実はある人の声掛けで局面ががらりと変わった。
──具体的には?
事前にドミニカ共和国側のジムと打ち合わせを済ませて渡航したのだが、到着すると話が全く違っていた。
当初、ピューマ渡久地ジムのプロボクサー3人が試合をする予定で、そのうち2人がタイトルマッチ戦だった。
それなりの予算が出ていた。ドミニカ共和国にすれば破格の金額だった。それでも地球の裏側でのタイトルマッチというのは、日本でやるより廉価で、何よりカリブでタイトルマッチをやるチャンスは日本人ボクサーでも初めてのことだし、これからも期待できないことだった。
だか、向こうに行くとタイトルマッチの承認は取れておらず、対戦相手は変わりましたという話を切り出してきた。
すでにJBC(日本ボクシングコミッション)にも興行予定を提出しているのに、直前に理由もなく対戦相手が変わればタイトルマッチの許可が下りず試合が流れることになる。
さらにもう一つのタイトルマッチも同様に、試合間際にも関わらず、まだ承認が取れていないということだった。
しかも3人とも前座扱いで、約束の金はそのまま払えと言われた。話が違いすぎた。現地のコミッションの対応もありえなかった。
最初から騙すつもりだったのかどうか本当のところは分からないが、向こうとしては「日本からネギを背負ったカモ扱い」だったのは間違いない。
脅迫もあった。私たちに興行をやらせないための嫌がらせだった。
治安が不安定な国ということもあり、ホテルは3回変わった。
命の危険を感じながらやったのは、リング以外では初めての経験だった。
利権の問題というか途方もない金銭を要求したり、それに対して契約通りちゃんとやって欲しいと突き返すと、その都度嫌がらせをしてくる。その時、私が軽んじられたなと思った。
それで余計に意地が出てしまって、なにくそという反骨精神に火が付いた。
──リングの外にファイターがいたということだが、たとえ心に火が付いたとしても、そうした局面を打開するのは大変なことだ。
向こうの思惑通りにならず、ちゃぶ台返しみたいなことができたのは、民間のスポーツ興行としてではなく国のレベルに引き上げることができたからだ。
──というと?
東京の知人に、現地から電話で相談した。
すると知人は、「ドミニカ共和国から招待されながら、こんなことをされては日本の恥でしょう」と言って、外務省に顔のきく代議士に根回しした。
潮目が変わったのはその時だ。
律儀な代議士は、その話を外務省高官に話し、それがドミニカ共和国の日本大使にまで伝えられた。
それまで日本大使は、ドミニカ共和国サイドに立って動いていた。
私がちゃぶ台返ししたみたいになったけど、ドミニカ共和国側のジムは「やれるものならやってみろ、その代わり、あなたたちに命の保障はない」とまで言ってきた。
「この国で自分たちを差し置いて誰も興行はできない」ともいわれた。
ただ、それは本当だった。
スポーツ省のコネクションがあるのはそのジムだけだった。あれだけ強気でいったのもうなずけた。
日本大使も向こう側だったし、スポーツ省も取り込んでいた。
そうした絶体絶命のピンチを、知人は救ってくれた。
まず日本大使が日本の名誉のためにと、ドミニカ共和国サイドに働きかけてくれるようになった。
追い風が吹き始めると、オセロ返しのように局面は好転していった。
ドミニカ共和国訪問時、大統領に表敬訪問していたが、単に儀礼的なものにとどまらず、大統領が期待しているということで大きな政治力にもなった。
結局、10日間で試合を組み直すことになった。
日本でもさすがに10日では試合は組めない。
対戦相手も必要だし、タイトルマッチをするには団体の承認をとらなくてはいけなかった。普通のプロボクサーでは、タイトルマッチの承認は下りず、ある程度の実績がなくてはいけなかった。
さらに知らない国でマッチメイクをしなくてはいけなかった。
しかもボクサーは、体重を作る必要がある。
日本サイドからの風がキーパーソンを動かしたすごさが身に染みた。
普通は何かトラブルに巻き込まれそうなにおいがして、そういうところで動きたくないというのが人情だ。それを厭わず引き受けてくれ、筋目を間違わず碁の布石のようにパッと石を置いてくれた。
それでも最後まで気を抜くことはできなかった。
というのも、ドミニカ共和国にはボクシングの試合用リングは一台しかなかった。これを押さえられてしまうと、興行は打てない。
だから出場予定していたボクシングの興行のある2日後に、我々の試合を設定した。
翌日だと邪魔されるリスクが高かったからだ。
紆余曲折を経て、実際リングが無事に設置されたのも試合開始間際のことだった。こうしたリング外でのスリルとサスペンスが同時並行して動いたドミニカ共和国の遠征試合は、二度と味わうことがないくらい、貴重な経験となった。
──ジム経営と選手育成のどちらに力をいれているのか?
本来はプロのボクシングジムなので、プロ選手育成がメインとなるところだが、うちは場所柄、地域密着型で地元の小中学生や一般の方がメインのジムとなっている。
──通ってきているのは何人?
今は100人程度。
──今回、ジムはコロナの直撃を受けたのか?
数名立て続けに抜けたこともあったが、結局、事態が落ち着いた段階で戻ってきてくださった。コロナ前と今ではほとんど差はない。本当に有り難い事だと思っている。
──下は小学生ということだが、上は?
後期高齢の80代と、年齢層は幅が広い。
──シニアがジムに通う目的は健康維持のため、それとも格闘技好き?
そもそもスポーツジムに通っていた人だが、スポーツジムにはなくボクシングジムにあるものをみなさん、感じとられてきているように思う。
──それは一体何?
結局、人は対面なんだと。
自分でもトレーニングはできるけれど、ジムではコーチがミットを持ってくれたりする。コーチは本人が気づかないところをフォローするからだ。さりげなく背中に付いたゴミを拾うという感覚の役割。指導で一番、気を付けているところだ。
──トレーナーの実力が問われる?
今、トレーナーはボクシングジムでは珍しいのだが、現役のプロボクサーが兼業もしている。
出入りはあるが、元チャンピオンが指導員になっている。
トレーナーとして入るスタッフは、タイトル経験者に限定している。
──そこにこだわっている理由は?
ある程度の高みを極めていないと、細やかな指導はできないと思っている。
──トレーナーの経験は?
私はミットは持たない。元夫のピューマ渡久地がいた時には、彼が全て見ていたが、彼が療養に入って現場を去った後、トレーナーはいなかったので、私がやるしかなかった。この15年間は選手のチーフセコンドもやったし、試合前のバンテージも巻いてきた。試合が決まれば毎日練習もつきっきりで見ていた。
──全部知った上で、今の仕事にあたっている?
そうだ。この世界に入ってかれこれ30年になるが、オールラウンドにすべての業務をこなした上で、会長として今の仕事に従事している格好だ。気が付いたら、人生の半分以上になった。
ボクシングは、ただの殴り合いではなく、人生の教えが詰まっているといっても過言ではないくらい奥深い。
──確かに教えることは、教えられることだ。
教える立場である限り、常にさぼれないということでもある。
──生徒は教師の背中をしっかり見ている。
そうだ。
お手本となるにはまだまだ未熟者なので、私も一緒に成長するねというスタンスで走っている。
──教育という意味では、ボクサーの育成は特殊な教室だ。体育のように体の機能向上や健康維持のためというものではなく特殊なトレーニングが必須となるのだろうが、特に心掛けているのは?
すべては精神が肉体を制するので、どれだけ精神面で鍛えられるかということが、ボクシングの厳しいトレーニングに凝縮されている。
ボクサーはどれだけ才能があっても、同じことを毎日続けるというのは一番難しい才能だ。それを習慣にするまでが本当に大変で、その部分がボクサーを育てる最初の要となり、これが結構デリケートで難しい。
ボクシングの才能があっても、すぐに放り投げる者もいっぱいいたし、執念でしがみつく才能を発揮した者もいるので、最初の段階でしっかり見極め指導しないと、私が各々の才能を潰しかねないと自戒している。
──会長であれば母親のような包容力と、時に父親のように突き放して胸を貸す存在であったりする必要があろうかと思うが、距離の取り方は?
リングでチーフセコンドに入る場合、距離は全く考えていない。結局、リングの中では選手の命を預かっている。私のタオルで決まる。入れるタオルのタイミングを間違えると、選手生命を潰してしまう。じっくり見ていればタオルを入れずに逆転する場合もあるので、距離感というよりも精神面やハートの部分でどこまでつながっているかということが要となる。
そうであれば、ボクサーも歯を食いしばって頑張ってくれる。私の本気度が重要と思う。
セコンドで出る言葉は、選手との信頼関係がないと究極の極限状況では耳に入らないものだ。
私もリングで一緒に戦っているので彼らの負けは自分の負けだと思うぐらい、本気で向かっているので、彼らも私を本気で受け止めてくれる。
今はこんな格好しているが、リングではジャージ着て、全然違う人間になる。
周りからは豹変したみたいに言われる。
──ピューマの豹変?
プロである限り、練習はどんな人でもやるのは当たり前。そこに大差はない。あとは頑張る気持ちだったり、才能だったり、いろいろなものがある。そこからの差というのは、日々の食事や身体のメンテナンス、環境、実はそこがとても重要だ。
ボクサーにとって最後の難関となる減量は、食べないで体重を落とせばいいわけじゃない。それだと、ただのダイエットでしかない。
戦える肉体を創りながら絞るのが減量だ。
なのでダイエットではない減量について、私はとことん、追求した。
──幻冬舎から「餃子ダイエット」の著作も出している。
そうだ。
体重を落とせと言えば、彼らは5キロぐらいは簡単に落とせる。
──1日で?
いや3時間で落とす。プロなので。
ただ落とすだけだったら、水抜きをする。彼らにとってその気になれば難しい作業ではない。
ただ戦える肉体と戦える筋肉と、パワーを残しながらの5キロ減量というのは最低限の時間が必要となる。
──どの位?
彼らは常日頃から暴飲暴食しないので、最終的には10日間で7キロぐらい。それまではある程度まで、しぼりつつ練習量で落としていく。それでも私は食べるのを止めさせることはない。
だからみんな地獄だといっている。食べないで落とす方がよほど楽だからだ。
食べさせながら落とすというのは、その分練習がめちゃくちゃハードになる。
精神がちょっとでもぶれていると、そこでくじけてしまう。それをふるいにかける。
そうでなければリングには上げない。うちはプロの人数も少ないし、頻繁に試合をやっているかといえば基準をクリアしない限りマッチメイクをしないので、他所のジムよりかなり厳しいかと思う。
ただ20年間、事故は一度も出していない。
──これまでリングにタオルを投げ入れたことは。
過去にタオルと入れたことは一度だけある。
それは減量に負けたボクサーで、才能に恵まれた若い18歳のエリートボクサーだった。
その彼が、プロに転向して減量が全くできなくなって、うちが預かって体重を作っていったが、挫折して前日計量で体重オーバー、試合では戦う本能というか、体よりもメンタルの火が見えなかった。
それでタオルを入れた。
──最初から入れた?
チケットを買っていただくお客様あっての興行なので、それはありえない。
戦っている中で、ボクサーというのは打たれても打たれても、実は意識さえない中で戦っているボクサーもいる。パンチが効いてしまっているが本能の中で手は出る。
彼の場合特殊なパターンで、戦う体はあるけれど、戦う心の火が消えていたので、とても危険だった。闘争本能がないわけだから。
そうした時にパンチをもらうと、気持ちが入ってない分、死に至る場合もある。
これは直感的な本能だ。今止めないと危ない。その時に初めてタオルを入れた。
20年の中で一度だけだ。
──本能で入れたわけだが、その感性はどう磨かれるものなのか?
彼らと日々、一分一秒で生きている。リングの上の3分というのは、私たちにとってはたったの3分ではない。
リングの一分一秒は、人生がひっくり返る一秒になる。常に練習のスパーリングも試合も、全部、その一秒の中で研ぎ澄まされて、こちらも戦っている。それは自然に身に付いたものなのか、感覚の世界なので言葉にするのは難しいが、私も一秒一秒を生きているので、だからきっと時間に対してシビアになったのだと思う。
一般の方の3分と、私の考える3分は全然違うのじゃないかなと思う。
──リングの上は、剃刀の上を歩くような生死をわけた世界だから。
絶対に判断を間違えることは許されない。
体調も崩せないし、私も万全なメンタルで一緒にリングに上がらないと、そこで判断を誤ることはできない。
同じように戦っている。
──そういう姿勢だからこそ一体感が出てきて、選手からも信頼される。
本気であれば、その本気度に対して選手はついてくる。
ただ、あまりに感情移入してしまうと冷静に見れない部分が出てきてしまって、一方では選手との距離感も大事になる。
だから合宿があると、寝食共にして、あんまりべったりしすぎてしまうと判断を見誤るリスクが発生する。
うちの場合はキャンプも1人1部屋。相撲取りの大部屋のような、みんな一緒の部屋と言うのは、絶対しない。
そうした距離感を取る。もちろん、みんなで一緒にご飯は食べるが、寝る時などマイタイムの時間をしっかり確保しないと、近づきしすぎると今度は情が入ってしまって、タオルと入れるタイミングも判断もずれてくる。
そういう部分は一線を引いている。そこは絶対入らない、相手のテリトリーだ。
家族みたいではあっても、個々のその部分は尊重もするし、その部分には踏み込まない。
相撲の場合は、15日間、毎日場所があるから切り替えができると思うが、ボクシングの場合は、その一敗が引退にもつながる選手生命がかかっている。
とぐち さとみ
千葉県立印旛高等学校卒業後、プロボクサーになって間もない渡久地隆人(後のピューマ渡久地)氏と知り合う。
1993年8月5日入籍。渡久地引退後、都内に「ピューマ渡久地ボクシングジム」を立ち上げるが2006年に離婚。その後、渡久地は故郷の沖縄に帰って療養。残されたジム会長に就任して選手を育成、現在、コブラ諏訪、デスティノ・ジャパンなど3人のプロボクサーが在籍する。一般練習生の方々がメインのジムとなっている。