沖縄銀行糾弾第6弾 本誌特報取材班

沖縄銀行は創業精神に戻れ

稲嶺一郎氏らが設立リード
沖縄銀行が設立されたのは、1956年6月のことだった。

実に66年もの歳月を経て、今日の沖縄銀行に至っている。

設立をリードしたのは、琉球石油創業者の稲嶺一郎氏や國場組創業者の國場幸太郎氏、それに大城組創業者の大城鎌吉氏、琉球煙草・宮古製糖社長の宮城仁四郎氏ら地元財界実力者だった。

多くは一代で財をなした創業者らが、メインになっているメンバーだ。銀行作りに奔走した彼らに共通していた意識は、単に自社の利益に供するためというエゴではなく、悲惨な歴史を持つ沖縄全体の復興を願った公益目的に他ならなかった。無論、沖縄経済のパイが大きくなれば自社もその恩恵にあずかれるようになるというのはあっただろう。だが第一に公、次に私という順番を間違えるような人々ではなかった。

金融は地域共同体の心臓だ。酸素と栄養が必要な組織に昼夜問わず、それを送り込むのが心臓という臓器だ。銀行もお金という経済社会の血液を、個人や企業に送り込む機能を持つ。

人や企業、国・自治体は、お金の流れが止まれば活動停止を迫られる。まさに、銀行は地域共同体の心臓としての役割を担って脈打っている、なくてはかなわぬものだ。

「債務の罠」
ただ今、「債務の罠」が言われるような時代になった。

ユーラシア大陸の東西を海路と陸路で結ぶ中国の一帯一路構想によるインフラ

整備事業で、中国は実利性のないプロジェクトに巨額の資金を貸し付け、債務返済が滞ると港湾や事業体そのものを担保物件として取り上げてしまうというものだ。

これによりスリランカは同国南端のハンバントタ港を99年間、中国に獲られてしまった。

インド洋の要衝であるハンバントタ港は、中国にとって中東の石油を中国に運ぶシーレーン防衛の要石になろうとしている。

中国の大盤振る舞い貸し付けは、相手国の経済発展を願ったものではなく、廉価な海外基地を設けるための詐取行為だったとすれば、まさしく「債務の罠」という金融トラップということになる。

暗黒の落とし穴 
歴史と伝統のある沖銀が、「債務の罠」を仕掛けているといいたいのではない。

ただ、結果から見ると、「債務の罠」的思惑が潜んでいるとの疑いが脳裏から離れない。

沖縄銀行は取引項目をポイント化し、そのポイントの合計数に応じたステージごとにさまざまな特典を付け顧客の囲い込みを図っている。特典ステージは『ホップステージ』『ステップステージ』『ジャンプステージ』の3段階。

だが、ジャンプの次のゴールには、暗黒の落とし穴があるようではたまらない。

別に沖縄銀行の営業活動を茶化すつもりは一切ない。

ただ、これまでの仕打ちをみると、そう勘繰りたくもなる心情をご理解いただきたい。

仕打ちの内容は、これまでの連載で逐一、報告してきた。

成長の芽伸ばしてこそ
「エビで鯛を釣る」との言葉がある。久米仙酒造㈱が鯛だとは言わないが、せめて普通の青魚ではあろう。 

中国進出でとん挫したことで資金難に陥り、出資要請を受け入れた下地常雄氏が久米仙酒造の全株式を創業家から引き継いだのは、平成21年のことだった。

当時の久米仙酒造の年間売り上げは、約5億円、近年は倍の10億円規模にまで成長している。

まもなく3年となる厳しいコロナ禍でも、生き残り策を講じ徹底した業務改善や新市場拡大に動き、他産業が委縮を余儀なくされる中、売り上げ増を果たし往年の赤字体質から脱却し、大きく成長軌道への道を担保している。

また、今年度、那覇空港へも「業界初」となる直営店を出店し、新たなる市場開拓に着手している。

そうした成長の芽を伸ばしてこそ、未来は開けていくし地域の産業力は底力を持つようにもなる。

それを債務者の犠牲の上に利益をたたき出すことのみを追求するような現実があれば、それは岸田新政権が看板に掲げる「新しい資本主義」にも反した行為でしかない。「新しい資本主義」は新自由主義による弱肉強食のジャングル型経済を否定するものだ。

銀行が地域経済活性化のための最大のパワー源であることに誰も異論を唱えることはない。それだけ公的な役割を担っているということだ。

健全な銀行があってこそ、地域は活性化の一本道を驀進できる。

66年前の沖縄銀行創業時の魂を、呼び戻して欲しいと願っている。

次号に続く