ペマ・ギャルポのアジア時評

世界の常識と日本の常識
国葬をめぐって思うこと

世界の常識と日本の常識が異なることについてはこれまでも色々と言われてきた。私も、そのことについては日頃から気になっていた。特に今回、安倍元首相の国葬に対する日本人の一部の動向ではそれを痛感している。

日本は、自由な国であり、反対する人が居てもおかしくはない。しかし、今回の国葬に対しては、日頃から何でも反対する人たちと違って、本来ならば、もう少し常識を持っているはずの国会議員やメディアの動向が世界の常識とあまりにもかけ離れているように思った。

中立・公正であるはずのメディアが、国葬反対を煽るような報道に異常とも言えるような姿勢を見せた。さらに、国会議員や地方自治体の長たる知事3名が国葬欠席を英雄気取りで公言していることは、彼らが国の行政と立法機関の主要な地位にいることの自覚が全くないように思える。

特に、知事たちの行為は理解に苦しむ。なぜなら行政のトップである内閣総理大臣、並びに閣議の決定事項に真正面から逆らうということは、行政機関の一員としてあるべき姿だとは私は思わないからである。

立憲民主党の幹部たちや野党の一部が欠席することを得意げに報道機関へ語っているのを見て、私は「これでは日本において二大政党が育たないのは当然だ」と思った。

普通、二大政党による健全な政権交代ができる国々においては、外交と防衛という国の存亡に関わるような重大事項に関しては大きな隔たりがなく、多少の政策実行にあたっての相違があっても、国民が安心できるような立場を取っているからである。

例えば、アメリカ合衆国においては、共和党のトランプと民主党のバイデンの間でも、対中・対露などの脅威に関しては同じような防衛・外交認識を共有している。だから、国民は、安心して政権交代を望めるのである。今回の動向を見ている限り、私は、日本で大きな政権交代をできるような野党が出現しなくとも不思議ではないと思った。

1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災を通して、日本人は、礼節を重んじ公共心が強く思いやりに溢れた民族であるということで世界中に良い印象を与えた。日本人は、混乱の時期においても冷静沈着に行動し、その民度の高さには多くの人たちが感銘を受けた。

さらに、国内外でのスポーツ観戦や大きな集会の場においても、日本人は粛々とゴミなどを拾って持ち帰り、他の国々の模範となった。私も、1人の帰化日本人としてこのような日本人を誇りに思った。

だが、今回、国葬に関する一部の日本人の振る舞いは、今までの日本に対する良い印象をひどく傷つけたと私は思う。例えば、日本政府が今回の国葬に関し、「服喪を強制しない」などという説明をすること自体がある意味で異常であり、他の国々がそのような言い訳がましいことをするのを見たことがない。国葬に値する偉大な人物に対して、敬意を表するのは人間として当たり前の行為である。例えば、英国のエリザベス二世女王陛下の国葬をめぐって、そのような声は聞こえてこない。

野党の一部やメディアだけではなく、元議員や芸能人などが「招待を受けたが自分は出席しない」ということをわざわざメディアを通して声高に言っていることも私には理解できない。出席しないのは個人の自由であり、また自分が招待されるのに相応しくないと思えば黙って欠席すれば良いことであって、彼らの行動は、私にはある種の売名行為にすら映る。

冒頭で申し上げたとおり、日頃から主義主張上、国葬に納得いかない人が現れることは、ある意味で予測できることであるし、また当然かもしれない。ただ、日頃から彼らが、平和主義を気取り、テロ行為を否定するならば、今回、安倍元首相がテロリストによって暗殺されたという事実と、少なくとも8年8カ月・総理大臣の要職を全うし、国内の安定と発展に寄与したのみならず、日本の存在感を世界に示し、日本が初めてその国力に相応しい責任を果たしたことの事実を認める勇気と素直さを持ってほしいものである。

安倍元首相の偉業に関しては、今更、私が改めて申し述べる必要もなく、世界中からご遺族と日本国政府に対し送られてきた弔電や談話が十分に物語っている。ロシアによるウクライナへの侵略や日本の周辺にぶち込まれてきている北朝鮮や中国のミサイルが示しているように世界情勢は極めて激動しており、この大きな危機を乗り越えるために現実を素直に見つめ、それにどう対処するかを自称平和主義者たちもまた野党の方々も真剣に考えるべきではないだろうか。

聞くところによると、「もし国葬が行われたら私は中国へ移住する」とおっしゃっている方も居られるようだが、そのような方々は是非とも中国へ移住し、自由と民主主義・人権のために闘ってほしい。そのとき初めて、民主主義とは身勝手主義ではないと身をもって悟ることだろう。日本が良い国になるためにはまず普通の国になることである。自国の平和と安定、そして世界平和は、卓越した指導者と国民としての自覚を持った人々によって支えられ維持できるものであることに覚醒し、これからの荒波を乗り越えていくことが急務であるように思う。