日本経営者同友会会長 下地常雄氏に聞く

沖縄の基地問題を考える

賛成派・反対派双方の意見を聞き議論するのが民主主義だ

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画を巡る代執行訴訟で、最高裁第は沖縄県の上告を退ける決定をした。これにより県側敗訴とした高裁判決が確定し、県は工事を停止させる法的な手立てを失った。それでも玉城沖縄県知事は「移設反対は沖縄県民の総意」とし、執拗に反対を続けている。こうした不毛な政治風土を解消し、長年の課題である基地問題にどう決着をつけるべきか、沖縄・宮古島出身の下地常雄・日本経営者同友会会長に聞いた。下地会長はASEAN協会理事など各方面で精力的に活躍している。

高まる沖縄の地政学的重要性

──ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルとイスラム過激集団ハマスの確執で国際的な関心は欧州や中東に奪われがちだが、米国がアジア太平洋を最重要地域と位置づけている基本戦略の変更はない。

【下地】その意味でも西太平洋の最大の米軍基地がある沖縄の地政学的重要性は高まるばかりだ。

──基地問題では過去、日米間でこじれたこともあった。

【下地】歴史を回顧すれば民主党政権時代、鳩山由紀夫元首相が普天間飛行場移設に関し「最低でも県外」との公約を果たせなかったことが大きかった。
基地問題をこじらせ日米関係に不信の溝を広げただけでなく、沖縄県民の政府に対する不信感も増幅させてしまった。
鳩山元首相は普天間飛行場を鹿児島県徳之島へ移設する県外移設案で乗り切ろうとしたものの、米国は地元の了解を取り付けられないままでは駄目だと拒否された経緯があるが、まずその基本姿勢に誤りがあった。鳩山元首相は、地元に諮ることなく頭越しで、米国の了解を取り付けようとして失敗した。さらに、徳之島の島を挙げた反対運動で同案破棄へダメ押しされた格好だ。
今の時代、国が決めた安全保障政策を地元に一方的に申し渡す上から目線の姿勢では成功しない。
ただ沖縄住民の姿勢も問題なしとはいえない。
基地反対というけれども、賛成するかどうかは別として、基地に依存して生活している観点からものを言う人が誰もいないというのはおかしい。
基地がなくなれば失業する人たちが出てくる。そうした人々のための雇用確保といった失業者対策や景気振興策など、地域の経済も考えないとバランスを欠く。そうした失業者に還元するための予算ではないのが現実だ。これまでこういった議論を全くしてこなかった。ただ基地反対というスローガンだけが先行する反対のための反対に過ぎない側面があったことは反省しないといけない。
例えば、米軍の町だったコザ市も、今では米軍撤退でスラムみたいに変わり果てている。基地に依存してきた人たちは、商売上がったりだ。

戦争被害者意識から脱皮を

──敗戦から今日まで、沖縄は過去の傷を負ったままだったともいえる。

【下地】いつまでも戦争の被害者意識を持ち続けるのは問題だ。そうしたマイナス感情をずーっと引きずり続けて、良いことは一つもない。そろそろ卒業しないと、最終的には負け犬になってしまいかねない。
沖縄では他人が偉くなるのを嫌う。「隣に蔵が建つと、わしゃ腹が立つ」といった具合だ。しかも、こうした貧しい心象風景は、社会の発展や進化を期待できるプラス要素すらも排除してしまう危険性がある。
私の出身地は宮古島だが、米軍基地候補として何でもろ手をあげて誘致しないのかと思う。企業誘致とすれば、これほど条件のいい誘致はないはずだ。
まず、この時代、米軍に戦争を仕掛ける国はない。むしろ、カウンター力としての基地があることで、戦争リスクが減ることも考えられる。
基地反対論者の中に、犯罪が起きるという懸念も根強いものがある。しかし、何千人という駐留兵士が生活すれば、たまに犯罪が発生するのは当たり前のことだ。それでも町ができ、多様な人々の交流によって醸成される文化が生まれ、市の活性化には大いに貢献すると思う。

──沖縄ではずっと、駐留米軍の違法行為に神経を尖らせてきた経緯がある。

【下地】犯罪の問題だが、日米地位協定に対する基本的な誤解があるように思う。この協定は、そもそも「日本と米国の地位」を定めたものではなく、「在日米軍が日本でどういった法的地位にあるか」を定めたものだ。多くの人々は、在日米軍が優越的特権を持っていると思っているがそうではない。
ともあれ普通だったら賛成、反対の双方の意見があるものだ。
しかし、沖縄では基地に賛成と言えば、悪人みたいに扱われる「空気の圧力」が厳然として存在する。反対だろうが賛成だろうが、自由に意見を述べられるようになることが必要だ。
この点、マスコミはこうしたことを扇動した〝戦犯〟だ。
賛成派と反対派が冷静に議論できるのが、民主主義国家のいい所だ。専制国家ではそうはいかず、上意下達の世界だ。マスコミは賛成派の意見も聞く責任があると思う。個別に会えば、賛成という意見の人も少なからずいる。
基地問題というのは、沖縄の人にとって見れば大きな問題だけれど、米国にしたら普天間の一部の基地移転など、正直、小さな問題だ。
これは日本のマスコミが悪い。一部に過ぎない局部をことさら肥大化させて描く春画にも似た針小棒大主義の扇動的報道姿勢こそが問われるべきだろう。
それに外務省だ。日本政府が移転費から宿舎の建設費まで、全部負担する。そうした資金を全部出した上で、いかがでしょうかとお伺いを立てるというのも何とも不甲斐ない話だと思う。
いやならうちはやらないよと、筋道立ててビシッとものが言える政治家が必要だと思う。これは米国のためにも良いことだと思う。

代替基地確保へサイパンに

──戦後の沖縄の自縄自縛的な政治風土は変えないといけない。

【下地】ともかく、沖縄では何かことを起こそうとすると、どういうわけか、まず反対から入ろうとする。
昔、普天間飛行場の代替基地候補として名護市の意見を求めても、全員反対だった。
私の気持ちとしては、何とか宮古島に来て欲しいと思っていた。
島の経済の活性化をいうなら、これほどの最高条件での企業誘致はない。何千億円ものキャッシュが転がり込むだけでなく、こちら側からいろんな条件が言える立場だ。しかし、関係者を訪ねても、誰も首を縦に振ろうとしなかった。
それでやむなく、2011年2月にサイパンに飛び、米自治領北マリアナ諸島のフィティアル知事と会って、基地受け入れを了解してもらう交渉に入った。
社民党の阿部知子政審会長(当時)や国民新党の下地幹郎政調会長(当時)らもサイパン入りし、フィティアル知事から米軍普天間飛行場の同諸島への移設を受け入れる意向を引き出したのはマスコミが報じた通りだ。フィティアル知事は米政府の認可を条件としながら、「航空、陸上、後方支援の部隊を含む普天間基地すべての役割を将来は代替してもいい」とコメントしている。
また、テニアン市長からテニアン経済顧問の依頼を受けたので快諾した。

──過去、沖縄に心血を注いだ大物政治家は何人もいた。

【下地】まずは1947年、戦後初めて沖縄人連盟を代表して沖縄を訪問し、沖縄県民から大歓迎を受けた稲嶺一郎氏は生涯、沖縄復興に全力を尽くし、沖縄保守勢力の中心軸として活躍された。元首相の小渕恵三氏も沖縄への思い入れは深いものがあるが、学生時代、稲嶺一郎氏の東京の家に下宿していて、多分に稲嶺氏から薫陶をうけたと理解できる。
なお、初代沖縄開発庁長官を務めたのは、命惜しまぬ鹿児島の侍である山中貞則氏だった。薩摩藩による琉球侵攻の歴史について「鹿児島の人間として知らぬ顔で過ごすことはできない」として、祖国復帰に大車輪の働きをした後、山中氏は本島と比べ様々な格差がある島ちゃび(離島苦)の克服に尽力した経緯がある。山中氏は2003年12月に、初めて名誉沖縄県民となり、沖縄の羅針盤として期待されていたが3カ月後、逝去した。
その山中氏の後継者として、下地幹郎元内閣府特命担当大臣(防災)がいる。山中氏の弟子のような立場だ。
米軍普天間飛行場返還合意を米国から取り付けたのは、「沖縄は内閣の最重要課題だ」として政権の総力を挙げて取り組んだ橋本龍太郎元首相だった。その橋本政権時代、官房長官・沖縄担当大臣だった梶山静六氏は、「沖縄が私の死に場所だ」とその覚悟を語ったほど沖縄への思い入れには深いものがあった。
今の政治家に、こうした仰ぎ見る峰々を構築する人間山脈に、心情において繋がる人物が乏しいことこそが、我が国の政治の貧困を招いている元凶でもある。
二世議員が跳梁跋扈する今の永田町では、そつなく丸くまとまってはいるものの、アジアを俯瞰し歴史を背負って立つダイナミックな政治家が見当たらなくなった。御身可愛さだけで、損得を抜きにして国のために汗を流す「井戸塀政治家」など皆無に等しい。
普天間問題は、こうした現在の薄っぺらな政治家の質を浮き彫りにした側面がある。アジアが歴史的な大潮流に飲み込まれるような時代に入った現在、大局観のあるダイナミックな政治家が現れることを期待したい。

しもじ つねお

1944年、台湾生まれ。宮古島育ちの沖縄出身で歴代米大統領に最も接近した国際人。77年に日本経営者同友会設立。レーガン大統領からバイデン大統領までの米国歴代大統領やブータン王国首相、北マリアナ諸島サイパン知事やテニアン市長などとも親交が深い国際人。93年からASEAN協会代表理事に就任。テニアン経済顧問、レーガン大統領記念館の国際委員も務める。また2009年、モンゴル政府から友好勲章(ナイラムダルメダル)を受章。東南アジア諸国の首脳とも幅広い人脈を持ち活躍している。