書評

「戦争にチャンスを与えよ」

エドワード・ルトワック著

独と対峙した英国の忍耐力に学べ

「戦争にチャンスを与えよ」

 安倍首相の知恵袋とされるルトワック氏だが、論旨は明快だ。

 東アジアで最悪の組み合わせは、あいまいな日本と誤解する中国だという。

 日本のあいまいさが中国の誤解の余地をさらに広げる。これこそが日中間最大の懸念材料という著者の主張もうなずける。具体的に日本はどうするのかとの問題に、ルトワック氏はきっぱり言う。

 尖閣に武装人員を常駐させること。

 名目は環境保護でもなんでもいい。具体的には海洋保護調査団やサンゴ礁・漁業保護調査団といった恰好だ。大事なのは、「尖閣を守る」という明確なメッセージを中国政府に伝えることだ。

 そしてこの時、必ず武装することだという。これであいまいさを排除できる。「戦争にチャンスを与える」姿勢を示すことで、逆に戦争を押さえ込むパワーになるというのだ。

 これは普通の大国には不適切かもしれない、だが中国は普通の大国ではなく、極めて特殊な大国という認識がある。

 とりわけ著者が強調するのが、第二次世界大戦でドイツと対峙した英国の忍耐力だ。まず英国が考えたことは「帝国的なドイツを破壊すべきだ」ということだった。具体的には同盟づくりに専念した。米は野蛮で厄介な独立主義者だった。それでも英国の選択は「絶対、米を離さない」という生き残りにかけた執念だった。米のひどい仕打ちにじっと耐えながら、何があっても米英同盟を解消しないという覚悟があった。さらにフランスとの関係改善に動き、ドイツ包囲網を構築に動いたのだ。我が国に問われているのも、こうした姿勢だという。

 中国にとって日本は「便利な敵」だ。国内の不満をそらすために、いつ対外的な冒険主義に出るか分からない。中国の「核心的利益」は台湾、チベット、ウイグル、南シナ海があるが、「核心中の核心」は共産党独裁政権の維持にある。核心的利益とは、戦争をしてでも守るべき利益だ。

 さらに著者は、戦争の持つイノベイション喚起力に注目する。

 1914年から1945年までの第一次世界大戦の開始から第二次世界大戦の終結まで30年間に、欧州は戦争の惨禍を被った。だがこの時期に、ジェットエンジン、航空機、弾道ミサイル、電子産業、通信技術など、現在も使われているテクノロジーの大部分が生み出された。核兵器も欧州が生んだ技術だ。

 戦争は創造性を啓発するというのが、著者の持論でもある。(文春新書 本体800円+税)

「世界地図を読み直す」協力と均衡の地政学

北岡伸一著

協力は「自由と法の支配」型で

「世界地図を読み直す」協力と均衡の地政学

 学問のタコ壺化は政治学も同じだ。

 専門化、細分化、理論化の結果、政治学はどんどん全体性を失いつつある。要は現場で役に立たない学問に成り下がっている傾向がある。

 その点、学者でありながら、JICA(国際協力機構)理事長として世界を歩き、冷徹な学者の目で対象国へ視線を投げかけながら、同時に対象国との協力関係をどう構築するか業務としての視点もそこに重ねている。こうした行動する知性が本書にはほとばしりでている。

 日本は非西洋から近代化した最初で最高の成功例だ。ODA(政府開発援助)においても最も成功した国でもある。日本が協力した東アジアの国々は、1950年代にはサハラ砂漠以南のアフリカと同レベルの経済だった。西洋が支援したアフリカ諸国に比べ、著しく発展した。著者の持論は、日本こそが開発学の本場であるべきだというものだ。

 JICA事業の目的は、信頼で世界をつなぐというものだ。当然、日本の援助形態は、西洋とは違うアプローチとなる。上から目線ではなく相手国の立場にたって、何が途上国の利益になるか 一緒に考え実行する。国際協力機構の名前通り、援助や支援よりも「協力」志向に特徴がある。根底には相互信頼なくして、本当の絆は生まれず、絆かくして相互発展もないからだ。

 中国はアフリカなど第3世界から、優れた若者を招く留学生誘致に力を入れてきた。しかし、中国で学べないことがある。自由と民主主義、法の支配がそれだ。

 それを日本で学ぶ。それが日本の広義の安全保障になるし国益となると著者は強調する。「自由で開かれたインド太平洋構想」は、インフラのみならず信頼関係の構築、人づくり、自由と法の支配であるべきだと説く著者の主張は正論だ。

 ただ、この地域には非民主的な国々が少なくない。カンボジアは昨年の総選挙を前に野党を解散させ、有力メディアを廃刊に追い込んだ。

 それでも日本は援助を削減するようなことはしなかった。確かに批判しないことで、日本に対する世界の信頼が傷つく可能性はあった。だが批判することでカンボジア国民の親日感情が傷つく可能性もあった。何より中国寄りになる可能性が高かった。

 総合的判断として、協力継続で長期的な変化を待つことにしたのだ。本書の魅力は、世界を俯瞰する視野の広さと覇権が絡んだ地政学の視座を入れている点だ。(新潮選書 本体1300円+税) 

「佐々井秀嶺、インドに笑う」

白石あづさ著

カリスマ性を笑いで中和

「佐々井秀嶺、インドに笑う」

 副題の「世界が驚くニッポンのお坊さん」とは、放蕩の限りを尽くし何度も自殺しようとした上で、仏門を叩いた佐々井秀嶺氏のことをいう。だが自殺を思いとどまり、一切を捨てて僧侶になろうとしたが、その寺にすら救いはなかった。田んぼの泥水をすすって求道している人物に、僧侶は学歴がないと相手にしなかった。しかも、その僧侶は、出家修行の場で歌番組に興じていた。

 放蕩の末に与太者になった話はごまんとあるが、佐々井氏は生き地獄から這い上がり、平和を願うだけの仏教ではなく、民衆救済のために力を尽くす実践仏教の道を進んだ。あの世での成仏を祈念するのではなく、この世に天国を築くことこそ僧侶の役目だと法然を批判した日蓮にも似て、庶民の役に立つ橋などの建設に尽力した行基やため池を作った空海のようでもあった。

 本書はそうした佐々井氏の、波乱万丈の生きざまを詳細に記している。何せ無一文のままインド中部のナグプールに降り立った一介の日本人僧侶が、1つも寺がなかったナグプールに寺を200以上建て、僧侶も随分と増やし、佐々井氏が直接、立ち会った仏教への改宗者が100万人となったのだ。

 その佐々井氏が帰国した折、神田でお会いしたことがある。300円で買ったという「西遊記」をホテルで読んでいた。紙はぼろぼろで、和書のような糸で綴じた講談本だった。普通の人だったら、西遊記を読む場合、文庫本を入手するだろうが佐々井氏は、多分、そんなものには飽き足らず、もっとハートに迫るものが欲しかった模様だ。

 著者の白石さんは、「龍笑」と佐々井氏から名前をもらう。佐々井氏は、笑顔で近づくインド人刺客と何度も遭遇している。だが白石さんの腹から笑い転げる乙女の笑いは、インドであまたのコブラが鎌首をもたげた樹海の中を「サイの角」のように、1人黙々と進んできた佐々井氏にしてみれば、心底、ホッとできる憩いの時間でもあった。

 そうして結ばれた信頼と心情の絆が、あったればこそ本書は産み落とされた。それがなければ、通り一遍の仏教者のオーラルヒストリーに終わっていただろう。

 佐々井氏の本音と人となりを見事に引き出した著者も、なかなかのものだ。

 本音で生きている規格外の人物というのは、カリスマ的な引力を持つ。その引力を「龍笑」の笑いという遠心力で中和させながら書き上げた浮遊感が本書の魅力だ。(講談社 本体1750円+税)