受け継ぎたい安倍レガシー

対中戦略では外交リード

国づくりの基礎築く

日本の憲政史上最長の3188日という首相の在任期間を記録した安倍晋三元首相(67)が、参院選での街頭演説の最中、凶弾に倒れた。その死を惜しむ多数の声が国内外から寄せられ、9月27日の国葬儀は盛大に行われた。安倍氏が新しい国づくりの基礎を築き、世界をリードしてきた業績は非常に大きく、受け継ぐべきレガシー(遺産)は多い。

安倍政治の根幹をなすのは、戦後レジームから脱却し新しい国づくりをするという「志」と、「闘う政治家」として妥協を許さない覚悟ある政治姿勢だろう。「ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家、即ち『闘う政治家』でありたいと願っている」と語り、「自ら反みて縮くんば千万人といえども吾ゆかん」との故事を座右の銘とした。岸田文雄首相が臨時国会の所信表明の中で「政治姿勢」に触れ、「厳しい意見を聞く姿勢にこそ、政治家岸田文雄の原点がある」と語ったが、安倍氏には実現すべき政策の青写真がすでにあり、「至誠にして動かざる者未だ之れ有らざるなり」という強い意志で国民を説得しリードする覚悟があったのである。

安倍氏が第1次政権で真っ先に取り組んだのが、教育の憲法とも言われる教育基本法の改正だ。同法は、GHQ(連合国軍最高総司令部)と米国教育使節団が主導して憲法の施行に先駆けて1947年に制定された。しかし、「教育権」がどこに属するか定めがないため、日本教職員組合(日教組)の不法な活動を激化させ教育現場を大混乱に陥れた。安倍氏は国会採決で強行突破して改正を実現。それにより日教組の教育現場での「不当な支配」を排除するとともに、「国と郷土を愛する」文言を盛り込み愛国心の涵養の重要性を根付かせたのである。「戦後レジームからの脱却」の第一歩がなされた快挙であったと言っていい。

祖父の岸信介元首相が果たせなかった憲法を改正し真の独立国家になるという「志」は安倍氏が政治家になった原点である。左翼・革新からなる護憲勢力との対決で国家の将来を懸けた闘いと位置付けてきた。その第一歩は、2007年5月にこれまた国会で強行突破し憲法改正のための国民投票法を成立させたことだ。

第2次安倍政権では「日本を、取り戻す」を旗印に改憲を訴え続けて国政選挙で連戦連勝し、16年7月の参院選の勝利により「改憲勢力」が衆参両院で改正原案発議に必要な3分の2以上の議席を確保した。翌17年の憲法記念日には「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」とのスケジュールを示した。これには護憲議員らの反発を招き「安倍政権での改憲には反対」との理由で国会での改憲論議がストップしてしまった。安倍氏からすれば、強い反発が出るのは百も承知だったろうが、閣僚が改憲の意向を口にしただけで更迭されるといった時代はすでに過去のものとなり国会で堂々と改憲議論が展開されるレールを敷いた安倍氏の功績は大きい。

また、改憲ができないために国家の安全保障に空白を作ってはならないとの考えの下、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置するなどして検討を進め、2015年9月、平和安全法制(安全保障関連法)を制定し存立危機事態への対処規定を設けるなどして切れ目のない法的基盤を整えた。野党やマスコミは「戦争に巻き込まれる法案」「徴兵制が復活する」などと激しく煽って批判したが、現在、そのすべては根拠のなかったことが明らかになっている。このほか、防衛庁の省への昇格、国家安全保障会議(NSC)の創設、国家安全保障戦略の策定、特定秘密保護法の制定など、次々と整備していった。

外交面では、海外からの高い評価が際立って多い。米上院では安倍氏の功績を称えた決議案が7月20日、全会一致で採択された。上院の7割近くにおよぶ超党派の68人が共同提案者になっていた。決議は安倍氏について「一流の政治家であり、世界における民主主義の不断の擁護者だった」と書かれ、「日本の政治、経済、社会に加え世界の繁栄と安全のために消し去ることができない功績を残した」と称賛。さらに、「自由で開かれたインド太平洋」という2つの大洋をつなぎ合わせるビジョンを打ち出すとともに、アメリカ、日本、オーストラリア、インドの4カ国からなる協力の枠組み『クアッド』を推進した」とし、北朝鮮による拉致問題の解決のためにたゆみない努力を続けたと評価している。

確かにインドを引き込む形で初めて「インド太平洋」という言葉を外交用語として用い、その構想が米国の戦略にも取り入れられた。世界のリーダーが外交・安全保障政策を立案する際、「中国の脅威」を必ず主要軸に据えるようになったのも、安倍氏の対中戦略の成果である。

「戦後レジームからの脱却」は道半ばだが、戦後70年の節目である15年4月、日本の首相として初めて米上下両院合同会議で「希望の同盟へ」をテーマに演説。16年5月の伊勢志摩サミット出席後、安倍氏はオバマ米大統領(当時)とともに広島平和記念公園を訪れ、同12月にはハワイ・真珠湾に両首脳そろって慰霊訪問した。このことが象徴的ではあるが「和解の力」で戦後に区切りをつけたと評価されたのである。

「アベノミクス」を打ち出し「ロケットスタートを切る」として始まった第2次安倍政権の経済政策は、3本の矢からなる積極的な成長戦略を推進し、それまでの円高・株安を円安・株高に流れを大きく変えた。景気の好転による税収増と雇用増大により、正社員の有効求人倍率は1を超えて完全雇用に近い状況を導いた。緩やかながらも戦後2番目の長期の経済成長をもたらしたことも特筆すべき成果だろう。

安倍政治のレガシーを受け継ぎ、志と信念と行動力のある「闘う政治家」の出現こそがいま求められているのではないだろうか。