「食糧は武器」とされる時代 食糧安全保障が肝要に
自民党総務会長
森山裕氏に聞く
ロシアのウクライナ侵攻や上海港のコロナ規制で世界の物流が閉塞状態に陥ったことがあった。とりわけウクライナ産の小麦やトウモロコシなどが制限されたことで、世界の穀物市場は大混乱を強いられた。「食糧は武器」とされる時代、人が生きていく上で不可欠な食糧をどう担保すべきか、高齢化社会を迎えた我が国で農業をどう恒常的に維持すべきなのか、自民党総務会長に就任した森山裕衆議院議員(元農林水産大臣)に聞いた。
──農業政策の重要性をいつも強調しておられますが、こだわりの背景にあるものは?
農業というのは、人が生きていく上で必要不可欠な食を与えてくれるものだ。
その農業を守るため、農業を生業とする経営をどう維持していくか、自然をどう守っていくか、同じ土俵にある課題だと思う。
特筆すべきは、我が国の食糧自給率があまりにも低すぎることだ。
その弱点に対し、しっかり対策を講じることが大事だと思う。
輸入している農産物を国内で全部作るとしたら、今の農地では十分ではない。
今、我が国の農地面積は435万㌶あるが、輸入している農産物を自国で代替するには、その倍の面積が必要になる。結局、食糧自給率を100%にするには、今の3倍の面積の農地が必要になる。山が多い我が国の国土を考慮すると、輸入農産物をすべて自国で代替するということは不可能だ。
結局、必要な農産物をすべて自国生産でまかなうというのは限られた耕地面積をみても無理だから、十分な食糧を担保するには、同盟国、友好国とどう食糧安全保障を結ぶかということが大事だと思う。
「食糧は武器だ」といわれる時代、本腰を入れて取り組まないといけない。
──円安やロシアのウクライナ侵略でトウモロコシや小麦が高騰し、酪農家を直撃している。
小麦は、ウクライナとロシアで世界の30%を作っている。
ロシアは核兵器使用をちらつかせながら、欧米諸国のウクライナ武器支援をけん制したが、核戦争がもし現実になれば、えらい話だ。
ただ我が国の小麦は、ロシア、ウクライナから輸入してなくて、米国とかカナダ、ブラジルからの輸入に頼っているので、その点は安心なのだが、しかし、日本だけよければそれでいいという話にはならない。
──トウモロコシが高騰し、経営を断念する酪農家が続出したというのは、もっぱら円安のせい?
ロシアのウクライナ侵略で世界市場でトウモロコシの供給量ひっ迫の懸念と、運賃上昇と円安がこれに拍車をかけたことで、値段がとんでもなく高騰した。これが酪農家の経営を圧迫したためだ。
──4分の1世紀以上の議員生活だが、政治家として何を指針としているのか。
郷里の誰しもが敬愛する西郷南洲の言葉を、指針としている。
南洲遺訓を少し勉強すると、感銘を受けるのは「政の大体は、文を興し、武を振るい、農を励ます」とこの3つを言っておられる。
「文を興す」とは教育だと思う。「武を振るい」は国土の守りをしっかりするということだろう。私は最後の「農を励ます」という言葉が、非常に重い言葉だと思う。
農業というのは大変な仕事だけれど、その農こそは励まさないといけないものだ。
日本人はご飯を食べる時、まず「頂きます」と言う。これは農家への感謝の言葉だと思う。
それと「ごちそうさまでした」というのも、農家への感謝の言葉だと思う。
こうしたことは、南洲の考え方が生きているものと理解している。
──南洲の生きていた時代は、江戸の末期であり明治の初期だった。当時は日本の主産業が農業を主体とした第一次産業だった時代で、サービス産業がGDP(国内総生産)の7割を占める現在とは違っているのでは?
表面的にはそうかも知れないが、弥生時代から始まったとされる稲作づくりというのは、間違いなく文化として日本人の心に受け継がれていくものを形作った。
そこには隣人への思いやりとか、惻隠の情といった日本の心という形で昇華されもした。
そうしたことを考えると農業を守り励ますというのは、単に農村の仕事を維持していくということではなく、古来から綿々と受け継がれてきた日本人の心と文化を守り続ける作業でもある。
何より農家は大体、長男は後継ぎとして農業を受け継ぐ伝統があった。それは命を守る仕事だからということだったと思う。
──森山議員は長男だった?
そうだ。後継ぎの長男だった。
それでも私は、農業から逃げた。
議員歴25年の表彰時にも、国会でその話をした。
この時、私は昭和20年4月8日、鹿児島が大空襲を受けた日に鹿児島県鹿屋市の防空壕の中で生まれたこと、実家は農業と新聞販売店を営み、小中学生の頃は朝6時から眠い目をこすり、桜島に一礼をし自転車で新聞配達をする毎日だったこと、中学校卒業後、辛い農業はやりたくないと思い鹿児島市の会社に就職したことを話した。
昭和36年ごろの話だが、当時の農業は実にきつかった。
それが嫌だった。
──それで背を向けた?
結局、田舎から逃げて鹿児島で昼間に仕事をし夜間高校に通った。
──普通は格好つけて、大志があったからとかごまかすのだけれど、「逃げた」というのは率直な言葉だと思う。
だから、汗水を流して田畑を耕し家畜を育て国を支えている農業から逃げた私は、いつか恩返しをしないといけない政治家として、その奮闘に応えなければならないとずっと思ってきた。
──どう、日本の農業を盛り立てていくことができるのか?
私はTPP(環太平洋連携協定)にずっとかかわってきた。
一番心配したのは、我々が野党の時に出されていた「例外なき関税撤廃のTPP」だ。それを断行すれば日本の農業は持たない。
──それはコメの部分?
そうだ。畜産を含めコメ等となる。
だから、反対していた。
政権が代わって、安倍首相(当時)がオバマ米大統領(当時)と会談し、関税は話し合いで決めようということに変わった。
それで「例外なき関税撤廃」ということで反対していた我々だったので、話し合いで決めるのならやればいいじゃないかとなった。それで参加して、話し合いをしてきた。
日本の農畜産物は、外国で高く評価されている。
なぜかというと、日本の農業は家族経営が主で、米国みたいに経営者がいて農業従事者が雇われているという関係ではない。家族みんなが一緒にやって、ある一族が一緒にやる。もしくは地域住民が一緒になって田植えをするとか、刈り取りをするという文化だ。
そういう意味で、我が国の農業というのは知的レベルが高いと思う。
世界の農業従事者を集めて学科試験をすると、間違いなくずば抜けて日本はいいだろう。
そうした知的レベルの高さがあったから、農産物や畜産において生産履歴の分かるものが作れるようになったのだと思う。
今、和牛が世界的に評価されている。
それを担保しているのは、戸籍がしっかりしていることが大きい。
牛肉の祖父・祖母はどの牛、もちろん父母となる親牛も分かるだけでなく、ずっと先祖をさかのぼって分かるから血統がしっかりしている。どの血統が、どの肉質になるとかいうのが分かる。
これが日本の畜産が評価される原点になっている。
──海外はそういうことをしない?
放牧だから、基本的にできない。
全然違う。
──放牧では人為的な種付けはしないということ?
そうだ。
人工授精は少しあるのかもしれないが、少ないと思う。
──和牛は遺伝子レベルで身分証明書があるということ?
そうだ。全和牛がそれぞれの番号を持っている。
──それは、松阪牛とか特殊なブランド牛だけでは?
そんなことはない。すべての和牛がそうだ。
──それは驚きだ。
京都大学農学部教授だった羽部義孝氏(故人)が努力して、全和牛が戸籍登録されるようになった。
和牛の戸籍登録事業は、和牛を大事な資源として確保していくとともに、個体の能力や特徴を把握し、その能力を的確に活用していくことにつながる。
そのため和牛の登記・登録にあたっては、1頭1頭、書類等による血統の確認と鼻紋による個体の確認を行っている。
そういう意味で和牛というのは、大したものだ。
だからどこの種牛が一番人気があるかとかも、全部分かるようになっている。
和牛の生産では人工授精が一般的で、1頭の雄牛が数千〜数万頭の雌牛に交配され、和牛生産に与える種雄牛の影響力が大きいことから、雄牛は能力の高いものを選抜することが極めて重要となる。
──遺伝子レベルで分かっているということは、未来も保証されるということになるのか?
そうだ。
過去は未来を作り出すカギを握っている。
昔から存在する遺伝子を、どの遺伝子と組み合わせると、どういった牛ができるかというのが大事なことだ。
全国の和牛王座を決定する〝和牛のオリンピック〟といわれる「全国和牛能力共進会」がある。そこで注目されるのは一番人気の種牛はどの牛かということだ。
ちなみに、昨年10月に開催された〝和牛オリンピック〟では、鹿児島県は、県内各地から予選を勝ち抜いた24頭を出品。全9部門のうち、6部門で1位(農林水産大臣賞)となり、牛の体格を評価する「種牛の部」では、内閣総理大臣賞を受賞する「和牛日本一」の栄冠に輝いた。
日本では幕末から明治維新にかけて本格的に肉食文化が幕を開けたとされる。当時の鹿児島には、羽島牛・加世田牛・種子島牛などの名称の牛がいた。これらの牛に、先人たちが長い年月をかけて改良に改良を重ねて生まれたのが、現在の「鹿児島黒牛」だ。
──TPPの問題のほかに、郵政民営化問題では、小泉政権に反旗を翻した。なぜ郵政民営化に反対されたのか?
郵便局というのは、地方においては欠かせないインフラだ。
これが民営化されるとえらいことになる。
結局、郵便局は公社化された。それで改革は終わりとなった。
公社だと公務員の資格があるので、地方自治体の代行ができる。
そうなると田舎はずいぶん便利になるし、そうみんな思っていた。
ところがとんでもない改革だった。
あの時、財投資金が無駄に使われているという批判があった。
郵政が、郵貯預金をその財投に使っているとの批判があったが、その時、財投は市場から調達していて、郵便局のお金を使っていたわけではなかった。
だから、根拠のないちょっとおかしなことだった。
それと郵政がもっていた資産も二束三文で売却されたりして、問題があった。
ただ郵政民営化法案というのは1回、変わっている。
当初、郵政民営化というのは小泉内閣時代に作った法案でずっとやってきたが、自民党が野党になったとき、思い切って変える法案が出てきた。
ただ、民主党を中心とした政権与党が参議院の過半数に達していないねじれ状態にあったので、この法案に立ちはだかるパワーが自民党にはあった。
この法案を審議する特別委員会の委員長は赤松氏だった。われわれは野党だったが、野党の筆頭理事は中谷元氏だった。
谷垣禎一自民党総裁(当時)から呼ばれて、野党の筆頭理事を私に代われという話が出た。
私は、「郵政民営化反対の背番号を背負っているから、私は適任じゃない」と言って断るつもりだったが、それでもやれと言われて受けた経緯がある。
ところが、法案があまりにも過激な改革案だったので、とても議会で通る可能性はなかった。
それで山埼拓氏にお願いして、亀井先生と会わせていただいた。
私は亀井先生に「大変、お叱りを受けることを覚悟で申し上げます。郵政民営化法案を引っ込めて欲しいといえる話じゃないが、引っ込めていただかないと改革法案は通りません」と率直に申し上げた。
亀井先生は、そこは大したものだった。
ちょっと考えておられて「分かった。降ろすタイミングを教えてくれ」と言ってくださった。
それで郵政民営化法案を取り下げ、小泉法案の中に見直し規定というのがあったから、それに基づいて今の法律に変わった。だから郵政民営化に反対した我々が、法案修正に参加するという皮肉なことになった経緯がある。
不思議な話だが、政治というのは、しばしばそういうことがある。
──その裏話は初めて伺った。
間違いなくそうだ。
──自民党を主体とした保守政権が、戦後、長く続いた。その強みは都市と地方、工業と農業などのバランサー役を担っているということだが、自民党はいつまでもバランサー役を担うパワーを持ち続けることができるのか?
現在、地方の人口減少が顕著になっており、今の選挙制度では、都市部が強くなるのは間違いがない。
だから参議院選挙で、1つの県から1人の参議院議員を選出できないことが起きているし、これからも多く起きてくる趨勢にある。
これまでは県同士で調整がついてきたからいいが、今からそうはいかない。
例えば佐賀、福岡となると、佐賀からは参議院議員がずっと出なくなる。
我々も、そのことについて無責任だったわけではなくて、平成30年に、緊急に憲法を改正したい4項目を出している。
その中で、34条というのを新設して、人口を原則とするけれどもという前提で、地域と歴史的つながりとか、いろいろなことを考慮して、法律で定数を決めるという風に改正すれば、憲法違反だという批判を受けることはないのではないかと思うが、なかなか、そういう風にはいかない。
ただ、それをしないと都市と地方のバランスは崩れる。
ただ都市部の人でも、農業や地方に関心がある人は増えていて、じっくり見ないといけないところもある。
──最初に西郷南洲の言葉が出たが、一番、好きな南洲の言葉は?
「敬天愛人」だ。人を慈しみながら、同時に人を超えた天を敬うというこの言葉だ。
この精神は、南洲が一番苦しい時に思いいたった考え方であり精神だった。
奄美に流され、さらに沖永良部島に流刑となって1年半を過ごした過酷な牢屋生活という失意の中で、人の温情に触れながら、学問も究め到達した境地だった。
南洲は牢屋生活の身ながら、沖永良部島にいた学者から学び、また地域の人たちにも教えたりしていたから、今でも島の人たちは、西郷さんを大事にしている。
私も何度も行ったが、実にいい島だ。
(8月23日インタビュー)
もりやま ひろし
1945年4月8日、鹿児島県鹿屋市生まれ。鹿児島県立日新高等学校卒業。鹿児島市市議会議員、同市議会議長歴任後、2004年から衆議院議員。農林水産大臣。自民党国会対策委員長、選対委員長を経て現在、総務会長。自民党鹿児島県連会長、近未来政治研究会会長、全国治水砂防協会会長。座右の銘は「一日一生」。趣味は読書。