リンゴと生きる
幼木管理が重要 トラブルこそ変われるチャンス
品種固有の大きさで育てる
(株)黒田りんご園 代表取締役 黒田恭正氏を訪ねる
茨城県北西部の大子町には、山々のなだらかな斜面を利用したリンゴ畑が点在している。寒暖差のある気候が、美味しく育ててくれる大子のリンゴは、「奥久慈りんご」と呼ばれる。茨城県で初めてリンゴの木を植えた黒田りんご園3代目の黒田恭正氏を訪ねた。
大きさより美味しさ
黒田りんご園のポリシーは、美味しいリンゴを作ることだ。
そのために、見た目より美味しさ、大きさより美味しさ追求に力を入れている。
スーパーに行くと、色付いた大きなリンゴが並ぶ。だが黒田氏は、大きさには目もくれない。
マーケットは大きなリンゴを好むが、果実は過度に肥大させず、品種固有の大きさで育て完熟させて収穫する。これが一番美味しいというのだ。
果物は、肥料で大きくすると細胞が肥大化するので味が大味になり、肉質が荒くなるため日持ちも悪くなる。そのため、化学肥料や家畜糞などは一切使わず、木の葉や刈草を使った低窒素の自家製堆肥や木炭などの有機質肥料で育てる。そうすると甘くてコクがあるリンゴが育つ。
そして、決め手になるのが、リンゴの樹の生理を熟知し、リンゴの気持ちを考えた栽培をすることだともいう。
黒田氏がリンゴの樹の生理の大切さを痛感したのは、31歳の時だった。この時、青森県の成田行祥氏との出会いがあった。
群馬県で開催された全国わい化栽培研究大会(全国農業会議主催)で、黒田氏は青森県の先生方の部屋に1人で押しかけて行った。
青森県リンゴ農園の先達方が居並ぶ中、他県の若者が臆することなくやってきたのでたいへん気に入られ、色々と教えてもらうことになる。
成田氏には、それから毎年剪定の時期に黒田農園まで一週間位泊まり込みで来てもらい、15年間指導してもらうことになる。そこで学んだことは、リンゴ作りの技術の目的とは、リンゴの樹が本来持っている能力を最大限発揮できるように人間が手助けするということだったという。
とりわけ幼木の管理が非常に重要であり、手抜きをしないでしっかり行い、性格の良い樹を将来に向けて育てていくことが大切となる。
リンゴの品質が良く生産性の高い樹を作るためには、最初の出発が大事であり、むやみに徒長させない、バランスのとれた性質の良い樹を作っていくことが肝心だ。
祖父が馬の代金でリンゴ苗購入
茨城県の奥久慈地方(久慈川の上流地域)にリンゴの樹を最初に植えたのは、黒田氏の祖父だった。昭和19年、第2次世界大戦の末期に祖父・黒田一氏の家で飼っていた農耕馬が、軍馬として動員され強制買い上げになった。祖父は、かわいがっていた馬が国に召し上げられた代金を使うに忍びず、そのお金で記念にリンゴ苗を購入して植えたというのだ。 戦後、黒田氏の父・宏氏がリンゴを、経営の主軸として発展させた。これが奥久慈にリンゴ栽培をもたらすことになり、一時は100軒近いリンゴ農家が存在した。その後、宏氏は農事組合法人(レジャー施設)を経営し事業に失敗して、多額の負債を抱えた。黒田氏は大学生のころ帰省時に、田畑は抵当に入り、農機具やめぼしい家具に、「競売物件」の印字がある白い紙が貼られていたのを覚えている。
結局、黒田氏は家から仕送りが来なくなり、様々なアルバイトをして生活費を稼ぎ卒業した。3年ほど東京でサラリーマンをして25才のとき家に帰った。その時、負債が3億円ほどあった。気の遠くなるような金額だった。そのころはリンゴ畑も荒れ放題で、まともな樹がほとんどなかった。
そのどん底から蘇った。
当時、バブルの絶頂期でもあり、その土地がゴルフ場などに売れ負債の整理が進んだ。それでも銀行と農協に全額返済するのに20年かかった。31才で父から経営を引き継いだ。初めのころは、その年の借金を返すと生活費がほとんど残らないような状態だった。お金が無いので人を雇うこともできず、睡眠時間を削り必死で勉強し働いた。借金返済や栽培技術の習得も進み、自分の思うような経営ができるようになったのは45才ごろからだったという。
周りの人たちにもずいぶん助けられた。振り返ってみて、大切なことは目標をしっかりと持ち続けること、常に感謝の気持ちを忘れないこと、どんな逆境にあっても夢と希望を失わず努力することだと黒田氏は述懐する。そうすれば、いつかそこに立つ日がやってくる。どんな環境にあっても、心の持ち方ひとつで天国にも地獄にもなるというのだ。
すべて「問題がある時が、変われるチャンス」と常に前向きに捉えることが、何より肝要だと実感した。
果樹園で深刻な温暖化
なお、今年は酷暑だった。
例年の猛暑など温暖化が顕著だが、りんご園への影響が深刻だ。
果実においては、大玉化などによるリンゴ着色不良や果実の軟化・粉質化が発生しやすくなり、収穫前落果の増加や収穫後の貯蔵性低下が起きている。
また発芽期・開花期が早まることによって晩霜害・凍害が増加し、受粉がうまくいかず発芽率低下が起きやすい。
さらに病害虫の生育期間が長くなるため、害虫や病気の発生が長期化するリスクが高まるようになった。
1年生作物では気温の影響を受ける期問が短く、トマトやキュウリなど春に種を蒔き夏に収穫する作物であれば、種蒔きを早めるなど作期の前倒しで温暖化に対応できる。
一方、果樹は人為的な作期移動ができない。しかも、生育期だけでなく休眠期も明らかな温度反応があり、温暖化の影響は年中受ける。さらに貯蔵養分などを通じて、前のシーズンの気象の影響が翌年になって現れることも多く、気象変動の影響が樹体内に蓄積していくことも考えられる。
永年作物であるリンゴは、一度植えると数十年間は同一樹での生産を続けなければならない。
したがって、果樹はほかの作目と比べ温暖化の影響が著しいうえに、ほかの作目より10年以上早くからその対策をとる必要がある。
環境の急激な変化は、今までの経験や技術では対処できない未踏の領域に入ってきており、品種や栽培方法の根本的な見直しを図っていく必要があるという。
例を挙げれば秋になっても雨が多く温度が高くなれば、フジの熟度が遅れ蜜入りや糖度が上がりにくくなってしまう。そのため施肥や剪定を控え、樹を強勢化させないことが大事だ。
畑ごとにみな同じ管理ではなく、リンゴの生理を良く理解し、個別のきめ細かい管理が必要になってくる。
これからは生き残りをかけた自然との闘いとなる。
獣害も無論、ある。
暖冬により鳥獣の生存率が上がり、被害が増えつつある。
大子町にはシカの被害はないが、イノシシが増加しており、一㍍程度の高さになっているリンゴは食べられてしまう。
夢と希望忘れずに
最後に、これからどのような時代になっていくのか尋ねた。
黒田氏は、否定的な内容も沢山待ち受けてはいるのは事実だが、夢と希望をもって考えていくと、実に面白く楽しい気分になっていくと期待感を示す。
黒田氏は、スマート農業にも関心をもっている。これは農業人口の減少や少子高齢化などの社会問題を背景に、ロボット技術やICT(情報通信技術)を活用して、人の労力に頼らない農業を実現しようとするものだ。例として、農作業の自動化、ノウハウのデータ化、データ分析による精密農業などがある。
黒田氏は「こうした展望を考えるとワクワクする」とほほ笑む。
黒田リンゴ園は昨年、株式会社化した。個人事業主に比べ信用度が高く、銀行からの融資も受けやすいという。
黒田氏は「次世代に夢と希望を与え、事業継承をいかにしていくかを考えるのも我々年配者の務めだ」と述べた。
くろだ やすまさ
1955年、茨城県久慈郡大子町生まれ。國學院大學法学部卒業。株式会社黒田りんご園代表取締役。67歳。URL http://www.kurodaen.sakura.ne.jp/