日本経営者同友会会長 下地常雄

米大統領元首席補佐官の沖縄訪問

冷戦終結はドナルド・レーガン米大統領抜きには語れない。その首席補佐官を務めたフレデリック・ライアン氏が約30年前の1991年に沖縄を訪問した。

レーガン大統領と交流のあった私は、しばしば同大統領に沖縄訪問を要請した経緯があるが、大統領を辞めた後も多忙を極めるレーガン氏にその時間はなかった。そのレーガン氏の名代としてライアン氏がその要請を受けてくれたのだ。

私が米要人を沖縄に招待したのは、基地問題を解決する上で不可欠のステップだと確信していたからだ。ただ「基地反対、米軍出て行け」と沖縄だけで騒いでも、決して解決できる問題ではない。むしろ米国の要人と交流を密にして、沖縄の現状をしっかり受け止めてもらうことが肝要だ。本気で沖縄問題を解決するには、外野から石を投げるのでは無く、相手の懐に飛び込んでいく腹がないと動くものではない。

ケネディ大統領の従兄弟であり弁護士だったライアン氏は、レーガン大統領の信頼を得て、歴代最年少の首席補佐官に任命された人物だ。レーガン氏逝去の時、国葬で棺を担ぎ行進したうちの1人がライアン氏だった。それほど信頼されていたライアン氏は現在、米紙ワシントンポスト会長兼最高経営責任者(CEO)の仕事をしている傍ら、レーガン大統領財団の理事長を務めている。

私が訪米した折、会いたいと伝えると例えどんなに忙しくても、時間を惜しまずアポをとってくれる。そのライアン氏がテレビ会社ABC放送の会長時代に、同社を訪問したことがある。するとABC本社の玄関の電光掲示板に「ウエルカム、シモジ」とあったのには驚かされた。そうした心遣いをしてくれるライアン氏は「私の誇りの人」だ。

さて、沖縄訪問要請を受けてくれたライアン氏が夫人と共に那覇空港に到着したのは夕刻だった。だが、翌朝には宮古島に飛んでもらった。前もって言っていた「私の故郷を見てください」との約束を守るためだ。

長旅で疲れていたはずのライアン夫妻は、嫌な顔ひとつせず、にこりと笑って宮古島に向かう飛行機に乗り込んでくれた。

宮古島では下地米一市長がライアン夫妻を出迎えてくれた。米一市長は元内閣府特命担当大臣の下地幹郎氏の父親だ。 ライアン夫妻は宮古島だけでなく、大急ぎで下地島や伊良部島を回り、その日のうちに沖縄に戻った。そして夜は歓迎レセプションがパレスオンザヒル沖縄で開催された。

観光というのは結構、疲れるものだ。しかも一日で沖縄、宮古島、下地島、伊良部島、さらに沖縄と暑い中、強行軍での行程に、体はベッドを求めていたに違いないが、ライアン氏は喜んで参加してくれた。

レセプションでは、まず沖縄県経営者協会会長の稲嶺惠一氏が挨拶。稲嶺氏は「ストロングアメリカを地球上に再現したレーガン大統領は、歴史に残る偉大な大統領だ」と述べた上で日米関係が最も厳しい中、沖縄に米国の実力者が訪問する意義を語った。また稲嶺氏は「過去27年、米施政下で沖縄県民は米のいいところも悪いところもみんな知っている。そうした沖縄の特性を生かして、日米の溝をうめ、関係をよくしていきたい」と抱負を語った。

そして宮里松正衆議院議員(元沖縄開発庁政務次官)は「昨年、共和党大統領候補だったブッシュ氏の大会に参加した時、そこにレーガン氏が現れると、会場は割れんばかりの拍手につつまれた。人気は圧倒的。大統領は3選禁止だが、もし3期目が許されていたなら大勝利したに違いない。レーガン氏は余力を残しながら、勇退したが、まだ現役時代同様、活躍している。ライアン氏はそのキースタッフだ」と述べ「日本人は腹八分で納め、米人は言いたいことを120%主張する。それで日本人は米人はけしからんと言い、米人は日本人はもっと胸襟を開いて話をすればいいと言う。埋め難いカルチャーギャップがあるかもしれないが、いずれにせよ、日米の友好の絆を深めなくてはならない」と語った。

さらに大田昌秀沖縄県知事は「沖縄の問題を解決するため、米国に多くの友人を作りたい。本当の友人とは、相互に相手の立場を尊重しあう関係だ。一方的に過重な負担を強いるようでは真の友好は生まれない。より長期的な友好関係を作れるよう、滞在期間は短いかもしれないが、沖縄の実態を知って欲しい」と挨拶した。

一方、ライアン氏は宮古島や下地島、伊良部島などを駆け足で回ったことを報告しながら「下地氏はレーガン大統領に、何度も故郷の美しさを強調していたが、その通りだった。また下地氏はいろいろな提案やアイデアを大統領に出してきた。両国の溝をうめるためにもこれらを活用したい」として感謝の念を述べた。

なお米政界の要人が、それまでは沖縄の土を踏んだことはない。その意味ではライアン氏は、米政界の中で沖縄初訪問を果たした人物だ。

それをマスコミは一行も書かなかった。最初から色眼鏡をつけて物事を見ているとしか、理解できない事柄だ。

それは先だって米紙ワシントンタイムズ会長のマークデビッド氏が、沖縄を訪問した時も同様だった。自分達に近い考え方をする人間は針小棒大に取り上げても、遠い人物には無視を決め込む姿勢に、マスコミ人としてジャーナリスト魂の欠落を見るのは残念なことだ。

しもじ つねお

1944年、台湾生まれ。宮古島育ちの沖縄出身で歴代米大統領に最も接近した国際人。77年に日本経営者同友会設立。レーガン大統領からバイデン大統領までの米国歴代大統領やブータン王国首相、北マリアナ諸島サイパン知事やテニアン市長などとも親交が深い国際人。93年からASEAN協会代表理事に就任。テニアン経営顧問、レーガン大統領記念館の国際委員も務める。また2009年、モンゴル政府から友好勲章(ナイラムダルメダル)を受章。東南アジア諸国の首脳とも幅広い人脈を持ち活躍している。

日本経営者同友会会長 下地常雄